第843話、告白
エリザベート・クレマユーが泣いているので、俺はどう切り出したものか考えあぐねていた。俺、いま君の知っているアミウールじゃないんだけど。
「ジン様、私、あなたが生きていてくれて、とても嬉しく思います。やはりあなたは神に守られた英雄様……」
「……人違いです」
英雄様と言われて、
「いいえ、あなたはジン・アミウール様ですわ。姿は違えど、あなたの匂い、間違えるはずがありません!」
やはり匂いか。強い確信を込めた瞳に見つめられると、俺は心が痛い。嘘をついている罪悪感が込み上げてくる。俺を慕ってくれているのは、わかるから余計に。
「嘘をおっしゃらないで、ジン様。私、あなたが命を落とされたと聞いた時、どれほど深い悲しみに沈んだか。何度、この身を投げようと思ったことか」
涙をぬぐいながら、エリーはしかし気丈に笑う。
「でも、あなたは生きていた。ええ、生きていてくれた。こうしてまた会えた。今度こそ、離れませんからね、ジン様」
「えっと……」
何と答えればいい、と迷ったのもつかの間、次の瞬間、彼女の唇が俺の口を塞いだ。……彼女は一切ためらわず。以前のまま。
わずか数秒の出来事。だが俺が誤魔化すのを諦めるには十分だった。
「本当に、わかるんだな」
「わかりますとも。私はあなたに全てを捧げて、全てを受け入れる女ですもの」
「……」
全てを捧げて、という部分で、またちくりと古傷が痛んだ。英雄魔術師時代のこと、しかもエリーとはまた別の女性だというのが、実に笑えない話ではあるが。……どうして俺の周りには、そういう女がちらほらと。
「まさかファントム・アンガーにいらっしゃったとは……。まだ大帝国との戦いを続けていらしたのですね!」
エリーは俺の手をとった。
「私も、あなたと共に戦わせてください。以前より、修行して強くなりました。今度こそ、あなたの足を引っ張ることはありませんから!」
「……うん」
熱烈な視線を向けられて、俺は居心地が悪かった。かつての仲間の参戦は、基本断らないのだが、エリーの場合は少々事情が異なる。
彼女は、クレマユー大侯爵の娘であり、彼女の行動は必ずあの大侯爵が絡んでくる。英雄魔術師時代、初めは良好だった関係も、次第によそよそしくなっていたのを忘れてはいない。最終局面前の裏切り――当時の連合国上層部で、俺の排除を目論んだうちの一人が大侯爵であるのを知っている。
娘がファントム・アンガーに参加というだけで、絶対に厄介なことになる。エリーはなにも悪くないだけに始末が悪い。
「……ジン様、何か心配事ですか?」
すっと、彼女の両手が俺の頬に触れた。
「もしや、どなたか女性をお決めになられましたか?」
ドキリ、とした。そこでその指摘は別の意味で衝撃だった。思いがけないタイミングではあるが、図星でもある。……俺はアーリィーと婚約している。
「あなたが多くの女性から好かれているのは存じ上げております。ええ、あなたは英雄、当然です」
エリーは笑顔だった。ただその瞳の奥に、少々さみしげな色があった。
「私が、あなたが何人もの女性と関係を持っていることを知らなかったとでも……?」
あの頃を思い起こすと、まあそうね。実際、アーリィーと将来を約束したが、今でも他に女性もいる。……もちろん、アーリィー公認済みの相手のみだけど。
「英雄、色を好む――離れている間に、ジン様が素敵な女性を伴侶に選ばれたとしても、私のあなたへの気持ちは何も変わりません。愛人の一人として置いてくだされば、それで私は幸せです」
愛人――彼女は貴族の家の娘だ。王族や貴族が、側室を作って女性を囲っていることも当たり前のように受け入れているのだろう。まあ、クレマユー大侯爵殿が聞いたら激怒するだろうが。
男にとって都合のいい女――本心はともかく、親が将来の相手を決める、良くも悪くも貴族の娘か。……そういえば『愛人でもいい』なんて言葉は、英雄魔術師の頃はよく女性の口から聞いたっけ。
それはともかく、彼女の場合はすぐにどうこうというわけにもいかない。俺にとって彼女はしばらくぶりであり――もちろん、SS諜報部に安否を確認させた一人ではあるが、別れてからのことはよく知らない。どう接していくかは少し時間を置くのが無難だろう。
いきなりヴェリラルド王国のウィリディスを案内するわけにもいかない。
「君の変わらない好意は嬉しい。だが――」
「だが、とかしかし、なんて聞きたくありません」
エリーは俺の唇に指を当てて、遮る。
「聞いてくれ、エリー。大事な話だ」
俺はその彼女の指を握り、話す。
「物事には順序というものがある。君を迎える前に、いくつか片付けておかないといけないことがある」
父親であるクレマユー大侯爵のこともあるからね。
いきなりエリーの同行を許せば、彼女はおそらく父に何も告げずに去る。大侯爵は娘の身を案じて躍起になるだろう。……ファントム・アンガーが、連合国と交渉しようという時に、まさか娘を誘拐した、などと騒ぎ立てられても困る。
「私は、あなたのために、家も身分も捨てます」
エリーは真摯に俺を見つめる。
「あなたのお話がどのような内容だとしても……」
・ ・ ・
俺は、エリーにジン・アミウールの最期――つまり俺が連合国を見限るに至ったあらましを説明した。
大帝国との決戦前に起きた裏切り。連合国の一部の指導者が、俺の魔法に脅威を抱き、排除しようとしたこと。
それを聞かされたエリーは絶句した。俺とベルさんが、暗殺から逃れ、死んだことにして離脱。大陸西方へ移動した後、とある国と懇意になり、そちらで大帝国と戦っているということも簡単に説明する。……ついでに、そこのお姫様と婚約したこともさりげなく告げておく。
「……信じられません」
婚約したことかな?
「まさか、連合国がジン様を殺そうとしただなんて……! どれだけジン様が、連合国のために尽力し、多くの命を救ってきたか。ご恩を仇で返すなんて……!」
ああ、そっちか。うん、まあ、裏切られたのはショックではあったし、正直頭にもきたけどね。
ただ、その頃の俺は、無制限潜水艦作戦よろしく、帝国とみれば城だろうが何だろうとバニシング・レイほか大魔法で次々に吹き飛ばしていたから、危険な存在扱いと見られても仕方ないかも、とも思うところもあった。
裏切りに関しても、暗殺を命じられた騎士が、俺に密告してくれたから、連合国へ報復しようとは思わなかった。
彼は誠実に、どうか逃げてくださいと涙ながらに言ってくれた。それがなかったら、俺はどういう道を選んでいただろうか……?
個人で連合国に復讐する。大帝国側に寝返る……は、最近の連中の所業を見るとないだろうな。
ただ、裏切った落とし前はつけさせねばならないと思っている。すべてを許せるほど、俺は聖人ではない。
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