第882話、不審な影
飛行宅配便が運んできたのは、クレニエール侯爵からの近況報告だった。
東領の防衛準備の進捗と、東の隣国ノベルシオンが、いよいよ軍を動かしてくるのでは、というものだった。
ディグラートル大帝国の同盟国――実質、利用されている彼らが動く。となれば、大帝国のヴェリラルド王国包囲網にも動きが見られるということだ。
……まあ、うちのSS諜報部や空中偵察によって、それらも把握はしているんだけどね。
ちなみに、今回のお手紙を運んでくれたのは、俺が立ち上げた飛行宅配部門に所属するリェートちゃん。十六歳。かつては、イービスやベールと同じエツィオーグだった少女だ。
もう戦わなくてもいい。やりたいことをやればいい、というこちらの言葉を受けて、彼女が選んだ仕事が、この宅配業だった。
「お疲れさま。もう慣れたかい、リェート」
「はい、おかげさまで!」
元気に答える元エツィオーグの少女。紺碧色の制服に、風で飛ばされないように顎紐付きの帽子。肩掛けカバンは、収納魔法付きで見た目より多く運べる仕様だ。
ちなみに、制服の肩には鳥の翼をあしらったワッペンがついている。飛行魔術師エツィオーグ改め『フリューゲル』の紋章である。……中々、格好いいぞ。
「まだ仕事か?」
「はい、あと二件ほど」
手紙の受け取り証明にサインして、俺はそれを彼女に渡した。
元の世界では普通にやっていたことだが、いざ仕事として物を運ぶことをすると、その大切さを痛感させられる。
冒険者時代、お届け依頼をやったことがあるが、このちゃんと届けた、という証拠がないと、途端に嘘がまかり通ってしまうのである。
運ぶ側が盗んで、依頼主に届けましたと嘘を言って報酬をもらったり、あるいは届け先が、荷物は届いているのに、届いていないと言って運び手や発送者に賠償を迫ったり、などなど……。法整備が現代より進んでいない社会では、悪質な奴も少なくない。
「気をつけてな」
「ありがとうございます!」
立ち去るリェートを見送る。エツィオーグが使っていたスティックライダーを元に、レプリカ浮遊石を搭載した浮遊バイク『コメート』に乗り、リェートはキャンプから空へと舞い上がった。
その姿を見たら、昔アニメで見た箒に乗った魔女を連想しちゃった。
「トキトモ領って、進んでいるんですね」
しみじみとエリーが感想を漏らした。
「ここだけ別世界のような」
「それわかる」
アーリィーが同意した。
「一年前まで、まったく想像できなかったものが、目の前にある。色々なものがどんどん作られているから、退屈しないよ」
「ちなみにですけど、飛行宅配便はヴェリラルド王国では当たり前だったりします?」
「いや、まだ始まったばかりだから、トキトモ領と、隣のクレニエール領の一部だけだね」
領内の各砦と街道沿いの補給ポイント――南のポイント・エーデ、リバティ村とクレニエール城、そして東領の集落などなど。
ちなみに、クレニエール侯爵も、以前から飛行の魔法が使える魔術師を伝令として使っていた。理解がある分、この飛行宅配便には積極的に参加、協力してくれている。浮遊バイク『コメート』もすでに一ダース調達し、さらに拡充予定だったりする。
……まあ、この飛行宅配便も、当面は軍事に転用されるだろうけどね。
クレニエール東領に迫る隣国ノベルシオンの脅威。戦端が開けば、戦場での通信や伝令も活発に行われる。飛行宅配便の価値も、宅配のみならず、色々用いられるだろう。……というか、偵察機とかなければ、宅配や伝令以外にだって俺でも使うだろうよ。
コメートがあれば、飛行術に長ける魔術師を揃えなくても使えるからね。
「あのー、ジン様……」
しおらしくエリーが俺を上目遣いで見ていた。急にどうした?
「ものすごく、わがままな事を言っても、よろしいでしょうか?」
「聞きましょう」
女の子のおねだりは聞く主義だからね。
「あの空飛ぶ乗り物とか、ちょっと乗って、みたい、かな……って」
赤面して、恐る恐る聞いてくるエリー。あー、これは聞いちゃうやつだ。
目を閉じて沈黙すること、およそ二秒。
「いいよ」
「!! ありがとうございます、ジン様!」
うんうん、そんな目をキラッキラさせてお礼を言われるとね、テレてしまうよ、ほんと。
視線をアーリィーに向けると、彼女もまた上目遣い。
「ボクも、コメートにはまだ乗っていないんだけど……いいかな……?」
悪いはずがなかった。では遊覧飛行と洒落込んで、ノイ・アーベントの空中散歩と参りましょうか。
・ ・ ・
トキトモ領キャスリング基地――
人工コア、アグアマリナ・コピーが管理するその内部。地上にある大穴から下、地下八百メートルにある航空艦艇用プラットフォーム。
魔法文明時代の高速艦艇『ストレイアラ号』が停泊しているその場所。監視用コピー・コアが、不審な影を捉えた。
ウィリディスの関係者のどれも該当しない人影が、ストレイアラ号のそばにいる――監視コアは、ただちに司令部のアグアマリナ・コピーに通報。警備のシェイプシフター兵士の分隊を派遣した。
武装したSS兵が駆け足で現場に到着したが、その不審な影の姿はどこにもなかった。
監視コアの映像を確認すれば、確かに人が映っていた。だが船体の陰に重なる寸前、消えたようにも見えた。
単にコアの死角に入った可能性もあったが、シェイプシフター兵らが辺りを探しても、それらしいものは見つからない。
兵を増員してプラットフォーム、および基地内の捜索、魔力スキャンが行われたが、結局、不審者は発見されずに終わる。
この報告は、ウィリディス艦隊総旗艦のコアである、ディアマンテに届けられ、ノイ・アーベントにいるジンにも知らされた。
監視コアの映像の転写。そこに映っていたのは長身の人物。黒い外套、背中に大剣を背負っている。
顔はマスクのようなものをしているために口元は見えない。鋭い目元、白い髪、刻まれた顔のしわから五十代くらいか。いかにも歴戦の戦士といった姿だった。
・ ・ ・
「すまないが、よろしいか?」
トキトモ領東街道。道以外何もない平原で、その人物は、近くを通りかかった馬車に声をかけた。御者を務めていた若者は馬を止める。
「やあ、旅人さん、お一人かい?」
「ああ」
その人物は小さく頷いた。黒い外套をまとい、背に剣を背負い長身の男は御者台の青年を見上げた。
「つかぬ事を聞くが、ここはどこだ?」
「は?」
若者は一瞬、ポカンとする。馬車の荷台に乗っていた若い女たちが顔を覗かせる。
「何々、何があったの?」
赤毛の少女が口を開けば、隣の金髪美女が怪訝な目を、長身の男に向ける。御者台の青年は首を捻った。
「あんたの次のセリフは『私はだぁれ?』じゃないよな?」
「名前はわかる。別に記憶を失っているわけではない」
その人物は顔の下半分を隠すマスクの裏で笑ったようだった。
「ただ、ここがどこだかわからないだけだ」
「おかしな奴だなぁ」
青年はボリボリと自身の髪をかいた。
「まあ、何か事情があるんだろう。話を聞いてもいい。オレはクズタァニ、ゴウ! あんたは?」
「ブルと呼んでくれ」
「よろしく、ブル。近くの町に行くところだけど、乗ってくかい?」
クズタァニ・ゴウ――異世界青年、九頭谷 豪は荷台を指し示した。
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