第842話、架空国家の尖兵
デファンサに住む人間たちは、六十隻を超える大艦隊が空を覆ったことに呆然としていた。
人々は顔を上げ、初めてみる艦隊を不安げに見上げ、ざわめいていた。
ただ逃げ出す者はいなかった。ファントム・アンガーの艦隊もいて、すでに地上に展開した傭兵軍が、味方であると伝えたからだ。
俺は、連合国向けに作った重巡洋艦にいた。東方方面軍との戦いの後、愛機を『カレイジャス』の格納庫に置き、ベルさんらとポータルで移動したのだ。
真新しい艦橋。アンバル級などのテラ・フィデリティアのものと比べると、手狭で若干古めかしく見える。実際、艦橋が小さいしな。
『――というわけで、ペソコス子爵殿と会談を取り付けた』
ファントム・アンガー傭兵隊長――ということになっているマッドハンターからの通信。連合国に兵器の提供と今後の方針について話し合うため、ウーラムゴリサ王国の貴族と、いよいよ俺たちは接触する。……まあ、外見については変えていくけどね。ウィリディスのジン・トキトモではなく、間違ってもジン・アミウールでもなく。
「了解した。そちらに向かう」
俺はマッドにそう返事した後、ベルさんに頷く。彼もまた紺色の軍服をまとった色黒の長身男性姿だ。
ジョン・クロワドゥという架空の兵器開発者が所属する架空国家『シーパング』の高級将校役である。
シェイプシフター艦長に後を任せ、俺は同じく軍服に魔術師マントを身につけ、顔を五十代男性のそれに変えた。髭なんかはやして、いかにも偏屈そうな学者風軍人に化けてみたがどうだろうか?
「それがクロワドゥ先生か?」
軍服のせいか、ベルさんの言動が紳士然としている。背筋がピンと伸びていて、スマートだ。さぞご婦人方にはモテるだろうな。
「ベルさん、格好いいな」
「かしこまって出るのは、久しぶりだな」
俺とベルさん、そしてシェイプシフター兵が
城の中枢へそのまま乗り付ける、とマッドが先方に交渉している。俺はペソコス子爵とは初めて会うが、SS諜報部の事前情報でだいたいは掴んでいる。
ファントム・アンガーが単なる傭兵軍から、架空国家シーパングと連合国の橋渡しとなる。今後の戦局も含めて、大きな一歩となるだろう。
と、小型艇の窓から、子爵とお出迎えの一団らしき人の姿が見えた。悪役幹部を迎える時の整列みたいだと思ったが、黙っておく。
が、そこで俺は目を剥いた。子爵と思われる細い体格の貴族男性のそばに、金髪の美女魔法騎士の姿があったのだ。
ベルさんも気がついた。
「クロワドゥ先生、あれは、エリーじゃないのか?」
「……やっぱりそう見えるか?」
見間違いであってほしかった。ウーラムゴリサ王国の大侯爵クレマユーの娘。かつてウーラムゴリサ王国にいた頃、よく俺と一緒にいた美少女。まあ歳から言えば少女ではなく美女だろうが、その美しい顔立ちは少女でも通用する。
「しかし……困ったな」
エリーとの再会は嬉しいが、それはジン・アミウールであるならば、だ。今はジン・トキトモであり、ジョン・クロワドゥを演じている。……この会談ぶち壊しの正体バレの危険性さえある。何とも最悪な出会いだ。
「まずいか?」
「うん、とてもまずい」
俺は視線をそらす。
「あの子、やたら嗅覚がいいんだよね。俺が近くにいると匂いでわかるって豪語するだけあって、実際のところ相当なものだからね……。顔を変えたくらいじゃ、たぶん見破られる」
それくらい仲良くはしたよ。初めはとても高飛車で、まあサキリスとは違ったベクトルで面倒な娘だったけど、やたら慕われて、どんどん性格もよくなってね……。
「公式には、ジン・アミウールは死んだことになっている」
「そうだ。だから彼女の前に、のこのこ現れたら、連合を揺るがしかねない大問題に発展する恐れがある」
英雄魔術師が実は生きていた! なんて。これからジョン・クロワドゥを演じようって時に、それは大変よろしくない。
「仕方ない、予定変更だ。……シェイプシフター君、俺の代わりにクロワドゥを演じてくれ」
魔力通信機を渡して、会話はそれを通して行うことにしよう。随行員のひとりであるシェイプシフター兵が、瞬時に衣装込みで変身した。やれやれ、シェイプシフター君がいなかったら、この会談がとてもつもなく面倒なことになるところだった。
「しかしま、何だって彼女がここにいるんだ?」
「ここはウーラムゴリサだぞ。どこの城にいてもおかしくはないさ」
俺は変装をやめつつ、ベルさんに皮肉げな目を向けた。
「俺はお留守番だから、あんたとシェイプシフター君たちで何とかやってくれ」
「話の内容はお前さんがするんだぞ」
ベルさんが肩をすくめた。
というわけで、俺は小型艇に残り、兵器開発者クロワドゥに扮したシェイプシフターとベルさんたちが降りていくのを見送った。ちなみにクロワドゥの肩には使い魔型魔力カメラを置いて、その視覚映像を俺も見えるようにした。
その俺は小型艇から顔を出すのも避けた。エリーに気づかれたくなかったから。個人的には、とても挨拶したかったし、熱烈なハグもしたかったのだけどね。
・ ・ ・
ジョン・クロワドゥ先生とペソコス子爵の会談は、こちらの言い分を伝えられた点でいえば成功に終わった。
まあ、子爵殿には初めてのことが多すぎて、思考回路が追いついていない感じではあったが。航空艦隊、機械兵器、大陸から遠く離れた架空の国からやってきた者――終始驚きの連続で、最後は考えることを放棄したのか、頷くだけの人形みたいになっていた。仕方ないね。
次はウーラムゴリサ王国の国王ないし大臣級に会って、兵器支援の話。そして連合国に属する各国にも兵器を供給、大帝国打倒のために動いてもらう。
防戦一方だった連合国が攻勢に出て、帝国を倒す。ようやく俺の書いた筋書きに流れが乗る感じだ。……まあ、連合国との交渉が成功しないと話にならないけどな。
俺は小型艇の操縦席にいて、使い魔型カメラから魔力で飛ばされた映像を眺めていたが……トラブル発生だ。
背中にぞわっとした気配を感じた。……おい、シェイプシフターの見張り君。侵入者だぞ、気づかないのか。
「……ジン様」
ふっと懐かしき女の声。あー、やっぱり君かー! 席についたまま振り返らずに、構えていた俺に、その女性は横から抱きついてきた。
「生きていらっしゃったのですね、ジン様! ジン様ぁ――!」
違います、と言いかけた俺はその言葉を噤んだ。抱きついた彼女――エリザベート・クレマユーは目にいっぱいの涙を浮かべ、いや流しながら、俺の体に顔を埋めたからだ。
とっさに何も言えず、そして泣いている彼女に言葉も浮かばず、俺はただただ彼女が落ち着くのを待つしかなかった。
……どうしてこうなった?
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