第888話、一太刀


 即席のルプトゥラの杖の魔法から逃れ、転移魔法で俺の背後に回ったつもりのディグラートル。彼の大剣が、魔術師の身体を一刀のもとに斬った。


「ご主人様!」


 サキリスの悲鳴じみた声。ダスカ氏もまた「ジン君!?」と驚愕している。


「いつからだ……?」


 ディグラートルは呟く。

 すっと振り返る黒髪の魔術師は、何事もなかったようにニヤリと笑った。


「さあ、いつからでしょうね……?」


 俺の声は、彼の四方から聞こえただろう。魔術師――魔力で形成した分身が消える。


 その瞬間、無数の岩のスパイクが地面から生えて、皇帝を串刺しにしようとした。だが彼は、素早く飛び退き、岩の棘の海から逃れた。


 ……うむ、心なしか動きが、遅くなっているような。ルプトゥラの杖の一撃が、ダメージを与えているのかな?


 ディグラートルの左手方向で、霧から出てくるように姿を見せてやる。彼は、それを見逃さなかった。


 アイスブラスト。鋭く尖った氷の塊が三発。ビュンと風を切る。皇帝陛下は魔法も一級らしい。


 魔法障壁を展開して、氷礫を防ぐ。こいつはお返しだ――!


 直後、ディグラートルの周りに無数の氷柱が現れる。その数およそ六十本。さながら氷のドームに包まれたようだ。


 まさに逃げ場なし! それらが一斉にディグラートルの身体を貫く!


「無駄だ、その程度の氷など効かぬ!」


 氷柱が密集してかまくらよろしく皇帝の姿が見えなくなる。


「……そうか。閉じ込めるというやつか。しかし――!」


 ディグラートルの声が氷の中とは別のところから聞こえた。


「短距離転移であれば脱出も可能だ!」


 めきめきと地面の一部がむりやり引き剥がされる。震動があたりに伝わり、ギャラリーたちが踏ん張って転倒をこらえる。


 持ち上がった巨大な岩。それを制していたのはディグラートル。


「くらえぃ!」


 迫る巨岩。一般住宅規模の大きな岩塊だ。しかしそれは俺には届かない。空中でピタリと制止する。見えない力――魔力による押し合いが発生。力が拮抗しているために、ディグラートルの押しも、ピクリとも動かない。


 むしろ、巨岩が左右からの凄まじい力の押し合いに、ギシギシと悲鳴を上げる。中央で亀裂が走り、やがて巨岩は砕けた。


 バラバラと落下する岩の破片の中、ぬっとディグラートルが現れ、大剣を構える。ギロチンの如き一刀。しかし刃は、俺の出した見えない壁に弾かれる。


 ディグラートルの目には、俺が拳法家の構えをとったように見えたことだろう。ベルさんとも互角に打ち合った剣が、俺を刻まんとさらに襲いかかる。


 対して、振るわれる腕の先の障壁ブロックが的確に、皇帝の刃を防いでいく。……コントロールするのが大変だ。


 だがついに、一撃が防御をすり抜けた。恐るべき刃が、いとも容易く切り裂き――


「ぬうっ!?」


 ディグラートルが歯嚙みする。


「またも、偽物かッ!?」

「操り人形を動かすのも大変なんだ……」


 俺は、彼から離れた後ろに立っている。

 皇帝が俺だと思って戦っていたのは、魔法杖と、見えない魔力ブロックが二つ。そこに擬装魔法で俺の姿を映していたわけだ。障壁を張って身を守れば、本物だと思うだろう?


 ディグラートルが擬装魔法で浮いていた魔法杖、その柄を切断した。……そう、そこに魔法杖があるんだよ。ただ防御するだけなら魔法のブロックだけでよかった。どうしてそこに魔法杖があると思う……?


 その瞬間、簡易ルプトゥラの杖がその力を解放した。一点凝縮の魔力、その光の魔弾は皇帝を守る魔法防御に防がれ、だが次の瞬間貫いた。


 一回目で一応効いているのがわかったから、今度は連続放射ではなく、一瞬に特化するよう調整させてもらった。


 皇帝の鎧を貫き、その身体を貫通すると背中へと抜けた。腹部にぽっかり大きな風穴が開いたら、普通は死ぬ。


「ぐふっ、み、見事だ……」


 ディグラートルが膝をつく。ドバドバと血が流れ、滴り、地面を赤黒く染めていく。


「痛いな……痛い」


 ぐっと歯を噛み締めたのも刹那、口の端から流れ出た血を物ともせず、ディグラートルは笑った。


「痛覚は人並みにあるのでな……。だが残念だ、これも直に再生してしまうだろう……」


 ちら、と、瀕死にも見えるディグラートルは俺を一瞥いちべつした。


「楽しかったぞ、ジン。そして漆黒の騎士よ。次はもっと激しく、思う存分、戦おうぞ……!」


 すっ、と皇帝の身体が透過し、数秒と絶たずに消えた。魔力の反応もなし。姿を消したのではなく、転移したのだろう。あの口ぶりでは帝国に帰ったのだろうな。


 やれやれ……。


 どっと疲れた。こんなに魔力を戦いで酷使したのも久しぶりだ。俺はその場に座り込んだ。


「まったく……あれだけやって死なないとか。マジ、不死身かよ……」

「ご主人様!」

「ジン君!」


 サキリスやダスカ氏、シェイプシフター兵らが駆けつける。気のせいかな。先ほどから二人とも、そればっか言ってない?


「お怪我はございませんか、ご主人様!? 本当に、あの、とても凄く――」


 興奮も露わにまくしたてるサキリスが俺のそばに膝をつく。心配げに覗き込むような彼女。やってきたベルさんが肩をすくめた。


「とんだ化け物だったな、ディグラートルは」

「もし世の中に魔王を倒す勇者がいるのなら、あれくらい強いんだろうな」


 まったく、こちらがラスボス認定している奴が勇者並とか笑えない。


「あれで仕留めきれないとはな」


 ベルさんは腕を組んだ。


「奴が不死身という噂は、本当だったようだな」

「本当に殺せないとなると、皇帝以外――大帝国そのものを崩壊させて、戦えない状態にする形で戦争終結させる案が現実味を帯びてきたな」


 これまでやってきたことなんだけど、最近、暗殺案も――などと考えていた手前、何というか選択肢のひとつが消えてしまったガッカリ感があった。


「とはいえ、今回の戦いをふまえ、暗殺案の検討は続けるべきだと思う」


 一度やったから駄目と決めつけるのもよくない。むしろ、その対戦経験から、新しい案が浮かぶこともある。……そうだな、捨てるのは、まだ早い。


 厄介なのは簡単に死なないことと、転移魔法か。


 そこでふと思う。転移魔法が使えるなら、あの必殺武器となっている転移の杖で飛ばしたらどうなるんだろう、と。


 俺の保持する魔法杖の中で、対象を転移させる杖がある。ただし、失敗作であり、転移したらそのまま消えてしまう仕様だ。


 どこに行くかわからない転移の杖。もし転移魔法で帰ってこられるなら、どうなっているか聞くことができるな。もし帰ってこれないなら、そのまま葬ったことになるし……。


 これも一応、候補にしておくか。


 俺は立ち上がると、一同にノイ・アーベントへ帰ろうと伝えた。対策を考えるのも重要だが、まずは今回の一件を、エマン王にも報告しておかないとな。


 敵国の首領と会いました、という報告も面倒ではある。だが内緒にしておくと、いらぬ疑いをかけられる恐れがある。また味方に背中を刺されるのはご免だ。

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