第884話、その男、ディグラートル


 その男は、ノイ・アーベントの役場のVIP用応接室のソファーに座っていた。


 ポータルを経由して、役場に到着した俺は、グラナテ型人工コア『ガーネット』から事情を聞いた。その人物が現れた様子と、役場の魔力カメラの撮影した映像を確認。


 黒い外套、背中に大剣を背負った五十代半ばと思われる長身の男。


 キャスリング基地に一瞬だけ姿を捉えた不審者に一致する外見。そしてマスクを外している今、露わになっているその顔は、大帝国皇帝ブルガドル・クルフ・ディグラートルその人だった。


 スフェラに確認させれば、SS諜報部がつかんでいる皇帝の顔、そのものだと証言した。ダスカ氏は驚きを隠さない。


「いや、まさか、大帝国の皇帝ともあろう大物が護衛もつけずに単身現れるなど……」


 信じられない? ああ、俺も信じられない思いだよ。

 いつでも戦えるように黒騎士姿であるベルさんが、唸るように言った。


「しかし、どうやって奴はここまで来たんだ?」


 大帝国の空中艦艇は、索敵網に引っかかっていない。まさか本国から歩いてきた、なんて馬鹿なこともあるまい。


「まあ、俺に会いにきたというなら、歓待しないといけないだろう」


 かの大帝国の最高指導者様だ。本来なら国をあげてお出迎えしないといけないレベルの立場にある相手だ。たとえ交戦国の指導者とはいえ、礼儀はある。


「……ここで始末をつける手もあるぞ」


 ベルさんがデスブリンガーに手をかける。敵国である。敵地に護衛もなく乗り込んで無事に済むと考えるは楽観が過ぎるというものだ。だが俺は、ベルさんに抑えるよう態度で示す。


「まずは話を聞いてからだ」


 それからでも遅くはないだろう。俺とベルさんは、応接室へと移動する。ダスカ氏や、ノイ・アーベントを取り仕切るパルツィ氏、ガーネットは別室にてモニターする。応接室には、密かにスフェラ配下のシェイプシフターが忍び込む。


 ……念のため、顔を変えておくか。


「お待たせしました」


 部屋に入るなり、俺は一言。自称、皇帝陛下はソファーに座ったまま大仰に応じた。


「構わん。非公式な会談だ。帝への礼は不要だ」

「それでは、お言葉に甘えて」


 彼の前で、軽く頭を下げた後、向かいの席に座る。跪いたりはしない。しなくていいと彼が言ったのだから。


「ジン・トキトモです。ここで侯爵をしております、ディグラートル陛下」

「ふむ、思っていたより若いな」


 ディグラートルは名乗らなかった。ここに来る前に名乗っているからか、はたまた、皇帝ゆえ名乗らなくても顔を見ればわかるから、か。……しかし皇帝よ。残念ながら、ヴェリラルド王国であなたの顔を知っている人間はほとんどいないよ。何せ写真もろくにない世界だからね。


 ベルさんは俺と皇帝からやや離れた位置で立っている。黒騎士姿ゆえ、素顔は見えないが何かあれば即、武器を抜けるように備えている。


「貴殿がジン・アミウールの弟子か」

「はい」


 本人なんだけどね。変に思わせぶりな言動をして、それを悟られるのも面白くないので、普通に頷いておく。


「我が帝国は、ヴェリラルド王国と交戦状態にある」

「はい」

「軍は、貴殿の存在を大きな脅威だと予想した。事実、去年も含めて、我が軍の侵攻は失敗を続けている。……貴殿の活躍が大であろうな」

「光栄です」


 そのような認識を大帝国軍が抱いているなら、よっぽどジン・アミウールという存在がトラウマとなっているのだろう。


「買い被られている感もありますが……」

「そうだろうか? 余を前に堂々と会話を交わしているのだ。貴殿は只者ではないだろう」


 まあ、そうかもしれない。二十歳そこそこの外見の若者が、その倍以上年上の、それも皇帝陛下と謁見して緊張をしないはずがない。


 とはいえ……。冒険者とおぼしきお召し物をされていれば、そこまで怯むこともないと思うがね。ただ武人然として、別の意味で威圧されるだろうけど。あいにくとこっちはベルさんで慣れてるんだよね、そのスタイルは。


「こちらから質問しても?」

「構わん」

「まず一点。ここまでどのように来られました?」

「親切な領民が、この町まで乗せてくれた」


 ディグラートルはくつろいだ姿勢をとる。


「ノイ・アーベントだったか、町を見せてもらった。よい町だな」

「恐縮です」

「……うむ、貴殿の聞きたいのはそこではないだろうな」

「はい、そこではありません」


 どう来たか、簡単に明かすつもりはないか、やはり。


 ディグラートルがカップを持ち上げるので、控えていたシェイプシフターメイドはすぐにお茶のおかわりを注ぐ。


「初めは、ストレイアラ号が行方不明になったと報告を受けてな」


 皇帝陛下はそんなことを言った。


「貴殿も知っているだろう。あれは魔法文明時代の代物だ。個人的に余も関心があったのでな、それがどこにあるのか探そうと思い立ったのだ」


 ストレイアラ号、キャスリング基地の不審者――


「信じられないかもしれないが、余は転移魔法が使えるのだよ。故にストレイアラを脳裏に思い描き跳んできたら……」


 ……なるほど、転移魔法ね。ヴェリラルド王国に単身で現れたのに合点がいった。ただディグラートルがそのような高度な魔法を使えるなんて知らなかったから、内心驚いているけどね。


「てっきり反乱者どもの拠点に出ると思ったのだがな。なるほど、反乱者の大元は貴殿だったのか」


 猛禽のような鋭いディグラートルの目が俺を射貫く。


「この戦争、本来なら異世界技術と古代文明技術を持つ我が大帝国が圧倒しているはずだった。それにケチがついているのは、貴殿の手腕なのだろう。見事だ」

「それは買い被りです、ディグラートル皇帝陛下」


 舌の上がざらついた。


「シーパング国の技術あってこそです。貴国の侵攻を払いのけられたのは」

「ふふ。シーパングか。……そういうことにしておこう」


 ディグラートルは思わせぶりに言って、茶で唇を湿らせた。……この人は、そうやって相手の反応をうかがうことに慣れているだろうな。


 王というのは、大抵そういうものだ。大陸制覇を標榜する皇帝ともなれば尚更、それくらいは当然のスキルだろう。


「貴殿は驚かないのだな、転移魔法と聞いても」

「お忘れですか、皇帝陛下」


 俺は薄く笑った。


「我が師、ジン・アミウールがどのような二つ名を持っていたか」

「はて、ジン・アミウールは異名が多くてな」


 ディグラートルは冗談めかす。


「神出鬼没の魔術師……そうも呼ばれていたな。なるほど転移魔法程度では驚かんか」


 ……正直いうと、かなり苦々しい気分なんだけどね。


 ディグラートル、一説には不死身説もある男。本当かどうかは確かめていなかったが、もしそうだった時、どう始末するかは考えた。


 その一案として、異空間へ放り込んで閉じ込めてしまおうと思ったのだが、ここで転移魔法が使えるとなると、話は変わってくる。


 異空間に追放してもひょっこり帰ってきてしまう可能性が出てきたということだ。


 いや、本当に不死身だった場合、マジでよくないぞ、これは……。

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