第880話、診療所と娼館
ノイ・アーベントにあるバナ診療所。エリサ・ファンネージュの仕事場のひとつである。
エリザベート・クレマユーを連れた俺たちが訪れると、待合室にはそこそこ人がいた。
シェイプシフタースタッフの他、一般女性スタッフたちに混じり、エツィオーグのイービスがいた。
「侯爵様」
元飛行魔術師の年長組少年が笑顔を向けてきた。イケメンめ。彼が、戦うだけの魔術師として育てられたなんて、絶対教育間違えているな、まったく。
「ここには慣れたかい?」
「おかげさまで。エリサさんも、よくしてくれますし」
イービス君はエツィオーグを辞めて、エリサの助手というポジションに落ち着いた。まあ、まだ見習いだけど。
「覚えることは沢山ありますし、初めてのことが多くて苦労はしてますが……」
イービス君の表情は明るかった。
「医療とかは軍での覚えたことの延長線ですし、人と接する機会が増えて、世界が開けた感じですね」
人を殺す術を叩き込まれた戦闘用の強化魔術師である。裏を返せば、人体の構造や仕組みを人並み以上に教育されているということだ。であるならば、傷つけるではなく、治療する方向に転換させればいい。
「先生、トキトモ侯爵様が見えられました」
イービス君に案内された奥の研究室に、診療所の長であるエリサがいた。緑髪の妖艶なる魔女は、今や白衣の天使である。……それでも心臓が高まる妙な色気が漂っている。
初めてエリサと相対するエリーなど、同性なのに息を呑んでいる。
「ようこそ、初めまして。エリザベート様、ここの責任者をしています、エリサと申します」
「は、はい、よろしく……お願いします」
ただ微笑んだだけで、相手の言葉を奪ってしまう女性、それが彼女、エリサ・ファンネージュである。
エリサは、診療所の様子とやってくる患者への対処、魔法治癒薬の処方など、簡潔にエリーに説明した。
診療について、教会の聖職者が治癒魔法を使うことが主だと聞いていたエリーは、ノイ・アーベントでの医療に関して、ちょっとしたカルチャーショックを受けていた。治癒魔法はもちろん、補助魔法や薬草、人体構造の知識を総合して行う医療は、時代の先をいっている。
エリーが一番驚いたのは、手足が分断されるような大怪我でも、ちぎれた手足があれば元に戻せる可能性があるというエリサの治癒魔法だった。もっとも、彼女は、すぐにその魔法が、俺のそれだと気づいたけど。
それはともかく、俺やアーリィーとしても、診療所の現在を聞くことができて有意義だった。
エリサからの説明の後、エリーは、アーリィーと共にイービス君の案内で診療所を見て回る。その間に、俺とエリサは表では言えないことを含めた打ち合わせをした。
「今のところ運営は順調ね。医療関係の施設が、町ではここしかないのが大きいのだけれど」
一般の患者さんは、バナ診療所を訪れる。一応、役場と冒険者ギルドにも、非常時に備えて診療室があって治癒魔術師が常駐している。だからバナ診療所が唯一というのは実際違うんだけどね。
「ノイ・アーベントは規模が大きくなっているけれど、教会からは何も言ってきていないの?」
「聖教会かい? ああ、今のところはね」
だいたいの都市には教会関係施設がある。療養所や修道院があって、広く診療や医療活動が行われているのだが、だいたいは治癒魔法頼りで、医学に関しては正直あてにならないのだが。
「不思議よね。よっほど小さな村や辺境でなければ、だいたい教会の神父なりが派遣されてくるものだけれど」
「領主が魔術師だから、教会が敬遠しているんじゃないか?」
教会関係の聖職者と魔術師は、昔から不仲であるとされる。
ちなみに冒険者界隈に限ると、関係は比較的良好なので、時々それを忘れた冒険者が世間一般の見方とのギャップに驚くなんてこともある。
もっとも、新人冒険者に限れば、聖職者と魔術師は、ドワーフとエルフ並に険悪だったり差別的態度を取ったりするけども。
「このまま宗教が絡まないのが平和であるけれど……」
半分サキュバスであるエリサだ。教会関係者にバレれば即刻、処刑なんてこともありうる。俺は思わず眉をひそめた。
「役場からは住民の声として、本格的に教会を建ててほしいという要望がきている。この国じゃ聖教会の信者も多いからね。ある程度集まって祭事をやれる場所がほしいんだと」
「まあ、宗教は面倒ではあるけど、この国はそのあたりユルめよね」
「獣人、亜人にも比較的寛容な国だからね。信じる神はそれぞれってことだろう」
これがお隣のノベルシオン国だったりすると、結構苛烈なんだよね。異種族への差別が酷く、また教会の力も強いらしい。
「そうそう、役場で思い出したのだけれど、娼館設置の件はどうなってるのかしら?」
エリサの口から、娼館と聞くとモヤモヤする。存在自体が性的なんだよね、彼女。白衣を着ていてもさ。
「教会関係者からは絶対に出てこない単語だよな」
「でも要望を出しているのはアタシだけではないはずだけれど?」
「冒険者とか、旅人からは多いね。うちは娯楽施設が少ないから」
「診療所の長からの発言なのだけれど」
エリサが流し目を寄越した。
「精神的なケアの観点からも、発散させる施設は必要よ。人は溜め込み過ぎると爆発するもの。生死の境で生きている戦士や冒険者たちの、そうした感情が暴力的衝動に繋がって、暴行や性犯罪に繋がる……」
「戦いの直後に、感情が昂ぶっているというのはわかる」
俺も経験者である。元の世界でも、戦場の兵士のストレス具合について問題になっていたから、さらに頷ける。
「単に、君が発散したいだけじゃないんだな」
「失礼な。……と、言いたいところだけど、そうよ。アタシも溜まってる」
すっと、エリサが俺の肩に手を伸ばしてきた。
「抜いてくれないと、アタシの場合は冗談ではなく本当に死んでしまうわ」
キメラウェポンでサキュバスと合わされたエリサには、体質的に必要な行為だったりする。……どうりで、今日はやたら男のそれに響いてくる雰囲気を感じたわけだ。
「イービスがいるでしょう? 彼、魔力が豊富だから、近くにいるとこっちもムラムラきてしまうのよ」
「子供に手を出すなよ」
「大人になったら問題ない?」
「そのあたりは自分で考えてくれ。俺だったら相手をするからさ」
答える俺の首の後ろに手をまわしながら、エリサは瞬きをする。
「疲れてない? 大丈夫?」
「君の身体のほうが大事」
「サキュバスを抱こうって人間は、そうそういないからね」
少し悲しげに言ってから、エリサはふと顔を上げた。
「サキリスを呼んで。あの娘の玩具、娼館でも使えると思うのよ」
などと言い、それからノイ・アーベントに作る娼館の話となった。ルーガナ領のフメリアの町でもやっているから、それを応用すればいいだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます