第845話、温かなスープ


 エリーと別れ、入れ替わるようにベルさんたちと合流。俺たちは、デファンサ城上空に待機している連合国提供艦隊に小型艇で帰還した。


「いよいよ、連合国に兵器を売り込む」


 俺は告げた。


「大帝国の東方方面軍は、その戦力の大半を失い、戦線維持すら危うい状況だ。この時間を活かして、連合国に兵器を提供し、戦力化させる」


 本当なら、この状況につけ込んで攻め上がりたいところだが……。ない袖は触れないね。


「そして使い物になったところで――」


 ベルさんがニヤリとした。


「連合国による、大帝国本国への侵攻。一年前、あと一歩で成し遂げられなかった打倒帝国、それを果たす」

「そうだ。自分たちの国は、自分たちの手で戦って守らねばならない」


 連合国にも多大な犠牲を払って、当事者になってもらう。外様の俺に頼っていた結果の切り捨て。その判断を下した分、代価は払ってもらわなければならない。


「とまあ、連中は囮ではあるんだがね」


 ベルさんは人の悪い顔になった。


「結局のところ、オレ様たちが大体のところを始末するんだけどな」

「せめて連合国にも本気で戦争をしているフリはしてもらわないとね」


 そのために、まずは連合国盟主、ウーラムゴリサ王国と交渉だ。今回のペソコス子爵との会談で、ファントム・アンガー――そして架空国家シーパングの連合国支援の意思は伝えた。


 王国と正式な会談を行い、成功の暁には連合国すべてと同様の交渉をする。新兵器で武装した彼らに大帝国侵攻をやってもらえば、それでいい。


 ベルさんは鼻をならした。


「機械兵器は、連中にとっても喉から手が出るほど欲しい代物だ。だが大帝国侵攻計画に乗るかが問題だな」

「その時は、連合国を見限るしかないね。まあ、兵器の供給の条件に、大帝国への侵攻を盛り込むから、連中は従うしかないだろうけどな」

「飲まなきゃ死ぬだけってか? 選択の余地なんてないんじゃないか?」


 ベルさんの目が光った。俺も口角が上がる。


「そうなったのは、連合国の自業自得だよ。責任はとってもらうさ」


 ファントム・アンガーの名に賭けて。一年前に戦い、倒れた兵士たち――その亡霊たちの怒りを知れ。



  ・  ・  ・



 知らない天井だった。

 エツィオーグのイービスが目覚めた時、柔らかなベッドの上にいて、無機的な金属の天井があった。


「……僕は」


 かすれた声だが、イービスは自身の声をしっかり耳で聞いた。


「生きている、のか」


 記憶を呼び起こす。

 戦いだ。ファントム・アンガーの艦隊への攻撃を命じられた、飛行魔術師部隊エンツォーグ。イービスは部隊を率いて、戦場に赴いた。仲間たちがファントム・アンガーの戦闘機によって次々に撃ち落とされ、イービスもまた低空で敵機をまこうとした際に、スティックライダーに被弾、落下した。機体から投げ出されて、木に激突――そこでイービスの記憶が途切れている。


 そのまま墜落死かと思いきや、生きている。イービスは身体を起こした。


 重かった。だが痛みはほとんどなく、手や足などを見てみると無傷であるのがわかる。ただ見慣れない腕輪がついていたが。魔法封じの腕輪かな、とイービスは思った。服装も、軍服ではなく、ゆったりした白い服を着ていた。


 それ以外、特に身体に問題はなし。多分、治癒魔法で治療されたのではないか、とイービスは推測した。いくら何でも、あれだけ派手に激突して身体が動くはずがない。


 手当された。だが誰に? イービスはベッドの周り、室内を見回した。と、その時、ドアが開いた。


「おはよう、坊や。といっても夜なのだけれど。目は覚めた?」


 入ってきたのは緑色の髪を三つ編みにした白衣の美女。イービスの心臓が早鐘をはじめた。これまで感じたことのない興奮。一瞬、息がつまった。


「具合はどうかしら?」


 白衣の美女が優しく問いかけた。視線がはずせない。その温和そうな表情、豊かな胸の膨らみ。

 これは性的なものだ――あまり経験のないイービスだが、それを自覚した。大人の色香というやつ。きっとこの女性は魔術師で、おそらく魅了の魔法を使っているのだと思った。


「うーん、そんなだんまりされちゃうと、お姉さん困ってしまうのだけれど」


 ベッドのそばまでやってきた彼女。ふっと香ってきた甘い匂いに、イービスは身体の一部が堅くなっていくのを感じた。顔も熱を帯びているようだ。


「状況を知りたい? 知りたいわよね? 教えてあげるから、あなたのことも教えて。あたしはエリサ。君は――」

「イービス。エツィオーグのイービス、です」


 答えていた。エリサと名乗った美女は、「イービス君ね」と呟くと、どこから出したのか紙にメモ書きを走らせた。

 カルテだ、とイービスは施設にいた頃を思い出した。魔法軍特殊開発団の飛行魔術師育成施設では、イービスら強化魔術師の心身のチェックや試験などが繰り返された。だから彼にとって、半ばお馴染みの光景だったのだ。


「ここは大帝国の――」

「違う。あなたの敵、つまり、ファントム・アンガーの艦隊、その船の中よ」


 エリサはニコリと蠱惑的な笑みを寄越した。敵、というにはあまりに無害そうで、イービスは頭では警告を発していたものの、身体は動かなかった。

 戦闘訓練をたっぷり積んでいるイービスにとっては、目の前の美女を無力化させるのは容易いと判断したからかもしれない。


「そうそう、お腹すいてない? 食事を用意させるわ。というより、あたしも夕食まだなのよね。よかったら一緒にどうかしら?」

「あ、え……と」


 イービスは困惑する。ファントム・アンガーの船の中ということは敵地である。にも関わらず、拘束もされず、食事に誘われた。つい先ほどまで殺し合いをしていた相手に、どうしてこうも平静でいられるのか?


 ……イービスは仲間たちをファントム・アンガーの航空機に殺された。だがこちらも、ファントム・アンガーの艦艇を一隻撃破し、何機か返り討ちにしている。エリサの仲間たちも死んでいるはずなのに――


 食事を待つあいだ、エリサは話しかけてきた。状況としてイービスは捕虜という扱いだから、情報は明かさない心積もりだった。魔法軍特殊開発団の上官たちは、捕虜になるな、機密を渡すくらいなら自爆しろ、と散々怒鳴っていたから。


 だがこうとも言った。もし可能なら、敵の情報を獲得して脱走しろ、とも。


 エリサとのお喋りは、手酷い拷問とか、想像していたものとはかけ離れていたから、イービスはファントム・アンガーの情報を持ち帰るという後者を選択した。いざとなったらいつでも脱走できる、と思ったからでもある。


 だが彼は気づいていなかった。エリサとの会話によって、心の中に反抗や自爆という考えがなくなっていくことに。


 大帝国の情報は明かさない――そのつもりだったイービスだったが、魅惑的であり、優しいエリサの声に、知らず知らずのうちに飲み込まれていく。何より、エリサはイービスが黙っていても、真実を言い当てた。


 曰く、あなたは大帝国の改造兵で、親や家族も知らない。魔法を教わり、戦うことを命じられ、ひどい実験に付き合わされた。同じように育てられた仲間には、過酷な実験で命を落とした者もいる――などなど。


「どうして、わかるんですか?」


 だから聞いてしまったのだ。イービスの問いに、エリサは終始笑顔だった。


「あたしも、似たような施設で育ったから」


 そして彼女は言った。


「あなたにとって、その施設は帰りたい場所かしら?」


 イービスはとっさに答えられなかった。そしてやってきた食事。スープとサラダ、そしてパンという簡素なものだったが、それがイービスの心を震わせた。


 とても美味しかったのだ。温かなスープに柔らかくて甘いパン。施設で食べてきたものがゴミに思えるほどの美味。彼の舌は未曾有の食感に刺激され、脳がとろけるほどの快感に満たされた。

 涙が止まらなかった。そして大帝国には帰らない、とイービスは心に決めた。

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