第756話、マクティーラ・シェード
旧シェーヴィル王国。現在、帝国西方辺境領とされるこの国は、大帝国の西方方面軍司令部が置かれている。
かつての王国は昨年より不幸続きであった。支配者たるシェーヴィル王朝が大帝国によって滅びたこともだが、秋には十年に一度の大飛竜フォルミードーにより大災厄に見回れた。多くの被害を出した上に、大帝国の支配が始まった。
民は、帝国のための施設作りに狩り出され、過酷な労働で死者も少なくなかった。だが労働者以外の民も、飛竜騒動などで冬越えの準備ができなかったことによる餓死者、凍死者が大量に発生する事態となる。
だがそれらの犠牲と引き換えに、西方辺境領の大帝国軍施設は充実したものとなった。海には多数の軍艦が停泊できる軍港、内陸には空中艦隊用の大規模航空軍港、さらに国境近くに複数の砦や補給拠点が新造されたのだ。
マキシモ平原にある空中艦隊航空軍港に、本国から飛来した高速クルーザーが到着した。
アグラ級高速クルーザー『リギン』は、15センチ連装砲二基、12センチ単装砲四門、8センチ速射砲十二門で武装するが、速度と航行能力を重視した艦だ。
リギンの到着に合わせ、帝国兵が整列する。新たな西方方面軍司令官の着任、その出迎えである。
最敬礼で迎えられたのは、マクティーラ・シェード中将。黒き狼の異名を持つ歴戦の将軍である。
三十代半ばであるが、二十代にも見える顔立ち。黒髪に淡々とした表情。背は高く、黒い軍服の下は適度に引き締まった肉体があって、武人らしい身体つきである。
「ようこそ、シェード将軍閣下。私はフィル・オノール大佐。閣下の参謀長を仰せつかっております」
敬礼するオノール大佐。四十代半ば、灰色の髪、角張った顎、中肉中背と、いかにも軍人らしい男だった。うん、とシェードは頷くと、答礼を返した。
「よろしく、大佐。さっそくだが西方方面軍の現状を知りたい」
「ハッ。……失礼ながら将軍閣下。閣下の歓迎のセレモニーなどを用意しているのでありますが……」
「オノール大佐、その予定はキャンセルだ」
ぞんざいな調子でシェードは言った。
「私は、戦争をしにきた」
・ ・ ・
西方方面軍司令部は、シェーヴィル王国の王都だったシガルラ宮殿にあった。
きらびやかな装飾が目立つその建物は、所々に金の飾りがあり、豪華さとかつての繁栄を見る者に与えた。
もっとも、着任したシェードは、ただ一言「悪趣味だな」とだけコメントした。
歓迎の式典やら行事はすべて断った新司令官は、パーティーのつもりで準備をしていた西方方面軍司令部の将校たちを儀礼衣装から軍服に着替えさせた上で、作戦会議室へと入った。
西方辺境領の地図が広げられた机の前の席に座ったシェードは、さっそく地図を眺める。挨拶もそこそこに黙り込む司令官に、司令部要員たちは直立の姿勢のまま、様子を見守った。重苦しい沈黙が会議室を包み込む。
やがて、シェードは他の面々の顔を見ることなく口を開いた。
「諸君、我々は、西方方面軍だ」
突然の言葉に、皆緊張の面持ちを深める。
「恐れ多くも、皇帝陛下より、大陸西方諸国を制圧し、資源を獲得せよとの言葉を賜った」
顔を上げるシェード。その灰色の瞳が、一同を
「前任者であるヘーム将軍が死に、西方方面軍は大きく立て直しが必要なほどの損害を受けた。また展開する作戦についても再検討が必要になった。……ここまではよろしいか?」
「はっ!」
会議室にいた帝国将校が答えた。
「結構。ここに来るまでに、オノール君より、君たちが考える西方方面軍の今後についての話は聞かせてもらっている。だから、私は方針を述べようと思う」
司令部将校たちは、これ以上ないほどの緊張感をまとい、新司令官の言葉を待つ。
「西方方面軍は再編成の必要がある。最初の目標であるヴェリラルド王国への再度の侵攻は現状では困難――これには私も同意だ。よって、ヴェリラルド王国を避け、周辺国から制圧する」
シェードの方針に、司令部将校たちに安堵の空気が漂う。だが黒き狼との異名を持つ新司令官は続けた。
「西方諸国の情報収集。だが我々はただ戦力を整うのを待つ必要はない。手始めにヴェリラルド王国の東、ノベルシオン国を三日以内に支配下に置く」
「!?」
「み、三日……!?」
思わず漏れた声を無視して、シェードは事務的に告げる。
「とりあえず、三百ほど歩兵をもらう。準備させてくれ」
「兵三百……」
「たったそれだけ……?」
ざわめきが収まらなかった。西方方面軍司令官は眉をひそめた。
「聞こえなかったのか? すぐに兵を手配しろ。待つ間に説明する」
疾風迅雷。名将と言われたシェード将軍の数多い通り名のひとつ。彼はそれを早速発揮するのである。
・ ・ ・
ノベルシオン国――東に魔獣が跋扈する大自然地域、西にヴェリラルド王国。そして北は、大帝国の西方辺境領に面している国である。
緑豊かな平原が多い土地だが、東に広がる大自然地域が天然の防壁になっていて、東への移動を妨げている。
隣国のヴェリラルド王国との仲は、あまりよろしくない。国境や領地を巡って争うこともしばしばあるのは、この世界の常である。
だが、この二国に限れば、決定的な違いは人間以外の種族に対する態度にあった。
亜人や獣人に寛容なヴェリラルド王国に対し、それら他種族への差別が凄まじいノベルシオン国。根本的に相容れない、というのが両者の率直な意見だ。
それが元で、政策に難癖をつけて戦争をしたことは何度もあった。大抵はノベルシオン国からなのだが、戦争が長期間したことは一度もなかった。何故なら、東の大自然地域から流入する魔獣対策に、常に軍を東部国境に置かねばならなかったからだ。
つまり、ノベルシオン国は、東の魔獣、西のヴェリラルドの双方を相手にすることになり、二正面の戦いは戦力の集中を許さず、また負担も大きかった。
最近ではもっぱら、国内向けの政治ショーとも言うべき程度の小競り合いであることが多い。それで戦争を仕掛けられるヴェリラルド王国もいい迷惑である。
ヴェリラルド王国でアンバンサーによる侵略戦闘が行われた際、ノベルシオン国は、領地拡張の絶好機が訪れた。
だがこの時、彼らは自国西部に戦力をほとんど置いていなかった。それをたまらなく悔しがる者も一部にはいたのだが、ノベルシオン国の多くの者は、そのがら空きの土地など見向きもしなかった。
何故なら、ノベルシオン国北方に面する帝国西方辺境領――大帝国軍が西方諸国征服に動いていることを危険視し、本来西に置いていた軍備を北へ向けていたからだ。
いつもの小競り合いよりも、国家存亡の危機。優先すべきはどちらかは明白だった。
その隣国、ヴェリラルド王国は侵攻してきた大帝国軍を返り討ちにした。敵西方方面軍は大損害を受けたが、だからといってノベルシオン国に攻めてこないという確証はない。
ゆえに北の国境の守りは堅い。
そんなノベルシオン国に、大帝国軍は牙を剥く。
新たに西方方面軍司令官となったマクティーラ・シェード将軍はわずかな兵力で、同国を三日以内に支配すると宣言したのだ。
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