第886話、交わる刃
「提案ですか。……伺いましょう」
ディグラートル皇帝と向かい合い、お茶をしている俺。大陸を支配しようと画策し、ヴェリラルド王国にもその魔の手を伸ばすこの男の提案とは?
「何、簡単なことだ。余と戦ってはくれまいか?」
「戦い……?」
俺は慎重に言葉を選ぶ。
「それはつまり、サシで勝負を?」
「そういうことだ」
控えている暗黒騎士、ベルさんが剣の柄を握った。これまでじっと見守ってきた彼だが、斬っていいと言われたら、すぐにでも飛びかかりそうではある。
「本当は、ジン・アミウールとの決闘を望んでいたのだがね」
ディグラートルは涼しい顔でそう告げた。
「彼亡き今、その弟子である貴殿と戦ってみたい」
「奇遇ですね。私もあなたとの衝突は不可避だと思っておりました」
暗殺、という手は控えたかったが、考えなかったわけではない。
「それは僥倖。いま余が、ここにいることを大帝国では誰ひとり知らぬ。このまま余を殺すことができれば、しばし本国は混乱するであろうな」
「皇帝陛下、失踪。……確かに魅力的な話ではあります」
そう口にしつつ、俺は背中に冷たいものが流れる感覚にさらされる。言葉とは裏腹に、微塵も恐れも見せない豪胆さ。彼はまるで、散歩にでも行くだけという気軽い調子を崩さない。
不死身ゆえ、か。次の瞬間、ベルさんが首を刎ねることだってできる状況なのに。
「しかし、それで戦争が終わるとは思えません」
「だろうな。余がいなくなれば、次に権力を手に入れた者が、後を継ぐだろう。好き勝手やる奴も出てくるに違いない」
皇帝は他人事のように言った。
「だが、しばし混沌をもたらすことはできる。貴殿は英雄になれるぞ。皇帝ディグラートルを討ち滅ぼした者として」
「……それは困りました」
俺は、ディグラートルから立ち上るオーラとは別に、自身の感情が冷めていくのを感じた。
「私は、英雄を望んではいませんので」
「……怖じ気づいたか?」
「すでに英雄ですから。これ以上の名声はいらない」
その言葉に、皇帝は目を丸くした。
「ほう、面白い。だが困ったな、どう言えばやる気を出してくれるかな?」
「戦うという提案はお受けしましょう。……あなたの言う通り、護衛もいない今は、絶好の機会」
ベルさんがデスブリンガーを構える。……やりたくてウズウズしてるなこの人。
「衝突不可避なら、やらない理由はない」
物事にはタイミングというものがあるとはいえ、どうせ戦うのだ。早いか遅いかの違いでしかない。
「左様。私が本国に帰れば、ここのことも部下に話すだろうからな。貴殿にとっても口封じはしたいだろう?」
「場所を変えましょう。さすがにこの部屋で戦うには狭すぎる」
すでに皇帝陛下の目は、戦う戦士のそれだった。武闘派と評判の彼を奇襲するには、すでにその機会を逸している。
「うむ。我が提案を受け入れたこと、感謝するぞ、トキトモ侯爵」
ディグラートルもソファーから立ち上がった。
「では、殺ろうか!」
・ ・ ・
かくて決闘することになった。場所は、ノイ・アーベントから離れた荒野。
さすがに人目の多い場所で皇帝と戦うのはどうなのか、と思った結果である。それに、一般人がいないなら、思い切り魔法を使っても周囲に被害を出すこともないだろう。ダスカ氏やサキリス、シェイプシフター兵らが周りにいるが、流れ弾には注意してもらいたい。
いきなり舞い込んできた皇帝暗殺の機会。無駄にはできない。
「おい、ジン。こいつはオレにやらせろ」
先ほどから臨戦態勢のベルさんである。
「皇帝陛下は俺と戦いたいって言っていたんだけどな……」
とはいえ、ベルさんの気持ちもわからないでもない。
「……というわけなんですが、よろしいですか?」
「構わん。ウォームアップにちょうどよい」
余裕のディグラートル。ベルさんが「ぬかせ」と吐き捨てた。……相手はベルさんのことを侮っているぞ、やっちまえよ。
「ああ、倒してしまってもいいんだろ?」
「どうぞご自由に」
向こうも当然、こっちを殺しにくるからね。これは試合ではない。
二人が対峙する。空気が変わった。
冷気を帯びた風がすり抜け、ギャラリーたちは口を閉じた。
そして始まった戦闘。暗黒騎士と、冒険者風の皇帝。得物は双方とも大剣。それが激しくぶつかり、火花を散らす。
……へぇ、ベルさんにパワー負けしていないな。
五十代である皇帝というのが、少々信じられないくらいよく動く。この人、俺が去年出場した王国の武術大会に出ても、そのまま通用するのではないか。
いや、ベルさんと剣戟を交えてる時点で、優勝候補くらいの実力はある。
重々しく、とかく大振りになりがちな大剣を器用に扱うベルさん。しかしそれはディグラートルも同じ。玉座にふんぞり返っている皇帝に、ここまでの戦いができるのか……。俺は驚きを禁じ得なかった。
金属がぶつかる音が激しく響き渡る。……ヤバイ、この皇帝、マジで強い。
風を斬る一刀の重さは、容易く首どころか胴体さえ両断するだろう。もし彼に十人の完全武装兵がまとめて襲いかかったとしても、五秒と絶たず全滅するのが見えた。
もちろん、ベルさんも負けていない。ギロチンの刃にも似た凶器を、デスブリンガーでいなし、弾き、また反撃を加える。ディグラートルといえど、自身の放つ剣に匹敵する攻撃は、防ぐかかわさねば致命傷になりかねない。……いや、不死身というのが本当なら、まだ余裕なのかもしれないが。
「ぬんッ!」
「おおおッ!」
どちらの動きが目まぐるしくなってきた。明らかに魔法的なブーストがかかっていて、常人の動きではなくなっていく。空を切ったそれは刃となって地面を削り、剣は岩を砕く。
「やるな、貴様」
「お前もな!」
あのベルさんと対等以上に渡り合っている。しかもベルさんは、徐々に自身のギアを上げていっている。彼は大悪魔にして魔王。その本来の力を制限してここにいる。
その彼が力を上げていっているということは、ディグラートルはすでに常人のそれを凌駕していることに他ならない。
人類最強の戦士――おいおい、奴は勇者様だってか?
対する魔王様も兜で隠した奥から不気味な笑い声が漏れはじめる。楽しんでいる……! この人、戦いを楽しんでいるぞ!
「フハハハハハー!」
瞬きのあいだに肉薄。その一撃がディグラートルを吹き飛ばす。
しかし皇帝も手にした大剣できちんと防いでいる。だがそれでも吹き飛ばされた。それだけ凄まじいパワーなのだ。……それでも壊れない皇帝の剣も大概だ。
見守るサキリスやダスカ氏は微動だにできず、ただ呆然としている。気持ちはわからなくもないが……ちと、まずいなこれは。
俺は内心焦ってくる。ベルさんが、その身体に黒いオーラをまとい出した。
魔王様が、その本領を発揮し出したのだ。
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