第1037話、あの日、拾った少女
ディグラートル大帝国、ザルバーネン魔術研究所。
マクティーラ・シェード将軍は不機嫌だった。大帝国の若き名将は、魔法軍が管轄する研究所の一角にいた。
帝国西部にあるこの研究所は、魔法軍の指揮のもと、魔神機ならびに魔人機の研究、開発の中心地となっていた。
魔法文明時代の人型兵器の解析は進み、大帝国独自の魔人機の開発も行われている。
皇帝陛下の発令した、帝国魔術師全員に実施される『魔神機操縦者適性』、その結果を聞くためだ。
シェードと向かい合う形の医療魔術師は、何故将軍自ら結果を聞きにきたかわからず困惑していた。
「それで、どうなのだ?」
剣呑な調子でシェードが問うた。戦場で対峙する将軍は、こんな感じなのかと医療魔術師は背筋を伸ばした。
「はい、結果から報告させていただきますと、将軍閣下のお付きの副官殿には、魔神機の操縦適性がございます」
シェードの副官――セラスという名の女魔術師だ。フードを被り、人前に素顔をさらすことを避けている彼女だが、その魔法の腕前はとても優れている。……ただし、素性のわからないところはある。
「しかしながら、将軍閣下。彼女の身体検査の結果、我々、魔法軍でも把握していない技術が用いられておりまして」
「……」
「端的に申しますと、人工的な改造が施されております」
人体改造された魔術師。大帝国の魔法軍では、そういう後ろ暗い研究により人工的な改造人間が作られていることは、シェードも小耳に挟んでいる。
「かなり興味深い事例です」
医療魔術師はカルテを見つめた。
「詳細を調べ、魔法軍の人工魔術師の研究のよい――」
「資料になるとほざいたら、その首をねじ切るぞ」
シェードが低い声で告げた。見えない刃を突きつけられたように、魔術師は動きを止めた。驚愕に目を見開く。肝が冷えた。
「彼女は連れて帰る。そのために私自ら来たのだ」
何だかんだと理由をつけられて、魔法軍に拉致されてはかなわない。シェードにとって、セラスはそれだけ大事な存在なのだ。魔法軍のゲスどもに、預けていいものではない。
「皇帝陛下の勅命である、反乱者
医療魔術師は絶句する。いや、それだけで収まらず、情けなくも少し漏らしてしまった。
それだけ相対した将軍の向けた殺意が強烈だったのだ。
・ ・ ・
シェードが、セラスという女性にあったのは二年半前だった。
当時、連合国はクーカペンテ国に駐留していたシェードは、大帝国の騎士隊長として中隊を率いていた。
国境近くの町、その日は雨が降っていた。酒場で起きた乱闘騒ぎを止め、ひとり宿舎となっている高級宿へと向かっている最中、彼女を見つけた。
路地で薄汚れた布をまとい、夜と雨の寒さを凌いでいた少女。布の下に身につけていた服装は、見たことがない異国のものだったが、シェードはその少女に、一目で惹かれた。
金髪碧眼の、非常に整った美少女。十代後半くらいの彼女は、シェードより明らかに年下だった。
『君は……? 名前は?』
『……』
少女は困ったように顔を背けた。占領地である。そこの帝国の騎士に対して、無礼そのものの振る舞いだが、シェードは気にも止めなかった。
そして怒らなかったのは正解だったと、後でわかった。
彼女は、帝国はおろか、連合国の言葉さえ理解していなかったのだ。彼女の喋る言葉は、シェードも聞いたことがなく、中隊の誰もが知らない言葉だった。当然、意思疎通に苦労することになる。
雨の中、身寄りがなさそうな少女を拾ったシェードは、彼女の面倒を見るようになった。名前を聞いたが、彼女は名乗らない。どうも名前がないようなので、シェードがつけることにした。
『セラス。それが君の名前だ』
シェードの故郷で、天使を意味する。もっとも、少女――セラスがその名前の意味を知るのは、かなり後だったが。
生真面目で何を考えているのかわからない騎士隊長殿が、女をかこっている――噂は中隊に広がったが、なにぶん占領地のこと。大帝国の人間が強権を発動することは珍しくなく、見逃された。
少女に性的な交渉をしていない。身寄りのない孤児を育てている、と好意的に解釈されたのが大きい。
セラスは、シェードのもとで言葉を覚え、半年経たずに問題なく、帝国公用語の読み書き、さらに連合国の言語もマスターした。
かなり高い水準の教育を受けたのだと推測された。言語への理解の早さもそれが理由だろう。
ただ、シェードはセラスの故郷や、彼女にまつわることをほとんど知らない。それは彼女が記憶を失っていたからだ。
唯一、手掛かりになりそうなのは、服以外に身につけていた指輪がひとつ。古代文明時代の文字が刻まれているようだが、何故かセラスはそれを離そうとしない。だから詳細はわからない。シェード自身も、無理矢理、取り上げるなどということはしなかった。
おそらく、彼女の家族の品なのだ、とシェードは解釈した。
記憶を失っていても、それだけは手放してはならないと無意識のうちに反応しているのだと。
シェードは、セラスのことが好きだった。周囲から冷たく接せられる境遇に育ったゆえか、彼女のように他に頼る者がいないものに対して、シェードは優しかった。
もちろん、それまで気にしていなかった異性に関しての本能的な好みが一致した点もあるだろう。彼がそれを口に出すことはないだろうが。
そしてセラスもまた、シェードを慕い、よく尽くしてくれた。
かくて、シェードはセラスを個人的副官として、そばに置いた。
連合国との戦いが始まり、シェードが数々の武勲を立て、昇進していく一方、セラスもまた自身にある魔法の才能を開花させた。シェードを助け、その活躍を支えた。
そして現代に至る。戦争が終わったら彼女と籍を入れてもいいとさえ、シェードは思っていた。いや、家庭を築きたいと本気で願った。
だが、シェードにはセラスに関してある気がかりがあった。常人よりも優れた魔術の使い手だ。記憶喪失――実は大帝国の魔法軍が研究していた人工的な改造魔術師ではないか、と。
普通なら、シェードにはどうでもいいことだったのだが、大帝国内に発令された魔神機の操縦適性検査は、彼にとっては避けたい事案だった。
もし、セラスが施設から逃げ出した実験体だったりしたら……。
魔法軍の検査になど出したら、連れ戻されてしまうに違いない。だから自ら研究所へ乗り込んだシェードだったが。
魔法軍は関係していないが、別の組織で改造された人工魔術師という、シェードの予想の斜め上の結果が出た。
果たして、セラスはどこで生まれたのか……?
安堵していいものかわからない。今回の検査の結果、魔法軍に目をつけられただろう。シェードは、身内からもセラスを守らなくてはいけなくなったのだ。
・ ・ ・
魔神機の操縦適性検査の結果を受けて、大帝国内で空席となっていた大地の魔神機『セア・ゲー』が、セラスに与えられ、シェード遊撃隊に配備されることになった。
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