血ノ姉妹 弐

 図書館は中庭の向こうにある。

 地下百メートル余りにまで根を張る石造りの巨大施設であり、あらゆる事態に備え、機材、書庫に留まらず、植物園から調理室までもが内包されている。

 ローゼにねだられてケーキを作るのもあちらの施設だ。


 「さて、数学の参考資料を開いてくれ」


 キルシェとローゼは恐慌現象の情勢下に在っても、図書館の深層にて学習と鍛錬を重ねた。


 鍛錬内容は清の武術を中心として、軍隊格闘、護身術、古武術、対人実撃を含む。これらの感覚を理解するために、語学も重要であった。


 キルシェよりも年が二つ幼いローゼは、日課を始める前から音を上げた。


 「算数きらい」

 「数学だ」


 ローゼが言い終わる前に被せて言う。しかし駄々っ子は諦めが悪い。


 「えっとねえ、今日は」

 「二言目には『やる気がない』」

 「う」


 心を読まれたローゼは言葉に詰まる。


 彼女も英才教育を受けて育ったが、きちんと習得しているとは限らない。何より、彼女の頭は楽しみにしていたケーキで一杯なのである。


 それだけで気持ちをはやらせているのであればまだ可愛いい。問題は、食事中の話題なのだ。彼女にその話をさせたくない。


 「疲れているのなら、後回しにするか」


 記憶を定着させるため、多忙に在っても学習の予定を狂わせぬよう努めてきた。急に迎合したキルシェに、ローゼは目を丸くした。


 「…いいのか」

 「構わん」

 「もしかして怒ってる…?」

 「聞くなよ、煩わしいな。怒ってなどいない」


 席を立ち、参考資料を本棚へ納める。

 ローゼはすぐに気持ちを切り替えて冷蔵庫へ向かった。


 「キルシェも食べるよな」

 「いや、私は後でいい」


 既に切り分けられた苺タルトを小皿に取り、テーブルへ。ローゼは飾られた苺へフォークを突き刺し、口へ運ぼうとしている。その前に、いた。


 「ところで」

 「ん?」と、ローゼは手を止める。

 「何か進展はあったか」

 「いや、今回も収穫なし」

 「算数の話ではなくて」

 「数学な!後でやるから許して!」


 キルシェがたずねたのは、恐慌現象の話である。


 二人は六年前の悪夢について調査しており、昨日までの三日間、ローゼは市街地へ情報を集めに出ていた。苺タルトはそのご褒美といったところである。


 死に絶えた大勢とは対極的に、限りなく不死身に近い命を得てしまった二人。その時間を利用してこれを解決すべく活動していた。


 キルシェは自分の頭に乗ったティアラを指先で撫でる。


 多くの遺産を有し、国の援助さえ受けてきた家系でありながら、両親は恐慌現象によって逝去した。厳格な、というより異常な家庭で、二人の姉妹は学校へ通う事すら許されず、家庭教師による個人授業ばかりが行われた。まるで将来の危機に備えているかのような教育を施しておきながら、それでもあっけなく命を落とした両親は、やはり恐慌現象の真相を知らなかったのだろうか。


 一定以上の人口密度になると自他を殺害する『人間』よりは今のところ無害と思しい二人の姉妹。だが、それは恐らく表面的な話だ。二人は、大勢を殺せる力を秘めている。


 席を立ち、踵を返した時。「キルシェ」と、ローゼに名前を呼び止められた。


 らしたかった話題、拒み続けてきたある提案を、紅い双眸そうぼうが『もう一度言うぞ』と口ほどに告げる。思った通り、彼女は。


 「金城市きんじょうしへ行こう」


 現在。一切の連絡が届かず、調査に赴いた人間も未帰還の断絶された地域だ。図書館から約二十五キロ離れた地方都市であり、ここを調査しようとローゼは提案している。


 正直なところ、彼女を危険に晒すのは気が乗らなかった。自分よりあらゆる点で未熟だし、仮にたった一人の血縁者を失ったとして、自分は容易く受け入れられるほど冷酷ではない。


 同じ境遇の姉妹間で、自分達の体質や今後について隠す事は不可能だ。ならばせめて知識と武術の研鑽けんさんに努めさせ、彼女の将来を安泰あんたいにしたかった。


 結果、彼女の成長は戦意を伴い、むしろ危険を引き寄せてしまっている。


 強い方が好ましいのは無論のことだ。けれども出来れば、銃後じゅうごの守りとまでは言わないが、情報収集や戦略構築など裏方の担い手を目指して貰いたかった。


 ローゼがタルトを口へ運ぶ。キルシェはその姿を見つめながら。


 「私達はもう、そんな風に食べる必要もない。もし金城市に同じ体質の者が居るのなら、危険な旅になる」




 図書館にて行った、ローゼの検査結果を述べる。


 まず、体積に対する質量が三倍である。身長百五十一㎝、体重四十七㎏、循環血液量三千四百㎖が元であろうローゼの場合、体重百四十一㎏、循環血液量一万二百gである。キルシェの質量倍率も同様。


 呼吸・食事・排泄は不要であり、摂取した全てを背骨、即ち脊柱せきちゅうが吸収し、血液に変換して分泌する。たとえ何一つ摂取せずとも、脊柱は全くの『無』から血液を分泌できる。


 この血液は、生命最強の防御機能である。例えば損壊した自身の肉体や衣類に接触させると、組織構造を記憶した周囲の細胞より情報収集及び算出が成される。原子内の陽子・中性子・電子の差し換え能力を有し、欠損を補填する物質へと変貌する。


 しかしながら、質量保存の法則に逆らう力は極めて有効範囲が狭く、せいぜい彼女らの手の届く範囲が限界だ。その身から離れてしまえば、無から生まれた物質は還元して消滅する。血液そのものは例外的に、多少身を離れても実体を保てるが、それも五時間足らずと短命である。


 ローゼはキルシェの険しい表情を無視し、満ち足りた顔でタルトを頬張る。「結論は出ている」とでも言いたげだ。


 「必要なくても、食べる楽しみは別物だからな」


 キルシェは声色を低くして。


 「全部血になる。食べ過ぎたら全身から噴き出すかもしれないよ」


 骨格から分泌された血液が許容量を超えた場合、表皮から流れ出てしまう。けれど、ローゼにとっては予定の一つに過ぎなかった。


 「後で、使うから」


 鮮紅せんこうしょくの鋭い瞳がこちらを見る。


 ――使う。修復機能以外の、血液の使い道。これを知っているから、安易に金城市の調査へ乗り出せない。



     ❀



 図書館より二キロ南方の廃墟群。小規模ながら、学校、病院、役所などがあり、恐慌現象以前は機能していた。人口低下の中で必要とされる物資は持ち去られ、それから六年間の立ち入りは皆無であっただろう。


 缶詰、腐った燃料、期限切れの薬品が散乱し、道路にはトラックが乗り捨てられている。


 殺し合いの混乱の渦中、その発生条件を知らぬ人々は救いを求めて集い、そして命を落とした。血痕と瓦礫、白骨化した遺体が見られるところ、この地に所縁しょえんのある生き残りも逃避先で死亡したと思しい。


 皆、一応は日常生活を営んでいる。日々に追われ、恐慌現象など普段意識しない者も増えてきた。だが、管理された市街とその近郊から一たび離れれば、人々は死と紙一重の道を歩んでいるのだと思い知るだろう。


 夕方の四時、ローゼは廃墟群・廃校の体育館にてキルシェと落ち合った。


 校舎の斜向かいに病院、それから数件の集合住宅を隔てて町役場が建つ。元より滅多に人は立ち入らぬが、大型の公共施設に囲まれたこの場所ならばより人目に付きにくい。


 「手合わせを」と、士気に満ちたローゼは要求する。


 この決闘で、時が満ちたのだとキルシェに認めさせたい。自分はもう守られているだけじゃないのだと、キルシェに解ってほしい。

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