第889話、皇帝、ヴェリラルド王国を気にいる
ディグラートル皇帝、ノイ・アーベントを訪問す。
俺はウィリディスの白亜屋敷で、エマン王に報告した。場にはベルさんとダスカ氏も目撃者として同行。そこで皇帝と剣を交えたことも付け加える。
「……信じられぬ」
エマン王がそう言うのも無理はない。
「大帝国皇帝ともあろう者が単身、敵地に乗り込んでくるなど……」
「それだけ聞くと勇者だな」
ベルさんが皮肉げに言った。
「ありゃ、戦士としても超一流の実力の持ち主だ。何せオレ様でも仕留められなかったからな」
「……ううむ」
エマン王が、ちらとダスカ氏を見た。初老の魔術師は頷いた。
「いやはや、全盛期のジン君とタメを張り、ベルさんですら互角に渡り合う。只者ではありませんでした」
「皇帝は、転移魔法を使う、か……」
これ以上ないほど険しい表情を浮かべるエマン王。
「奴はどこでも好きな場所に行けるということか?」
「どこでも、というわけではないでしょう」
俺も転移魔法を使える手前、ディグラートルの発言をもとに意見を言う。
「一度行った、印象に深く残っている場所へ転移ができる類と思われます。今この瞬間、ここや、王城に現れるということはありません」
初出現がストレイアラ号。あれは皇帝の知っている船だった。そこに転移し、あとは見える範囲の短距離転移を使って、キャスリング地下基地の空洞から地上へ出て、街道に出た後、ノイ・アーベントに来た、という流れだろう。
「懸念があるとすれば、キャスリング地下基地とノイ・アーベントですね。おそらくディグラートルの印象に残っているでしょうから、そこには彼が転移してくる可能性はある」
料理目当てにノイ・アーベントのフードコートに現れる、なんてありそう。
「防ぐ手立ては?」
「残念ながら……」
あれだけの化け物が、いつどこに現れるかわからないのでは、手の打ちようもない。よしんば発見したとして、誰がアレを倒したり捕らえたりできるというのか? 俺かベルさん以外なら、どんな手を講じようが力業で突破されるのがオチだ。
「幸い、ポータルと違って、彼ひとりのみの転移ですから、いきなり王国に大帝国軍が現れるようなことはないでしょう」
奴もポータルを使える、となると話は別だけどな。……まさか使えたりするか?
「こちらとしては要所の警備を強化。皇帝がまた単身で現れるようなことがあれば、俺とベルさんで対処する……それくらいしか今は手がないかと」
「ああ、今度こそ仕留めてやる」
ベルさんは、前回途中で止められたから再戦する気満々だ。リミッターはかけておいてくれよ、頼むから。
「うむ、我々の敵は、恐るべき実力者だったわけだ」
エマン王は腕を組んだ。
「今は、できることをやっていこう」
・ ・ ・
「おや、お帰りなさい」
ディグラートル大帝国、秘密拠点『遺産の巣』。研究室で紅茶を
だが、のんびりと声をかけた馬東の眉がピクリと動く。
かの皇帝陛下は、その戦士の出で立ちながら鎧が壊れているではないか!
「大丈夫ですか?」
「ああ、腹に穴が空いたよ」
平然とした調子で、ディグラートルは返した。確かに、彼の胴鎧には穴が開いていて、そこから鍛えられた腹筋が見えている。傷口はなさそうだが、穴の様子からみて、再生したのだろう。
「ストレイアラ号の先で、戦闘になったのですか?」
「どこに出たと思う?」
ディグラートルはマントをとり、近くの机に投げた。いやに楽しそうな顔だ、と馬東は観察しながら思った。
「はて、反乱軍のアジトではないのですか?」
「ヴェリラルド王国の地下基地だった」
「何ですって?」
さすがに聞き間違いか、と馬東。ディグラートルは事の
「……にわかには信じられない話ですね。まあ、貴方ですから信じますけど」
ジン・アミウールの弟子と対面できるとは、皇帝陛下は運がよろしいようだ。
「しかし、貴方の話から推察するに、反乱者は、ヴェリラルド王国が背後に関わっていたということですか」
「うむ。おそらく、ファントム・アンガーも関わっているだろうな」
ディグラートルが合図をしたので、馬東は彼に紅茶を用意する。
「そしてこれら全てに兵器を供給している謎の国シーパング」
「……はてさて。これから、かの王国をどうなさるおつもりですか?」
反乱者どもを裏で支援していたというのなら、ヴェリラルド王国は早々に叩いてしまうべきではないか。
だが馬東の考えをよそに、ディグラートルは他人事のような顔になった。
「シェードに任せる。が、今の西方方面軍では少々戦力不足は否めない。増援は送ってやる」
「方針に変更はなしで?」
「西方方面軍が勝つならそれでもよい。もし負けても、ジン・トキトモと奴の軍団と余と余の軍団が直接戦えばよいだけだ」
おや、この人は、どうやらジンという男を気に入ったようだ。かのアミウールの弟子を、戦争という名のゲーム、その対戦相手に選んだらしい。
「では、当面は、ご自身では手を下されない?」
「これまで通り、戦力の回復と遺跡探索に注力する。魔法文明の『アレ』は何としても手に入れたい」
ディグラートルの双眸が光る。古代魔法文明時代の超兵器――この世界のどこかに眠るといわれるそれ。八つの光点――いや、八本の世界樹が手がかり。
そこでふと、皇帝は話題を変える。
「そうそう、ノイ・アーベントは食に関して、かなり進んでおったぞ」
「そうなのですか?」
「うむ。これから余は、食事はそちらで摂ろうと思う」
「……これまた大胆なことをおっしゃる」
馬東は苦笑した。皇帝陛下自ら通うなどと言うとは、相当なものだろうと推測できるからだ。
「ジン・アミウールの弟子のお膝元でしょう? いくら貴方でもお一人では危険では?」
「奴らには何もできんよ。ただ余は食事をしにいくだけだからな」
「……その能力を諜報面でお活かしになれば、貴方ひとりで国も転覆させられたやもしれませんのに」
「そういうのは若い頃に充分堪能したからな」
皇帝は相好を崩した。
「人生には楽しみがなくてはいかん」
「それで足元をすくわれるようなことになっても、ですか?」
「むしろ、望むところだ」
彼は、実は戦争の勝ち負けにあまり関心がないようだった。
ジン・トキトモとその仲間たちが、どのように大帝国に抵抗するか見物だ。ディグラートルは不敵な笑みを浮かべるのだった。
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