第951話、皇帝陛下を飛ばしてみた


 フードコートで、俺はディグラートル皇帝と一緒に夕食を摂った。グリルステーキにチーズたっぷりのミートソースパスタ。あとはピザも追加で。


 相変わらずここの常連であることはSS諜報部から聞いていた。すっかり常連客のブルさんで、フードコートで働く人たちや常連たちから顔馴染みとなっている。

 ……ブルさんとベルさんって響きが似ているな、どうでもいい話だが。


「最近、姿を見せないから嫌われたかと思った」

「え、好かれる要素、ありましたっけ?」

「酷いな、トキトモ侯」


 ハッハッハ、と皇帝陛下は笑った。俺は「忙しかったんですよ」と答えた。


「あなたのところの軍隊が攻めてきましたからね」

「うむ、こっちは手ひどくやられた。まあ、さすがだよ、ジン・アミウールの弟子」


 ディグラートルの目や表情には、敵意は欠片もなかった。本当に世間話をしているような振る舞いだ。エアガル元帥をはじめ、部下を失った人間とは思えない。


「トキトモ侯は、子供はいるのか?」

「いいえ」


 唐突な話題だな。まだいないが、戦争が終わったら、アーリィーとよろしくやるから。……そういえば、最近、『お父さん』と呼ばれるようになったな。


「何です?」

「いや貴殿なら、息子に何かプレゼントしてやろうという時、何を選ぶかと思ってな」

「息子にプレゼント……?」


 少々意外だった。だがディグラートルの歳を考えると、子供がいてもおかしくない。孫がいてもね。


 だが……この人は確か――SS諜報部で調べたところでは、奥さんはすでに亡くなっていて、二人いた息子もすでに失っていた。……家族がいない。後継者どうするんだ、この人?


「隠し子でもいるんですか?」

「息子と娘がいる……らしい」

「らしい?」

「いや、息子のほうはわかっているが、娘のほうがな。いたようだが、消息がつかめない。生きているかもわからない」


 皇帝陛下にも複雑な事情がお有りのようだ。正妻、側室でもない女性から生まれた子供、ということなんだろうな。継承権とか相続云々で命を狙われる類いの。


「で、息子さんにプレゼントを? 何を送ればいいかわからない? 本人に聞いてみたらどうです?」

「そもそも向こうが父親が余だと知らん」


 それでどうしろって言うんだ。勝手にやってろ――と、俺は匙を投げかけるが、ふと思ったことを口にした。


「その息子をあなたの後継にしたいとか?」


 息子ジャルジーを王にしたいエマン王のように。


「皇帝にか? さあ、どうだかな。余は不死だ。後継ぎのことなど考えておらなんだ」


 そこで、ディグラートルは目を細める。


「もし、あやつが皇帝の息子だと知れば、望むだろうか……? 皇帝の座を」

「俺が息子だったら、いらない」


 好き好んで、大帝国の皇帝になりたいとは思わない。のんびり、凡人として生きていくよ。

 しばし押し黙る皇帝陛下。そしてまたも唐突に話を変えた。


「それでトキトモ侯、今日はどうしたんだ? 貴殿がひとりで余と食事をするとは」

「……あ、そうそう。あなたに協力してほしいことがあって」


 さも今思い出したふうを装う俺。……もちろん、目的は忘れていない。


「余に協力?」

「そう、転移魔法が使えるあなたに、これからある場所に飛んでもらいたいんです」

「ほう?」


 俺はストレージから転移の杖を取り出す。物を転移させるために作った魔法の杖であるが、いかんせん飛ばした物が戻ってこないという失敗作だ。


「たぶん、どこかに通じていると思うんですが、どこに出るか知りたいんです。ただそれを試すには、転移魔法が使えることと、死なない人間が必要なのです」

「その条件について詳しく」

「まず、どこに飛ばされるかわからないので、この世界の反対側に飛ばされるかもしれない。でも転移魔法なら、すぐに戻ってこれるでしょう? とくにあなたは、このフードコートのことは、目をつぶったって転移できるはずだ」


 何せ毎日、あしげなく通っているもんな。


「第二、飛ばされた先が、人間の生存に適さない環境だった場合に備えてですね。出た先が海の底だったり、空の彼方だったりしても、死なないなら転移で脱出もできる」


 俺は、ディグラートルを見つめた。


「転移魔法なら俺も使えますが、あいにくと不死ではないので、試せずにいたのです。せっかく条件に揃った人間が目の前にいるのだから、魔術師としての好奇心のためにも解決しておきたいんですよ」

「魔術師としての好奇心か」


 ディグラートルは鼻で笑う。


「余の配下にもそういう者はおる」

「……で、この転移ツアーをお楽しみになる勇気はございますか?」

「面白そうだが……それを余がする理由は?」

「理由なんてありませんよ。あなたがするかしないか、それだけです」

「断ったら?」

「その時は、いつか条件を満たせる人間が現れるまで、待ちます」


 別にあなたでなくてもいいんですよ――なフリ。ガッツいているように見せないのが肝心。

 ……と、思ったのだが、ふとひらめいた。この人、確か――


「そうだ。もし、やってくれたら紹介しますよ、ジン・アミウールに」

「!」


 ディグラートルの眉がピクリと動いた。すぐに口の形に苦笑に変わる。


「ジン・アミウールは死んだと聞いた」

「誰も彼の死体を見ていない。生きていますよ」


 転移しますか? しませんか? ――俺が杖を振ると、ディグラートルはワインを飲み干し頷いた。


「やろう。飛ばしてくれ」


 どこかこの世界ではないどこかに飛んで、そのまま帰ってきませんように――俺は転移の杖を起動させ、ディグラートルに向けた。


 転移!


 その瞬間、ヒュンと彼の姿はかき消えた。……生きていれば転移魔法で戻ってくる。

 姿を現さなければ、この世界から抹消された可能性もある。転移でここではなく、帝都に戻るという可能性はあるが、そこはSS諜報部が見張っているからわかる。


 このまま皇帝が消えれば、大帝国打倒のための時間稼ぎには充分だろう。

 馴染みのブルさんが消えたことで、周囲の客がざわめていた。……それに気づくのが遅れるほど、俺は緊張していたのか? しっとり手に汗をかいているのに、いまさら気づいた。


 何となく居心地が悪くなって、残っているピザの欠片をかじる。冷めてた。

 ふっと、目の前に人影が現れる。――ああ、戻ってきた。どうやらこの策は失敗か。

 俺の座る席の向かいに、ディグラートル皇帝は帰還した。


「どうでした?」


 俺が問うと、皇帝陛下は重い息を吐いた。


「昔を思い出した」

「どこに出たんです?」

「故郷だ」


 ディグラートルは短くそう告げると、席を立った。


「貴殿も行ってみるといい。余……私に転移魔法を教えた貴殿なら、戻ってこれる場所だ」


 教えた……? 俺が転移魔法を? 何を言ってるんだ?


 困惑する俺を余所に、ディグラートルは踵を返した。


「そうだろう、ジン・アミウール?」


 ドキリと心臓が大きく鼓動した。そりゃ戻ってきたら、ジン・アミウールを紹介すると言ったが、その種明かしをする前に、彼は俺がアミウールだと看破した。


 何故だ? いったい、どこに転移したんだ、この男は?


 ディグラートルの姿はない。自身の転移魔法で帝都に帰ったのだろう。

 もしかしたら時間が稼げるかも作戦は失敗したが、同時に新たな謎を俺に植えつけていく結果になった。

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