第816話、マスターと呼ばれた悪魔


 響き渡るのは歌。トリアム城、入り口フロアに柔らかな声が包み込む。


 転移魔法陣を超えた連中が、聞こえてきた歌に恐慌し、慌てて耳を塞いだが効果がなかったようで再び意識を手放してしまった。

 俺は、対催眠・睡眠の防御魔法を張っていたから、少々眠気がきたものの耐えることができた。……事前情報なかったら、ちょっと危なかったかもしれない。


 フロアを見渡せば、混沌としていた場は、やや静かになっていた。シェイプシフター兵の数がかなり減っていた。サキリスとリアナが歌にやられたらしく倒れていて、SS兵たちが退避させている。


 暗黒騎士ベルさんは健在。赤髪悪魔を攻め立てていた。青髪悪魔は床に倒れていて、金髪悪魔は目元を押さえて膝をついている。

 歌声が止む。直後、男の声がした。


「おや、眠らないとは。ウェネーの美声にも影響がないとは、こいつらは本当に人間か?」


 二階の通路、そこに灰色肌の人型悪魔がいた。髪はやや長め、その顔立ちは平凡。はっきり言えば、ボスというより手下感が拭えない。身長も、俺より低いのではないか。


 人型悪魔というと、最高に醜悪か美形の両極端なイメージがあるのだが、この悪魔はその中間、ちんけな小悪党のように見えた。……はて、どこかで会った気がしたが気のせいか。


「まったく気に入らない。モルブスにフェブリスまでやられているじゃないの!」

「あぁ、マスター!」


 金髪悪魔モルブスが、やはり目元を手で覆いながら言った。


「申し訳ございません。! わたくし、目が……」

「治りそう?」


 マスターと呼ばれた悪魔が聞く。モルブスは「もう少し時間をいただければ……」と復帰予告した。


「フェブリス?」

「申し訳ありません、マスター」


 青髪悪魔が倒れたまま、息も絶え絶えに返事した。


「手加減されてこのざまです……。再生にしばし時間を――」

「フェブリスまで圧倒されるとか、マジやばくね?」


 男の悪魔は振り返る。そこには茶髪の女性型悪魔がひとりいた。


 悪魔にしては気の弱そう顔立ち。二本の角には赤い線が入っている。黒を基調とする肩を露出させたドレス、ミニのスカートは、どこかのアイドル衣装のようにも見えた。……たぶん、彼女が『歌』の能力持ちの悪魔だろう。ウェネー、とか言っていたか?


「マスター!」


 赤髪悪魔、プラーガが声を張り上げた。


「ヤバイ、あたしを助けてー!」


 悲鳴をあげる彼女。魔法障壁がガンガンとベルさんのデスブリンガーに削られていく。


「お前は、オレ様の仲間を殺そうとしたからな。落とし前はつけさせてもらう!」


 ベルさん、一切容赦なし。


「そこの青いの! お前もすぐにトドメを刺してやるから覚悟しておけ!」


 俺は見ていないが、サキリスかリアナがやられそうになったから、キレてるのかもしれないな。あれで結構、人情の人だからね、ベルさんも。


「なんじゃ、あの暗黒騎士、めちゃくちゃつぇぇじゃん!」


 ダン、とマスターと呼ばれている悪魔が通路から跳んだ。


「おれ様のハーレム美女を傷つけるなァァーー!!」


 ベルさんへの突撃。瞬きの間に急接近からの渾身の飛び蹴り。常人離れした加速と繰り出される魔力の色は、さすがは悪魔。恐るべき身体能力からの一撃は、人間ならば瞬時に打ち砕かれていただろう。


 しかし、ベルさんもまた悪魔、そして魔王と恐れられた存在。デスブリンガーの一振りが、男の悪魔の身体を上下に切断した。……あっけない。


「マ、マスター!」


 女悪魔たちの悲鳴にも似た声。身体を真っ二つにされながら、マスターと呼ばれた悪魔は上半身だけで床を這いながら言った。


「逃げろ。おれに構わず先に行けっ! ここは任せろ――!」


 いや、お前もうやられているだろう。思わず俺は心の中で突っ込んでいた。いやしかし、身体を裂かれても生きているとか、上位悪魔ともなると、一筋縄ではいかないか。


 しかし、何だろう。先ほどから既視感が……。妙に日本人臭いというか……。こいつ、悪魔だよな?


「おい、ジン。ちょっとこっちへ来い」


 俺が戻ってきているのに気づいていたらしく、ベルさんが呼んだ。意識を失っている者たちを避けて、っと。


 その間に、マスターを助けようと赤髪悪魔がベルさんに襲い掛かったが、軽く一蹴されてしまう。悪魔でも主人には献身的なんだな、と場違いな感想を抱く。

 そういえばあの茶髪の悪魔は……。見上げると、すくんでいるのか両手を胸元を庇うようにして立っていた。案外、臆病なのかな、悪魔なのに。


 ベルさんの元へ到着。


「来たぞ。……トドメか?」


 低級悪魔ならとうに死んでいる傷を受けて、まだ生きているマスターと呼ばれた悪魔。こういう上級悪魔を完全に仕留めるのは、中々面倒なのだ。聖剣を使うに限る。


「ジン、こいつ、お前と同郷の匂いがする。基本言語が、ニホン語だ」


 何だって? 俺は耳を疑う。


「……日本に悪魔が実際にいるとは知らなかったな」

「に、日本……?」


 男の悪魔が俺を見た。随分と元気そうだが、上半身と下半身が別々なので、気持ち悪い。


「あんた、ひょっとして異世界召喚とか転生しちゃった系の日本人?」

「そうだが……。お前も日本人――なのか?」


 いや、悪魔だよな、コイツ。


「あ、ああ、おれはこっちじゃ悪魔だけど、元はふつーの会社員で日本人だ! 尊敬していた先輩が住んでいた部屋に引っ越したら、その日のうちにこっちの世界へきちまって――」


 すっと、悪魔の肌が人間の、黄色人種特有の肌色に変わる。角が消え、当時の顔になった男だが……俺は思わず叫んだ。


「お前、九頭谷くずたにか!」

「へ……? なんで、おれの名前――」


 呆然とする悪魔――九頭谷 ごう。二十八歳、俺より二つ下で会社の後輩。


「馬鹿野郎、先輩の顔を見忘れたか! ……って、そうか、俺、あの頃より十も若返ってるんだった」


 こほん、と、俺は咳払いして改めて自己紹介。


「ジン・トキトモ侯爵です。ここヴェリラルド王国で貴族をやっていて、ここのお隣の領の領主をしています」

「はぁー!? 時友先輩っ!? いや、なんかそっくりだなーとは思ったけど、先輩は一年ちょっと前に死んだって――」

「だから、異世界召喚とか転生しちゃった系の日本人」


 俺は自分を指さした後、その指を倒れたままの九頭谷に向けた。


「で、お前こそどうしたんだ? 俺の住んでいた部屋に引っ越したら、こっちへ来ましたってか?」

「こいつが尊敬している先輩ってお前のことなのか、ジン?」

 

 ベルさんが小首を傾げた。え、違うの? 俺はてっきり――


「それより、なんで悪魔なんかになってるの?」

「あー、それは話せば長くなるんですが――」


 九頭谷は語りだす。とりあえず、戦闘は終了した。

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