第1218話、エレクシア・プロヴィア


 旧プロヴィア王国。ディグラートル大帝国の東方植民地に組み込まれた連合国の一角。

 一度は解放され、しかし再度の大帝国の侵略によって支配された。その際、プロヴィア王国最後の王族と言われた女王エレクシア・プロヴィアは大帝国に捕らえられ処刑された。


 以後、大帝国が東方の連合国征服のための足掛かりとしてプロヴィアを利用し、民から労働力や資源その他を搾取さくしゅする暗黒時代と化した。

 そして今、その支配者は吸血鬼の帝国によって入れ替わった。大帝国の駐留軍を駆逐したスティグメ帝国は、いよいよプロヴィアの民に牙を突き立てようとしてのだ。


 北部アンテール地方。カルジ山地にあるアミール教の神殿遺跡に、救いを求めた人々が集まっていた。

 そしてその人の流れは、スティグメ帝国の吸血鬼の知るところとなり、北部制圧艦隊が派遣された。


 プロヴィア人は決死の抵抗を見せたが、剣と魔法の人類が古代機械を操る吸血鬼に勝てるはずもなかった。仮に対抗できたとしても物量の差は覆しようがない。あっけなく防衛線は蹂躙じゅうりんされた。

 神殿遺跡に吸血鬼兵が乗り込み、立てこもるプロヴィア人を追い詰めた。


「大帝国の情報は正しかったか」


 スティグメ帝国軍の上級吸血鬼シルルスは、数十人程度のプロヴィア人らの中から、ひとりだけ高貴な魔力を感じとりほくそ笑んだ。


「出てこい。プロヴィアの女王。フードで顔を隠そうとも、貴様の魔力で感じ取れるのだぞ」


 ざわめきが起きたがプロヴィア人たちは動かなかった。動揺が小さいのは、ここに死んだことになっている女王がいることを知っているからだろう。


 ――おどいたのは、何故我らが女王の存在を知っていたか、かな?


 シルルスは冷徹に、しかし一点を注視した。

 沈黙は長くは続かなかった。一団から、フードを被った人物――女王が前に出てきたからだ。隠れても無駄だと察したのだろう。


「貴様がプロヴィアの女王か?」

「プロヴィアの女王は、大帝国によって処刑されました」


 き通る声だった。シルルスはうなじがひりついた。――なんたる美しき声。この女子の魔力は格別だろうな……!

 性的な興奮を押し隠し、シルルスは平静を装った。


「影武者であろう? 当の大帝国も貴様を探していたぞ」

「……」


 その女はフードをとった。長く美しい銀色の髪がこぼれ落ちた。


 シルルスは一瞬、言葉に詰まった。絶世の美女とはこの女のことを言うのだろう。水面のように青く澄んだ瞳。先ほどまで感じていた神々しいまでの魔力が強くなった。この世に神々が存在するのなら、その中にいてもまったく違和感がない人間がそこにいた。


 ――ああ、これは……。


 シルルスは胸の奥から込み上げてくる欲求を抑えるのに苦労した。蹂躙じゅうりんしたい。血をすすりたい。魔力を取り込みたい。おそらく極上の快感に導いてくれるに違いない。

 しかし任務である以上、個人の欲求はしまっておく。上級吸血鬼の理性さえ狂わせそうな獲物というのも大概だと、シルルスは思った。


「……なるほど、これは特別だ」

「吸血鬼よ」


 エレクシア・プロヴィアは言った。


「私に用があったのではありませんか?」

「なに、その国の指導者に尋ねている簡単な話だ。これも手続きというやつでな」


 シルルスは、気持ちの高ぶりを感じる。いつもなら、この手の役割を淡々とこなすのだが、今回ばかりは勝手が違った。


「我々スティグメ帝国は、この国をまとめる王に問うている。その場で我らにひざまづき、奴隷となるか、皆殺しになるか――」


 吸血鬼兵たちが魔法杖を構えた。


「我らにとって人間は獣、家畜である。害獣は排除せねばならぬが、我らは寛大である。従順な家畜には生きることを許してやる」


 シルルスは自分の足もとを指さした。


「プロヴィアの女王。ここにきて跪き、靴を舐めよ。さすればプロヴィア人は駆除対象から外してやろう」


 ざわっ、とプロヴィア人たちがどよめく。よぎったのは怒り。しかし吸血鬼兵たちの武器を向けられて動くことができない。


「家畜にしては中々賢いようだな。飛びかかってくれば全滅させてやったものを」


 シルルスは薄い笑いを浮かべた。


「さて、どうするプロヴィアの女王? 私も忙しい。貴様が我が靴を舐めないなら、プロヴィア人どもをすり潰す作業が待っているのだ」

「……私が跪けば、民の命は保証していただけるのですか?」

「そう言っている。民は賢いが貴様自身は頭の回りが悪いのではないか?」


 ――貴様!

 ――女王様に何と無礼な!


 怒るプロヴィア人たち。一触即発の空気はしかし、プロヴィア女王の手で制止される。

 女王はすっと、シルルスへと歩き出した。これには吸血鬼も口元がほころぶ。


 一国の指導者が跪くは従属の証。その瞬間、プロヴィアの民は吸血鬼の奴隷になることを意味する。


「私は殺していただいて構いません」


 りんとした口調でエレクシア・プロヴィアは言った。


「民の命はお救いくださいませ」

「では、跪いて我が靴を舐めよ」


 シルルスは淡々と告げた。冷ややかさを装いながら、この瞬間を待っていた。高貴なる者が命惜しさに無様にいつくばる様を――


『女王陛下、膝をつく相手を間違えていますよ』


 遺跡内に響いたのは男の声。そのどこからともなく聞こえた声に、シルルスは周囲を見渡した。


「何者だっ!?」

『この国に少々縁のある者だ』


 そこでようやく出入り口から靴音がした。その瞬間、見張りの吸血鬼兵が魂を抜かれたように脱力し、倒れた。


「なっ!?」


 何が起きたか分からないまま兵が倒れ、それは次々に伝染する。音もなく倒れていく吸血鬼兵。さながら死神に魂をとられたかの如く。


「そして久しいな。吸血鬼ども」


 魔術師ローブをまとう青年が姿を現した。その姿にプロヴィア女王は声を上げた。


「ジン! ジン・アミウール様!?」


 ――ジン・アミウール様!


 プロヴィア人たちがどよめく。シルルスは表情を引きつらせた。


「ジン・アミウールだとぉ……!?」


 その名を知らぬ吸血鬼はいない。何千年と語り継がれた吸血鬼にとっての死神! アポリト帝国時代からの吸血鬼軍の宿敵!


「お前たち吸血鬼を根絶するため、真なるアポリトの支配者の名代として参上した」


 ジン・アミウールは、静かにシルルスと吸血鬼兵を見据えた。

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