第1035話、退屈という名の毒
その男は、いつものようにノイ・アーベントのフードコートにやってきていた。
旅の冒険者を装うその男、ディグラートル皇帝。
いつもの賑わいを見せるフードコートで、いつもの席に座る彼。俺はその向かいの席に座った。
「やあ、ジン・アミウール。さっそく転移の杖は使ったかね?」
「ああ。ブルガドル・『クルフ』・ディグラートル」
俺は、薄く笑みを浮かべてみせる。
「久しぶりというべきかな、クルフ君」
「お久しぶりです、団長」
年配の皇帝が、次の瞬間、若き騎士の顔に変わった。
変身の魔法だろう。俺もやるから、クルフの変わりぶりにも驚かなかった。むしろ最近ではこっちのほうが馴染みがあるくらいだ。
「この姿になるのは、実に久しぶりだ……どうですか、団長殿?」
「うーん、俺の中で数日ぶりなんだがね。最後に見た時より、肉がついたのではないかな?」
クルフ――ディグラートル皇帝は快活に笑った。
「僕にとっては、この姿は本当に久しぶりなんですよ」
「そういうのならば、上出来というべきかもな」
「恐縮です。団長もお変わりないようで」
クルフは、心持ち頭を下げた。
「いやはや、敬語を使う相手と接するのは、これまた実に久しぶりです」
「天下の皇帝陛下だからな」
アポリト帝国の十二騎士にもなった上級騎士が、数千年の時を経て、一帝国の皇帝になる。
「出世したな」
「まあ、暇つぶしにはなりました。お互い、アディスホーラー攻略戦で不老不死になってしまいましたからね……。死ねないというのも不便なものです」
……やっぱ、あれ本当に不老不死になったんだな。
クルフが数千年後の今に生きているところからして、間違いなさそうだ。現代で実際に戦ったが、本来なら致命傷にも関わらず再生したもんな……。
俺もそうなっている。数日前のことだが、今の俺は不老不死だ。
「お前、暇つぶしと言ったが、この大陸侵略も、暇つぶしのためか?」
だとしたら、度し難い。そのために、どれだけの人間が死んだのか。……ああ、もちろん、俺が吹き飛ばした大帝国の兵士も含めてな。
「大陸統一は、いまだ誰も成し遂げたことがない偉業……と世間では言われていますが」
クルフは難しい顔になった。
「実際は、魔法文明時代にアポリト帝国がすでにそれをやっている。二番煎じは、僕も興味はありません」
「……では何故?」
その問いに、クルフは押し黙る。答え難い質問でもあるまいに、妙にもったいぶるものだ。俺は、じっと返答を待つ。
沈黙のテーブル。周りでは食事に舌を打つ客の談笑や、食器に当たるナイフやスプーンの音が聞こえる。
やがて根負けしたか、クルフは息をついた。
「……こんなことを言うと、この場で刺されそうなんですが」
「刺しても死なないだろう?」
何せ不死身だもんな。クルフは眉を一回吊り上げた。
「それもそうだ。……なら言います。一度、世界を滅ぼしてみたいんですよ」
「……何だって?」
世界を滅ぼす、とな? 一瞬、目の前の男が言ったそれが本気か冗談なのか図りかねた。
「ここまで長らく人類を見てきたのですが、世界は戦いに明け暮れ、いまだアポリト文明があった頃のレベルにすら達していない」
この世界は、優しくない――クルフは言った。
弱者は虐げられるのは世の常。しかし強者は自らの私欲に走り、それを発展に繋げることがない。常に富と権力を求めて、争いが絶えない。
「自らの土地を成長させるという発想がない。足りなければ、富める土地を奪えばいい――」
その考えには心当たりがあった。昨年末だったか、農業改革が必要と口にした俺に、ヴェリラリド王国の次に王であるジャルジーは『豊かな土地を手に入れるのか』とか言っていた気がする。
「現在の技術が未熟だからだ」
俺は指摘した。食料自給率は技術の発達で充分克服可能だ。どうしても作物が育たない土地でもなければ、元の世界でもそうだったように、時代が進めばこの世界だって変わるだろう。
「そうでしょうね。……その点、団長殿のノイ・アーベントは、よく発展しているようだ。もう十年早ければ、あるいは……」
クルフは遠い目になった。
十年早ければ、こんな大陸を巻き込む戦争にはならなかったってか? 無理いうなよ、俺がこの世界に、召喚されたのは二、三年前なんだぜ。
「とにかく、今の世は不毛です。一度リセットしたい」
「傲慢の極みだな」
俺は腕を組んだ。
「気にくわないから、世界を滅ぼすか。……神にでもなったつもりかな?」
「不老不死になどなってしまったのです。もはや人間とも呼べないでしょう?」
クルフは挑むように言った。
「長く生き続けました。そしてそれはまだ続くのです。人生が退屈となれば、他のことなどどうなろうと大した問題ではない」
「それが本音だな」
俺は意地悪く笑った。
「文明が未熟とか、世が発展しないなど建前だろう。結局のところ、自分が『退屈』だから世界を滅ぼしたいんだ」
その言葉を受けてクルフは笑った。大きな声だったので、近場の客たちが何事か見たが、それもわずかで、すぐに談笑や食事に戻った。
俺は、この瞬間の光景に世界を見た気がした。
ディグラートル大帝国が世界を滅ぼそうと動いているそれも、世界という尺度から見たら実は
随分とちっぽけなものじゃないか、人のやることなど。
……まあ、今はそれがわかったところで、どうにかなるものでもないのだが。
「退屈。そう、まさしく」
クルフは言った。
「人生において、退屈は毒です。退屈はやる気を削ぎ、人をくすぶらせてしまう。大帝国を築き、軍備を整え、大陸侵略を図ったのも、すべては私が退屈したため!」
ですが――と魔法文明の十二騎士から、大帝国の皇帝になった男は目を輝かせる。
「その退屈もまた、あなたという救世主が現れたことで、わからなくなりました。各国の弱い軍や国を踏み潰すのも、正直張り合いがなかったのですが――」
その男はかつて見せたことがない壮絶なる笑みを浮かべた。
「今はヴェリラリド王国軍というあなたの軍団がいる。勝とうが負けようが、私は退屈を紛らわすことができそうだ。団長、次こそいなくならないでください。最後まで戦いましょう……!」
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