第14話
「やばいッス、赤城さん……ぼく、緊張してきたッス」
家のエレベーターを降りた辺りで、麦くんは顔を引きつらせて、そんなことを呟く。
「ぼ、ぼく、年下の女の子相手に、どんな風に話せばいいのか、今更、不安になってきました……その、大丈夫、ですかね。何も、面白い話は、出来ないですけど……」
「いや、面白い話って。なにをそんなに緊張することがあるのよ。別に普通の話をすればいいと思うけど?」
「その普通ってのが、難しいんですよ! だって、もし、変に話が続かなかったら、その茜ちゃんって子に、嫌われるかもしれないじゃないですか……」
眉間に何本も皺を寄せて、麦くんはより一層深刻な顔をする。それこそ、会社の会議でプレゼンを担当するときでも、こんなに緊張してはいなかった。というか、そもそも彼は責任感こそあれど、会社では、何でも臆することなく、新しい仕事にも挑戦するタイプだったから、てっきり緊張とは無縁なのだと思っていた。
少なくとも、歩くときに右手と右脚、左手と左脚が同時に出てしまうほどの緊張した姿は、初めてお目にかかると言っていい。
わたしは、そんな彼の様子を面白く見させてもらいながら、到着した家の扉の前で、チャイムを押すのを少し待つ。
「だから、心配しなくても、茜ちゃんはそれなりに気さくな子だし、普通に話してあげてれば、嫌われることもないから。ほら、いつも職場の女の子――麦くんからしたら、年上ばっかりだろうけど、あの子たちと話すような感じでいいんじゃない?」
「え、えと、じゃあ、今度のプロジェクトの資料作成について……」
「そうじゃない」
だれが職場の話をしろって言ったの。
というかそもそも社外秘だから。
「ほら、もっと世間話とか、するでしょ? そんな感じで、軽くでいいの。あんまり身構えたら、相手も緊張するから」
そういって、わたしはもうチャイムに指を伸ばす。それを軽く押し込むと、すぐに室内から、チャイムの音と、それから続けて茜ちゃんの返事をする声と、扉に駆け寄る足音が聞こえる。
「あ、ちょっと! なんでもう押しちゃうんですか!」
そういって、焦った様子の麦くん。だがわたしは、そんな彼の様子を面白く感じながら、開かれた扉に手をかける。
「お待たせしました、おかえりなさい!」
そういって、出迎えてくれた茜ちゃん。その服装を見て、わたしは、今朝と服装が違っていることに気付く。どうやら、来客が来るということで、この子なりにおしゃれな格好をしたらしい。
ブラウンのスカートに、同じくブラウンの、大きなチェック柄があしらわれたオープンショルダーのトップス。大きなベルトで、ウェストの細さがより際立っている。どうやら、こんなかわいい服も、リュックサックの中に詰め込んでいたらしい。
お出かけ用というか、余所行きの服、なのだろうか。
いや、この子なりって言ったけど。
本当にかわいいなあ。
わたしはそう思いながら隣の麦くんに視線をやる。彼もどうやら同じ感想を抱いているらしく、その表情は緊張こそしているものの、優しそうな笑みを湛えていた。
その麦くんを見た茜ちゃんは、やはり、少し恥ずかしそうに眼を反らしはしたが、きちんと挨拶をした。
やっぱり本当に、育ちがいい。わたしなら、この年でいきなり初対面の人に対して、これほどきちっとした挨拶はなかなか出来ないだろう。
「えと、初めまして、茜って言います。姫子さ――赤城さんから、お話は伺っております。……麦さん、ですよね?」
「ああ、どうも、麦です。いつも赤城さんには、お世話になっていまして、本日はお邪魔させていただきます」
それに対して麦くんも、丁寧に応対する。……いや、君はそこまで畏まらなくても。というか茜ちゃんもだけど。
なに、商談でも始まるの。
わたしは、その妙な二人の雰囲気に、思わず笑いそうになりながら、茜ちゃんの開けてくれている扉を手で持って、玄関に入る。そして、麦くんもその後に続いた。
「お、お邪魔しまーす……」
「ん、どうぞ。そんなに広い家じゃないけど……ま、ゆっくりしてって。ああ、茜ちゃんもだよ」
わたしはそういって、すぐにキッチンの方へ向かう茜ちゃんに声をかける。
「心配しなくても、お茶とか出そうとしなくていいから」
「え、でも、お飲み物くらい……」
「うす、ぼくは大丈夫ッスよ、茜ちゃん」
お酒もあるし。
麦くんは、きちんと脱いだ靴の向きを揃えながら、そう返事をする。だが、茜ちゃんはそこで、困ったようにそわそわとして、わたしの方を見つめる。落ち着かない様子だ。
「……?」
不思議に思ったわたしと目が合う。すると、茜ちゃんは駆け足でわたしの方へ近寄ってきた。
「え、で、でも本当にいいんですか? わたし、今何もすること無いですよ? 折角だから、何か……お食事の用意でも……」
手持無沙汰なのが不安なのだろうか。確かに、自分の家じゃないところで、来客があって、落ち着かないのは当然か。しかし食事の用意はわたしと麦くんがやるか、わたしが麦くんに押し付けるし……。それに、茜ちゃんにはすでに今日一日、働いてもらっている。
そう伝えると、茜ちゃんは驚いた様子で、口を開いた。
「え、でもそれじゃあ、わたし、何をしてたら……」
かわいい。
落ち着かないんだね。
そわそわしちゃってる。
ではなく。
わたしはそれほどまでに食い下がられると、それすら無下にするのも申し訳なく感じてくる。なので、何か出来ることはないか、と考える。……何もないんだけどなあ。
と、そこで、机の上にそういえば、箸が置かれていないことに気付く。なので、それを頼むことにした。
本当は、お茶碗にご飯を盛ったり、お皿に移した後の容器を片づけたり、そういった仕事もあるにはあるのだが、如何せん片手では出来ないか、あるいは相当にやりにくいことだった。それこそ、あの便利そうな義手でもあれば、話はまた違っていたのだが、あれだけは休みの日に服を取りに行くついでに、持ってきてしまっていいものではない。そんなことをすれば、少なからず茜ちゃんの信頼を損なってしまうだろう。それに、傷つけてしまうかもしれない。
「じゃあ、お箸を用意……してもらってもいいかな。ごめんね、今日一日、部屋のお掃除もしてくれたのに」
「あっ、いえいえ、全然気にしないでください! むしろ、何もやることがないのは、不安なので……なんか、お邪魔な気がして」
お邪魔?
わたしは、隣にいる麦くんに視線を送る。
「……え、えっ、なんでぼくを見るッスか」
「ほら、ちゃんと茜ちゃんにフォロー入れてあげないと」
可哀そうでしょ。
わたしはついつい、話の輪に入っていなかった彼を無理矢理引きずり込む。すると、茜ちゃんは何を思ったか、麦くんに向かって頭を下げた。
「そ、その、すみません、折角お二人の時間なのに、わたしがいて……」
「……?」
「……?」
今度はわたしと麦くん。その二人が、首を傾げる番だった。
見ると、茜ちゃんは顔を少し赤らめて、俯いている。わたしはその隙に、麦くんに小さく尋ねる。
「ね、ねえ、どういうこと?」
「いや、ぼくにもさっぱり……あ、あれじゃないですか」
「なに」
「きっと、上司と部下の親睦を深めるための時間に、お邪魔してすみません、みたいな?」
「あ、なるほどね」
「お酒も飲むし、やっぱり子供としては、少し居心地が悪く思うのかも……」
「ふむふむ」
なるほどなるほど。確かにそれなら合点がいく。というか焦った。いきなり、そんな男女の仲みたいな扱いをしてくるものだから、あらぬ勘違いをされているのではないかと、ついつい不安になってしまった。いや、わたしが嫌なわけではなくて、むしろ麦くんにとって、迷惑になるかもしれない勘違いだったから、もしそんな風に茜ちゃんが思っているのなら、わたしとしてはその勘違いを正さなければならないわけで、あくまで保護者として、その認識を改めておく必要が生じるわけで――誰に向かってしているのかも分からない言い訳を、わたしは頭の中でつらつらと考えていた。
だが、そんなわたしたちの箸をいつの間にか置き終わり、自分の箸を対面に置いた茜ちゃん、つまり、席の並びとしては、何故かわたしと麦くんが隣で、対面に茜ちゃんという構図。そのように箸を並べたところで、茜ちゃんは恥ずかしそうにしていた顔を上げる。
「あ、あの、お二人は、付き合ってどれくらいになるんですか?」
……。
……。
……?
「付き合って……どのくらい……え?!」
「あ、茜ちゃん?! 何を急に?!」
わたしと麦くんはそれぞれ、お皿に盛り付けていた角煮とあぶり焼きチキンを取りこぼしそうになる。それから、茜ちゃんの方を向いた。だが茜ちゃんは、相変わらず恥ずかしそうに眼を反らして、こちらを見ようとしない。
そして続ける。
「すっ、すみません、なんか、折角のおうちデートなのに、わたし……あっ、ご、ご飯食べてお風呂入ったら、ちょっと、今日は明日の朝まで、お出かけする用事があるので、お出かけしますので……」
「いやいやいやいや、待って待って?!」
何なら気まずそうな、恥ずかしそうな顔で、そそくさと冷蔵庫の方へ向かう茜ちゃんに、わたしは思わず声をかける。麦くんも同じく、とても焦ったようで、盛り付け途中のパックを机に置いて、その後姿を追う。
「いや、夜更かしはダメッスよ!」
「麦くん、君もおかしいな!!」
「うぇ?! だ、だって、女の子が夜中にそんな、遊ぶなんて! いや、付き合ってもないですけど、それより夜更かしもダメ!」
まともなのはわたしだけなのだろうか。
ともあれ、わたしはひとまず電子レンジに料理を入れて、温めている間に、いつの間にかソファに座って、こちらに背を向けている茜ちゃんの隣へ向かう。ややこしいので、麦くんにはとりあえず、サラダの盛り付けを頼んでおいた。
「ちょ、茜ちゃん、取り敢えずわたしの話を聞こうか、なんか勘違いしてるみたいだから!」
「かっ、勘違いは、してないですよ?」
隣に座ったわたしは、思わず茜ちゃんの手を取る。しかし茜ちゃんは、何とも言えない顔で、まあ少なくとも、怒っていたり悲しんでいたり、そういう表情ではないのだが、しいて言うなら、恥ずかしさを忍ぶような表情で、わたしの顔から目を反らし続ける。
「だ、だって、わたし、今日、見ちゃったから……」
「見ちゃった……何を?」
言って、わたしは今日一日の記憶の中から、何かこころあたりはないかと思い返す。だが、思い当たることなんて、勿論一つしかない。
いや、正確には二つか。
明らかに、あれのことだった。……いや、でも待て。あれを見つけてしまった時の茜ちゃんの反応は、白を切っているような感じではなく、本当にそれが何なのか、見当もつかないというような態度だった。だから、わたしは見つけてしまったそれを、そのまま引き出しの中へ戻すよう、伝えたのだが……。
「だ、だから、その……」
そういって、茜ちゃんはおもむろに立ち上がる。わたしは思わず手を離すと、ぎこちない動きで、ベッド横のキャビネットに向かい、わたしを手招きする。
「……来て、下さい」
「ん、うん」
うわあ。
さっき考えてた可能性だけは、そうであってほしくない。
そんな淡い期待を抱くわたしとは裏腹に、茜ちゃんは、麦くんに対して、自分の身体で視線を遮るようにして、取っ手に手をかけた。そして、引き出しをゆっくりと引き出す。
それから、その中に入っていた、ゴムを指差す。
いや、そうやって、取り出さないところも含めて、麦くんへの配慮をしてくれる。それは凄くありがたいことなんだけどね。
でももう、彼も知っちゃってるからさ。
「これ……今日、電話で話したじゃ、ない、ですか」
「……うん」
わたしは、まるで親にいけないものが見つかった子供の様な表情で、それを見つめる。
「その、あの後、調べてみたんですけど……」
あっ。
調べたんですね。
若い子の知識欲とは、かくも恐ろしいものか。
「その……だから、付き合ってるのかな、って……ごっ、ごめんなさい」
わたし、やっぱりお邪魔、ですよね。そういって、顔を真っ赤にしながら、茜ちゃんは引き出しを閉じる。その様子を隣で見ながら、わたしは改めて、件の麦くんに視線を移す。
麦くんは果たして、サラダを盛り付け終わり、電子レンジで温められたご飯も食卓に並べ、今はお茶碗にご飯を、慣れた手つきでよそっているところだった。
アイコンタクトと表情で、どうしたのか、という具合にこちらを見つめてくる。
わたしは、ゆっくりと目を閉じて、首を横に振った。
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