第1178話、シェード将軍はのんびりしたい


 大帝国の誇る名将マクティーラ・シェードは、ここ数年に及ぶ戦いで疲弊ひへいしていたのかもしれない。

 指揮官としての重圧。失われる命。貴族たちとの軋轢あつれき……。それらは人の心を蝕む。


 兵士は前線に居続けることで精神を病んでいく。重度のストレスがその人を変えてしまうのだ。

 戦地の経験とねじ曲げられた人格は、後方や故郷に帰った時にギャップとなり、周囲に馴染めなくなったその人を苦しめる。


 神経過敏、暴力的言動――これらを故郷に持ち帰らせないために、近代の軍隊では戦地から引き上げる兵士に、一定期間のリハビリ期間があると聞いたことがある。


 閑話休題。

 シェードは大帝国のために戦い続けてきた。そんな彼にとって、大帝国の分裂は大きなストレスだった。さらに味方から拘束されたことも相まって、それまで彼を支えていた糸がプッツリと切れてしまったのかもしれない。


「大帝国以外、ですか……」


 俺は微笑する。


「もしよろしければ、私の領地のどこかに家を建てて、ひっそりと暮らしますか?」


 悠々自適な隠居生活。ノイ・アーベントでも他の町や村でも、俺の領地内なら、のんびり暮らせるように手配できる。


「あなたの領地で?」

「いえね、どこかに暮らすにしても、おそらくアリシャと一緒でしょう? うちの息子や娘たちも、彼女とは会えるところにいたいと思うので」


 ちら、とレウを見れば、彼はコクリと頷いた。


「血は繋がってなくても、俺にとっては短いとはいえ娘として見守っていましたから」


 ほんと言うと、シェードのほうが俺よりアリシャといた期間は長いだろうな。……まあ、それは黙っておこう。


「セカンドライフ、ですか」


 シェードは意外そうな顔になった。ルンガー艦長は何とも言えない表情を浮かべている。


「あなたは、私を利用しようとは思わなかったのですか?」

「と、いいますと?」

「私はあなたの手中にある。大帝国の情報を収集するなり、あるいはセラスを人質に私を使うこともできたはずだ」

「「そんな!」」


 レウとニムが同時に声を上げた。


「父さんはそんなことしないよ!」

「ジン様はそのようなことはしません!」


 まあね。だってアリシャは娘だよ? そんなひどいことに使うわけないじゃないか。


「要するに、自分は大帝国でも有能な軍人なのだから、活用したほうがお得ですよ、というアピールですか?」


 つい皮肉ってしまう。言われたシェードは「いや、そんなことは……」と首を横に立った。


「シェード将軍。私はあなたのことを尊敬していますし、充分脅威だと見ていますよ。確かにこちらの手駒にできるなら、これほど頼もしい人間もいないでしょう」


 何せウィリディス軍が受けた被害は、そこそこ彼の手に掛かったものが少なくない。

 だからこそ――


「大帝国にあなたがいない、それだけで大帝国は大きな戦力ダウンとなります。協力しようとしまいとね」

「その理屈で言えば、私が大帝国の復帰を願ったら、あなたは止めたということですか?」

「望まれるのなら復帰してもいいですよ。ただし、今の大帝国にあなたを活用できる人材がいるとは思えませんが……」


 兵器についても、注目していた風と土の魔神機がこちらの手中にあるのだ。シェード将軍が大帝国に戻ることはよろしくないが、その脅威きょうい度はかなり下がっている。


「まさか、隠居生活をあっさり認めてもらえそうになるなんて、思いもしませんでした」


 シェードは自重気味に笑った。


「いえ、私もね、のんびり生活に憧れている口でして。お気持ちはお察しします」

「……なるほど。確かに、あなたほどの人物なら、周りが放ってはおかないでしょう、ジン・アミウール」


 ここにきて、初めてシェードは出された紅茶を口にした。


「少し、考えをまとめる時間をいただけるでしょうか?」

「もちろんです、シェード将軍」


 俺は頷くと、ふと気になっていたことを口にする。


「シェード将軍、個人的な質問で恐縮なのですが……」

「何でしょうか?」

「あなたは、クルフ・ディグラートルの息子ですか?」

「……は?」


 シェードの目が点になった。ルンガー艦長も目を剥いている。


「違いますが……。何故、急に?」

「以前、皇帝陛下と食事をした時に相談を受けたのです。自分には隠し子がいて、その子にプレゼントをあげたいが何がいいか、と」


 俺の発言にシェードは固まり、ルンガー艦長は緊張を漲らせた。……はたから見たら宿敵と知られる俺がディグラートルと個人的に食事をする仲であり、しかもプライベートな相談をされているって何なんだよ、というところか。


「あなたは何と答えたのですか? アミウール殿」

「本人に聞いてみたら、と」


 俺がその隠し子が誰でどういう人物か知らないからな。知らないものに助言などできんよ。

 しかし、シェードは皇帝の隠し子じゃなかったか。俺も確証があったわけじゃないけど。……ん?

 考え込んでいるシェード。おや、その顔は何か心当たりがありそうだな。


「アミウール殿、ひょっとしてあなたは、皇帝陛下より帝位をもらえると言われたのを『いらない』と突っぱねたことがあるのでは?」


 聞いていたルンガー艦長がギョッとして、飲みかけていた紅茶にむせそうになった。本当、この人たちはなに恐ろしいことをさらりと話しているんだ、と感じているんだろうなぁ。


「突っぱねたというか、息子が皇帝の子と知れば帝位を望むだろうかと言ったので、私ならいらないと答えただけのことです」


 あ、そう言えば――


「失念していました。ディグラートル皇帝は、自分が父親であることを息子は知らないって言っていました。これは失礼なことを言いましたね、申し訳ない」


 知らないのに、皇帝の息子ですかと聞くのはナンセンスだ。


「いえ」


 シェードは、やはり難しい顔で考えている。


「あなたの話が本当なら、以前お会いした際の陛下の話がに落ちるな、と……。まあ、私が皇帝陛下の血筋であるという証拠はありませんが」

「そうですね。遅かれ早かれ、当の本人は現れるでしょうから、その時聞いてみますよ」


 クルフ・ディグラートルは不死身である。その生存を、俺は微塵みじんも疑っていない。

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