第820話、皇帝と秘密の部屋


 大帝国本国、帝都カパタールにあるグランシェード城。

 その一角、皇帝の間の玉座に、ブルガドル・クルフ・ディグラートルの姿があった。


 五十歳。長身の人物であり、その体付き、厳めしい表情も相まって武人を思わせる。黒を基調の衣装に金の装飾、赤いマント――その色合いは大帝国そのものであり、彼の存在する空間は、冷厳な空気に満たされているかのようだった。


 報告を上げる各部門の責任者もまた、自然と緊張し頭を垂れている。大臣らの話を聞き、短い返事で問答を終えると、ディグラートル皇帝は玉座から立ち上がった。


「しばらく離れる。ザカルディ、後のことは任せたぞ」

「ははっ」


 ザカルディと呼ばれた魔術師は頭を垂れ、居並ぶ臣下ら全員の礼を受けながら、皇帝は去った。


 皇帝の間から専用出口を通って進むディグラートル。その背後には黄金の甲冑をまとう近衛兵二名が随伴する。赤いカーペットを大股に歩き、やがて目的の部屋へと到着する。


 ディグラートルが入室すると、黄金騎士は扉の前で立ち、門番となる。ひとり、中に入った皇帝は細長い通路を行き、床に魔法陣の描かれた部屋にやってくる。何のためらいもなく、魔法陣の中心に立つと「転送」とひと言を発した。


 青い光に包まれ、ディグラートルの身体が消える。

 次に彼が目を開いた時、異形兵が守備する部屋に転移した。無骨な金属の床、壁――魔法照明があっても、冷たく薄暗く感じる。


 皇帝は何も言わず、部屋を出る。異形兵どもは無言で彼を通した。

 金属に覆われた室内は、皇帝の居城とはまるで雰囲気も違う。出迎えもなく歩くディグラートルだが、彼にとってはすでに慣れた道。迷うこともなくずんずん歩を進める。


 やがて、巨大な空間に出た。重々しい機械音が反響する。まず目に飛び込んでくるのは黄金色の空中艦。それが十数隻、横に一列に並んで置かれている。

 ディグラートルはそれを見つめ、手すりに歩み寄ると声をかけられる。


「……おや、これはこれは、皇帝陛下」

「マトウか」


 ちら、と視線をやれば、異世界人にして異形研究者の馬東サイエンがいて、靴音を響かせながら近づいてきた。


「また、こちらにいらしていたのですか? 先日とあまり代わり映えのしない景色でございましょう」

「……二隻増えたな」

「はい。古代魔法文明時代の製造技術は素晴らしい。私のいた世界でも、このような建造速度はありえなかった」


 馬東は左手をそっと自身の胸に当てた。


「もっとも、先日回収された浮遊島のコア……アリエスと言いましたか。アレの規格が合わなくて、このようなありさま。適合していれば、今の十倍の速度での建造も可能でありましょうに……」

「よい。今すぐ、これを動かすわけではないからな」


 ディグラートルは視線を黄金の船に戻した。


「……貴様、その左腕はどうした? 勝手に生えてきたわけではあるまい?」

「ああ、これですか。ええ、スカーの技術を応用した生体義手です」


 馬東は左手を動かしてみせた。


「反乱者の魔術師に腕を落とされてしまいましたからねぇ。……しかし、おかげでより強靭な腕を手に入れました」


 本心からの言葉なのだろう。それを察したディグラートルは、ふっと小さく笑みをこぼした。


「シュメルツはどうか? 回収できそうか?」

「陛下のご指示により、旧グアラン研究所跡を掘らせていますが……まあ、時間の問題でしょう」


 あれがあの程度で死ぬものでもありませんから――その目に一瞬、冷酷な色が浮かぶ。


「……あやつは、余を殺せるか?」


 ぽつり、とディグラートルは言った。馬東はにやりと表情を緩めた。


「無理でございましょう。不死に近づくのと、不死者を殺すは別モノですから」

「……」


 ディグラートルは口を閉じている。何を考えているのか、傍からでは推し量るのは難しいその横顔。いや――馬東は察する。今、この皇帝は――


「ジン・アミウール」


 皇帝はその名を口にした。


「奴は、余を殺せたであろうか?」


 一年以上前、大帝国を瀕死にまで追い詰め、帝都にまで迫った連合国の英雄。その戦いの中で、彼は命を落としたという。目の前に現れる時を楽しみにしていたディグラートルは大変落胆したものだ。


 以後、皇帝は、異世界技術を解禁し、連合国への復讐に乗り出した。現在、その息の根を止めるべく、軍を東方征服に派遣していた。


 が、思いがけない抵抗を受け、その侵攻計画は大幅な遅延を起こしている。帝国本国の反乱者、そしてファントム・アンガーなる傭兵軍。資源獲得目的の西方制圧においても、驚異の近代兵器を揃えたヴェリラルド王国によって阻まれていた。


「世の中ままならぬものだ」

「だからこそ、楽しいのでありましょう」


 馬東は確信に満ちた調子で言った。


「ヴェリラルド王国に、ジン・アミウールの弟子がいると言われております」

「報告書は読んだ。だが、そやつには師のような積極性がない」

「と、いいますと?」

「ジン・アミウールはな、指揮官を叩きに来る。つまり、貴様の推測を加味すれば、余の命を真っ先に取りにくるタイプだ」

「なるほど」


 馬東はうなずいたが、すぐに首を傾げた。


「ただ機会を窺っているだけかもしれませんぞ」

「……ああ、そういえば、帝都に不審な影がちらついておったな」


 ディグラートルは思い出した。結界の張られた秘密の部屋に何者かが入り込もうとして消し炭になった事件があった。


「ここのことは、よもやバレてはおるまいな?」

「バレているのなら、とうに反乱者どもが押し寄せてきていたでしょうな」


 馬東は即答だった。反乱者たちは、魔法軍の秘密拠点を的確に探り出して攻撃してくる。これまでの行動を考えれば、敵がここを知ればまず放ってはおかないだろう。


「軍では、アミウールの弟子の抹殺に暗殺者を派遣していたそうです。が、いずれも失敗したようで」

「……」

「矛先を、変えますか?」


 世間話のように、馬東は告げる。


「弱体の連合国を後回しにして、西方のヴェリラルド王国をまず叩いてしまう……」

「余は美味なるものは最後に食す主義だ」


 ディグラートルは淡々と答えた。


「最初にそれを食してしまっては、後には何も楽しみがない」

「危険の芽は、早いうちに摘んでおくに限る、とも言いますが?」

「困難、危険、おおいに結構! そうでなければ面白くない!」


 カッと皇帝は目を見開き、腕を広げた。


「よいか、マトウよ。余にとって、この世界はゲームである。余はそのすべてを征服し、破壊する!」

「まあ、世界を破壊するのはさぞ楽しいでしょうね。とても贅沢ぜいたくな行為だ」


 控えめな口調の馬東。全面的に賛同しているわけではない。だがディグラートルもそれをたしなめはしなかった。


「それで、遺跡の調査はどうなっている? アレの手掛かりは掴めそうか?」

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