第13話

「ま、お酒買ってくっていっても、家にウィスキーとか、スピリッツなら、何本かあるんだけどね」

 わたしは、冷蔵庫の扉越しに、いつも見ている酒コーナーに目を通す。だが生憎、新商品などは入っていなかった。

 たまに入っていたら、それを試しに買って、飲んでみるのがわたしの、一つの趣味になっていたので、残念だな。なんて思いながら、いつも通りのビールに目星をつける。そして、横でまだ恥ずかしそうにしている麦くんを見上げた。

「で、わたしのことを好きな麦くんは、どれにする?」

 勿論、冗談めかして言ったつもりだ。しかし、そんなわたしの軽口に、麦くんは慌てたようにこちらを見つめてくる。しかしその割には、目が合うとまた、恥ずかしそうに視線をそっぽに向けるのである。

「ち、ちが、さっきのは、その、そんなつもりで言ったんじゃなくてですね……ただ、上司として、人間として好きという意味で……」

「え、じゃあわたしのこと、あんまり女としては見てくれないんだ。へえ、そっかぁ、なんかショック」

「だ、だからそういうわけでもなくてですね……」

 少し本心。八割方、恥ずかしがっている麦くんが面白いという気持ちで、わたしは思わず、顔がにやけてしまう。だが、ここはあくまでコンビニの中。傍目には、社会人同士の若いカップルがいちゃついているようにしか見えないだろう。それに、いくら退勤しているとはいえど、いつどこで、会社の同僚と出くわすとも限らない。わたしは彼をからかうのはこれくらいにして、おつまみでも先に選んでいようか、なんて考えて、その場を離れる。

 おつまみ、兼、晩御飯。そういえば最近、部下の女の子たちと、珍しくランチを一緒にする機会があった。なのでわたしは、いつも通りコンビニで買ったサンドイッチを食べながら、同年代か、少し年下の女の子は、一体どんなものを食べるのだろう。そんなことが気になって、お弁当を見せていただいた時のことを思い出す。そして感想から言うと、女子力の塊としか言いようのない、とてもかわいい弁当が勢揃いしていた。聞けば、みんな自分で作ってくるらしい。まあこの会社の給料は、低いことこそないけれど、高いこともない。そうなると、自炊というのは、一つ節約にもなるのだろう。それに、その女の子たちの中の一人が、とてもいいことを言っていた。

 彼氏の胃袋を掴むためです。

 なるほど。確かに、料理が出来る女性というのは、モテるのかもしれないし、三大欲求の一つ、食欲に訴えかけられるスキルとしては、かなり強いのかもしれない。勿論、女は料理が出来て当然、というようなアナログな女性像を掲げるつもりはないが、それでも出来ていて損はないのかもしれない。

 わたしは、コンビニ弁当を見ながら、いつまでも茜ちゃんにこういった、総菜ばかりを食べさせるわけにもいかないよね。そんなことを考えてしまう。本当に栄養の偏りが心配だ。それこそ、今日の朝ごはんとお昼ご飯は、何を食べたのだろう。お皿を使ったと言っていたから、どうやら何かを買ってきて、家で盛り付けてから食べたらしいけれど、ちゃんと栄養のことを考えて買ったのだろうか。いや、総菜ばかりの生活のわたしがするにはあまりにもおこがましい心配事だが。

 そこで、お酒コーナーで大体の目星を付け終わったらしい麦くんは、わたしの隣に来る。

 ちなみに麦くん、及び黒澤くんと南乃くんは、わたしが一切自炊をしないことを知っている。そして何故か、黒澤くんも南乃くんも、料理は得意なようで、二人の家に呼ばれたとき、それぞれご馳走してもらった料理は、本当にびっくりするくらい美味しかった。確か黒澤くんは、パスタが得意で、南乃くんは、中華料理が得意なんだっけか。あのジェノベーゼとか、ペンネ・アラビアータとか、春巻とか、それから炒飯とか、思い返すだけでもお腹が空いてくる。

 そういや麦くんは、料理はしないのだろうか。もしするなら、教えてほしいくらいだ。

「ん、晩御飯、ですか?」

「うん、でもどれにしようか悩んでて。なんか最近のお惣菜って、色々種類があるからさ、逆に選べないんだよね」

 そういいながら、わたしはパウチされた豚の角煮に手を伸ばす。なんだこれ、今は角煮もコンビニに並ぶ時代なのか。

 買お。

「あ、でも白米は焚いてるから、心配しないでね。おかずだけ、好きなの選んで買って帰ろ」

「はい、わかりました」

 おかず、かあ。そう呟いて、麦くんは一切迷うことなく、取り敢えず唐揚げと牛カルビ焼を手に取る。

「あ、ちなみになんですけど、お米って、どれくらい焚いてくれてるんですか?」

「ああ、いいね、結構いっぱい食べる感じ?」

「うす。ぼく、こう見えて意外と大食いなので」

「どう見てもそうだから安心して」

 どうやら本当に、そう見えないと思っているらしい。麦くんは、そんなわたしの言葉に、本気で首を傾げていた。

 趣味が筋トレ、というのは、前に聞いたことだが、それを趣味と言うだけあって、かなり筋肉があるというか、よく引き締まった体をしている印象を受ける。特に最近は、クールビズが流行っている世の中だ。その影響もあって、ワイシャツにネクタイを締めただけの麦くんの肩や、腕周りは、かなり大きい筋肉がついていた。

 あの二人と腕相撲したら、余裕で勝ちそうな程。

 事実、黒澤くんはそれなりに不健康な生活を送っているらしく、目の下に隈を作っていることも珍しくない。だが、それ以上に、南乃くんが論外だ。本当に女の子みたいに肌も白いし、腕だってとても細い。ご飯だって、わたしより少ない量で、お腹がいっぱいと言い出す始末。彼のその小食っぷりにあてられ、一体何人の女性社員が、翌日から食事の量を減らし始めたか、彼は全く知らない。

 まあわたしは、そんな彼の横で、食後のデザートを食べられるくらいには、強靭なメンタルをしているので、最近少し、体重が気になってきているのだが。

 体重計が何よりも怖い。

「あ、そういえば」

 麦くんはそこで、一体何を血迷ったのか、更にあぶり焼きチキンを手に取りながら、わたしに話しかける。

 どんだけ食べるの。いや、良いけど。

 お米、そんなに焚いてないんだけどな。

「茜ちゃんのおかず、どうしましょっか。何か、好きなものとかあるんですかね」

「あー、確かに」

 わたしはそこで考える。が、そもそもあの子の好物どころか、そもそも嫌いなものすら知らない。何せ、四年ぶりにあった親戚の子だ。正直、覚えていない。でもまあ、昨日買って帰ったおかずも、綺麗に平らげていたし、特に好き嫌いはないのかもしれない。そもそも、わたしと、それから姉さんのお母さんは、そういった好き嫌いを一切許さないタイプだった。そのため、わたしも泣きながらピーマンを口の中に詰め込んだ記憶があるし、姉さんも嫌いだった納豆を、克服するまで定期的に食卓へつけられていた。だから、その影響を受けているなら、きっと茜ちゃんも、好き嫌いは特にないのかもしれない。

 そのことを麦くんに伝えると、彼も納得したように頷いた。

「まあ、ぼくらの買っていったものを食卓に並べて、それで晩御飯って感じで、良いですかね。それで、嫌いなものがあったら、残して貰ってって感じで」

「ん、そうね」

「まあほんとは、ぼくでよかったら、料理とか作ってあげたいくらいなんですけどね」

 そんな麦くんの言葉に、わたしは思わず、隣で更にチキンサラダを手に取る彼を、訝しむように見つめる。

 さっき、鶏肉なら買い物かごに入れたじゃん。

 どれだけチキン食べんの。

「……なんすか、その、お前も料理できないだろ、みたいな目は」

 わたしの視線に気づいたらしい麦くんは頬を膨らませた。

「言っておきますけど、ぼく、別に料理作れますからね?」

「……嘘だあ」

「嘘じゃないですって!」

「だって、麦くんのお昼ご飯、いつもサラダチキンじゃない」

 プレーンと、バジルと、ブラックペッパーと、カレーの味のサラダチキン。それを毎日、その日の気分で食べているか、たまにコンビニ弁当。それが麦くんの昼食。わたしとしては、そんな認識だった。しかし彼は、思いがけない一言を放つ。

「別にぼく、自炊が出来ないわけじゃないですからね?」

 え。

「……それこそ嘘だあ」

「いやだから嘘じゃないですって」

「え、だって麦くん、いつも家で自炊はしないって」

 わたしと麦くんは、おかずをかごに入れ終わり、改めてお酒コーナーに向かう。

 お互い、すでに飲むお酒は目星を付けているので、それをかごの中へ入れていく。

「いや、まあ最近は面倒でしてませんけど、でも別にぼく、料理が作れないから自炊をしないんじゃないんですよ」

「ん、どういうこと?」

 出来ないのではなく、やらないだけ、ということだろうか。

「ただ、自炊って、結局値段が高くつくっていうか……ほら、今日はぼくも奮発して、いっぱい買ってますけど、普段、仕事終わりにコンビニで晩御飯を買って帰るときって、そもそもこんなに買わないですから」

「え、そうなの?」

 聞けば、自炊をしてた頃は本当に、作るだけ作って食べるだけ食べるという生活を送り、そのせいで一ヶ月の食費も、5万円を超えていたらしい。その時のことがあるので、今はなるべく、自炊を控えているとのこと。

「だからまあ、言って頂けたら、茜ちゃんに食べさせるための料理くらいなら教えられると思いますよ」

 そう言って、麦くんは自慢気に笑う。だがわたしは、そんな冗談めかした彼とは対照的に、本気で教えて欲しかった。

 麦くんに比べ、わたしは何か理由があって料理をしないのではない。ただ単純に、料理ができない。ただそれだけの理由なのだ。なんならやり方もよくわからないし。

 それこそ、茜ちゃんくらいの女の子が喜びそうなご飯でも作ってあげられたら、少しはお母さんの代わりが出来るのだろうか。

 この期に及んで、わたしはいまだに、あの子を家からこちらに、一ヶ月という期間付きではあるけれど、半ば無理矢理に引き取ってしまった行為に対して、罪悪感を抱いてしまっているらしい。

「……ど、どうしました? そんな難しそうな顔をしなくても、料理って、別に難しくないですよ?」

 不安そうにわたしの顔を覗き込む麦くん。いけない。仮にも後輩の前で、こんな表情を浮かべては。

 わたしは気を取り直して、レジに向かいながら、何でもない、と言い訳をした。

 何でもないこともないのに。

「そうですか? まあ、それならいいですけど……とにかく、いつも赤城さんにはお世話になってるんです。たまには、ぼくも恩返し位、させてくださいね」

 買い物かごをレジのカウンターに置きながら、麦くんはそういって、少し恥ずかしそうに微笑んだ。

 何も麦くんに対して、わたしが恩を返されるようなことはしていないはずなのだが、それでもそういってくれるなら、遠慮なく頼らせてもらおう。決して、麦くんを今後も家に呼ぶ口実が出来た、なんて下心ではない。

「いらっしゃいませ、お預かりしますっ」

 どうやら、もっちーちゃんは今日もアルバイトのシフトが入っているらしい。わたしは、今日も元気よく応対してくれる彼女に、微笑ましさを感じながら、相槌を返す。

 それからは、いつも通りな手際の良さで、彼女はわたしたちの買ったおかずなどを、コンビニの袋に詰めていく。だが、如何せん量が多い。わたしは、ヒールやおかずが倒れないよう、慎重に袋詰めしていく彼女に声をかけた。

「ああ、別にすぐ近くの家に持って帰るだけだから、適当でいいよ、ありがとね」

 そう伝えると、もっちーちゃんは一瞬、びっくりしたように顔を上げたが、すぐに返事をして、袋詰めを続ける。思えば、こんな声かけすら、わたしはこれまでこの子にしてこなかった気がする。既に、半年以上はこの子と、コンビニでよく顔を合わせてはいるというのに、不思議なものだ。

「お、お待たせしました。……ありがとうございます」

 実際、恥ずかしそうに彼女は、少し俯きながらわたしに袋を渡してくれる。わたしはそれをいつも通り受け取ろうとしたが、しかし横から麦くんが手を伸ばす。

「ああ、店員さん、ぼくが持つッスよ」

「え? ああ、いいのに」

 わたしはそういうが、わたしの手より早く、麦くんはその袋を受け取ると、軽そうに持ち上げる。……いや、明らかに重いはずなんだけどな。

 それから、お会計の時も、麦くんはなんだかんだと言って、わたしに財布を出させようとすらせず、すべてお支払いをしてくれたり、とても気を遣ってくれた。わたしとしては、むしろ先輩であるわたしが支払うべきだと思っていたのだが、しかし彼の強情さは凄まじく、三度ほど、わたしが払うよ、いいえぼくが、と繰り返したあたりで、根負けした。

 そんな様子を見ていたからだろうか。もっちーちゃんは、お会計のお釣りを麦くんに渡すころには、すっかり微笑ましそうに、わたしたちのことを眺めていた。

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