第983話、傀儡の女帝


 ゴールティンは、陛下の私室と言ったか?


 てっきり執務室あたりだと思っていた俺は、完全に面食らった。


 通された部屋はひとりで使うには大きかったが、中央に天蓋付きの巨大ベッドがあって、家具なども、かなり離れた場所に置かれていた。大きな窓から差し込む光が、金と白の内装に照らされ、照明なしでも明るかった。


 ……ガチで、私室じゃん。


 室内にいたのは二人。以前、魔神機格納庫でお見かけした、息をのむような金髪美女が、ベッドの端に腰掛けて足をブラブラとさせている。服装はラフそうな白のワンピースタイプのドレス。


 そしてもう一人は、俺の天敵となりつつある黒騎士エリシャ・バルディア。こちらも金髪碧眼。年齢は二十歳前後に見えるが、いかにも好戦的といった表情と鋭い目元の持ち主だ。……なお、そのお胸は、どちらかと言えば平たい。


「来たな。……ゴールティン隊長、下がっていいですよ」


 腕を組んだ姿勢でエリシャは言った。どっちが偉いのかわからない。そのゴールティンは背筋を伸ばすと、女帝陛下に頭を下げた後、退出した。


「さて、ジン・アミウール」


 キッと、俺を睨むエリシャ。


「ヴァリサ陛下の御前なるぞ! 頭が――」

「エリシャ、貴女も退出していいわ」


 すっと、女帝陛下が柔らかな声で告げた。虚をつかれたらしい、エリシャが一瞬、狼狽した。


「へ、陛下ぁ?」

「わたくしは、ジン・アミウールとお話がしたいの。貴女は外で待っていてくれる?」

「しかし、陛下。この者をひとり残すのは――」

「危険? もう聞き飽きたわ、エリシャ」


 心底うんざりしたような表情を浮かべるヴァリサ陛下。


「大丈夫よ、彼はわたくしに手を上げるようなことはしないわ。軽はずみな行動をとればどうなるか、わからない彼ではないわ」


 すっと腰を上げるヴァリサ陛下。


「それに、仮に彼がわたくしを害したところで、代わりがいるわ」

「……」

「下がりなさい、エリシャ。三度も言わないわ」


 毅然としたヴァリサ陛下の言葉に、エリシャは一礼して、静かに部屋を出た。今度こそ二人きりになった。


「さあ、ジン・アミウール。ようこそ、来てくれました」

「非礼をお詫びします陛下。改めて、ジン・アミウール、参上いたしました」


 片膝をつき、臣下の礼を取る。


「顔を上げて、ジン・アミウール。今回は非公式です。作法は気にしなくていいわ」


 天使のような美女が、俺に微笑みかけている。


「さ、こちらに。お茶を用意したのよ。お口に合うといいのだけれど」


 女帝陛下に導かれるまま、俺はティーセットの置かれた丸テーブルまで移動。……召使いもいないので、これはセルフかな。


「失礼します、陛下」


 レディーのために、席を引く。


「あら、ありがとう。……でも、従者まで下げたのは失敗だったわね」


 専用の呼び鈴を慣らしたら、エルフのメイドさんが現れた。改めてカップにお茶を注ぎ、俺とヴァリサ陛下はテーブルを挟んで向かい合った。メイドさんが去るまで、お互いに見つめ合い、やがて彼女は口を開いた。


「改めて、今日は来てくれてありがとう」

「お招きいただきありがとうございます、陛下」

「ええ。先にも言いましたが、非公式のお茶会なの。貴方もリラックスしてくれていいわ。ふだん家でするような、素を見せてくれると嬉しい」

「善処しましょう」


 世の中、偉い人の話ほど鵜呑みにしてはいけないもの。無礼講だ、と上司に言われたから素を出したら、怒られたなんて理不尽な話もあるのだ。


 女帝陛下がカップのお茶を口にしたところで、俺もご馳走になる。赤みを帯びたその液体、そのお味は……甘い! 意外と渋みの少ないお子様味か。


「まずはお礼を。だいぶ遅れてしまったのだけれど、格納庫では助けられました。ありがとう」

「いえ。陛下が無事で何よりです」


 あの魔人機格納庫で、ドゥエルが突然、武器を振り上げてヴァリサ陛下を襲った時の話だ。……十二騎士選抜大会とか、その後のゴタゴタで日が経っていたが、俺に礼が言いたくて今回呼んだのだろうか。


「あれ以来、貴方のことは見ていました。選抜大会では、圧倒的な強さでしたね」

「恐縮です」

「全勝優勝。そしてそのあと、ゴールティン隊長と対決して、打ち負かした。とても驚きました」

「彼はとても強かった」


 俺が、この時代にきて戦った相手では、文句なしの一番だ。元の世界? それはベルさんとかディグラートルといった強者がいたよ。


「貴方は、このアポリトの外から来たとか」

「はい。残念ながら記憶を失っているために、どこで何をしていたか、よくわからないのですが……」


 ここにきて、何度となくついてきた嘘。回数をこなしているから、澱みなく出てくる。


「まあ、それは残念。外の世界の話をたくさん聞きたかったのに……」

「外の世界、ですか……?」

「ええ」


 ヴァリサ陛下は両手を合わせて、祈るように目を伏せた。


「わたくしは、このアポリト島の外を知りません。より言えば、この城の外に出ることもほとんどありません。……ああ、でも、そのほとんど出ない中で出た貴重なところで、貴方に助けられたのですね。運命を感じますね」

「運命、ですか」


 うん……。反応に困るな。


 とても美しい女性だ。外見年齢は若いが、中身は、そこそこのお歳と聞いている。しかし、話していると、見た目よりも若いというか、所々に夢見る少女のようなものを感じるのだ。


 そういえば、さっき、何かあっても代わりがいるとか言ってなかったっけ? ……おいおい、ひょっとしてまさか。


 俺は、あるひとつの考えが脳裏をよぎった。たぶん、元の世界で見たアニメや映画のせいで、そんな風に思い当たった気もするが。


 ひょっとしたら、この人、ヴァリサ女帝陛下のクローンとかではないか?

 人工的にエルフやその他種族を作り出す技術を持った魔法文明だ。人間のひとりくらい、作れてしまうのではないか?

 もちろん、証拠はないし、ただの妄想だ。些細な違和感から連想した単なる思いつきだ。


 ただこの女帝陛下、貴族院という名の老人会の傀儡だと聞いている。まさに人形。外見さえ同じなら、中身がどうだろうと支配する側からすれば、大した問題ではないのではなかろうか。


 俺がそんな考えを玩んでいる中、ヴァリサ陛下は楽しそうに話し続けている。

 アポリト帝国の女帝という名のお飾りである彼女。決まった行事に顔を出し、ただ座っているだけ。


「そう座っているだけ。周りが言うとおりに、頷けばそれでいいの」


 実に簡単なお仕事なのだという。アポリトの統治も未来も、彼女は討議の場から完全に除外されていた。

 そして語る。外の世界への興味。帝国城の与えられた区画でほとんど過ごす退屈な人生、などなど。


 だが彼女に悲観はなく、ただ子供が親や友人に愚痴るそれに似ていた。


「ねえ、ジン。貴方は、この島の外に出るのよね。帰ってきたら、わたくしに外の世界のお話をしてほしいの」


 かごの中の愛玩鳥――この人は女帝という立場でありながら、政治的なものにまったく無縁。お飾りとはよく言ったもので、ただのシンボルなのだ。


「ええ、陛下さえよろしければ、帰ってきた時には外の世界のお話を致しましょう」


 俺は、ほんわかとした気分で、目の前の美女に笑みを返した。

 それが、俺とヴァリサという名の女性との初めての会話だった。

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