第711話、前世の記憶


 ノルト・ハーウェンは、ヴェリラルド王国北西部ノルテ海に面した土地だ。

 ノルテ海に面した沿岸部に沿って細長いのが特徴だ。漁業を生業とする村が多いが、ノルト・ハーウェンの中心地、フルスシュタットは交易も盛んな都市である。

 トキトモ領からほど遠いノルト・ハーウェンではあるが、ポータルを使えば、あっという間に行き来できる。


 俺はヴェルガー伯爵に会う前に、SS諜報部の人員にノルト・ハーウェンの現地調査をやらせていた。

 会談において、有利に立つためにも情報収集は基本だ。……調べさせたのだが、ノルト・ハーウェンは災厄に見舞われていた。災難なんてもんじゃねえぞ、ってレベルで。


 俺は伝令が設置した携帯型ポータルを利用して、港町であるフルスシュタットに飛んだ。

 ノルテ海に面したこの町は、色鮮やかなオレンジ色の屋根で統一された強固な民家が立ち並んでいた。町のすぐ端が海で、まさに隣接している感じだ。小さな船、ボートも多く、もし俺のいた世界で現代までこの町並みが残っていたら、観光名所になったかもしれない。


 空はあいにくの曇り空。風は冷たいが、雪の気配はなし。


 伝令を務めたシェイプシフター兵とともに、ヴェルガー伯爵邸へと向かう。海にほど近い場所に周囲より大きな城のような建物がある。一際高い尖塔を持つそこが、領主の館だった。


 門番と伝令がやりとりし、さほど待たされることなく館内へ通された。色鮮やかな色彩の壁。装飾もさることながら、船の画が飾られている。……伯爵殿は船が好きなのかな?


 客間に通され、意外と実用的な机や椅子が置かれていた。五分ほどして、ヴェルガー伯爵がやってきた。


「お待たせして申し訳ない、トキトモ侯爵」


 五十代と思われる男性。眉が太く、口ひげがお洒落で、中々ダンディーな印象の人物である。俺の中で、何故かスペイン系男性っぽい、という謎印象が発生。でもどこか東洋系にも見えた。


「お出迎えもせず申し訳ない。私がグランツ・ヴェルガー、ここの領主をしています」

「いきなり押しかけて申し訳ありません。私はジン・トキトモ。侯爵をしています。こちらは友人のベルさん」


 黒猫姿の相棒もきちんと紹介する。が、当のベルさんは頷いただけで声は出さなかった。


「使者から伺っていましたが、本当にすぐ来られたのですね」


 ヴェルガー伯爵は席を勧め、自身も座ると話し始めた。


「貴殿を一度お見かけしたのは、王都スピラルで、エマン陛下の後継者発表の時でした」


 アーリィーが公式に『女』となり、ジャルジーが次の王になる、と諸侯の前で知らされた時だ。あの場にヴェルガー伯爵もいたようだ。

 メイドが茶を用意して、用が済むと退出した。


「あの時は、ただの冒険者でしたが、今は成り上がって侯爵になっています」

「大出世ですな。若いのに大したものだ」


 ヴェルガー伯爵は穏やかだった。嫌みもなく、僻みの類いも見られない。


「実は、貴殿とは機会があれば、会って話がしたいと思っていました」

「……そうなのですか?」

「ええ。そして王国東部で起きた戦闘。そこで活躍した戦闘機や戦車……その中心にウィリディス……貴殿がいると聞いて確信しました」


 ヴェルガー伯爵は背筋を伸ばすと、言葉を切り替えた。


「あなたは、『日本人』ですね?」


 完璧な日本語だった。異世界で、東洋系に似た種族もあるとはいえ、名前もあるだろうが、きっぱりと断言できるのは――


「あなたも日本人ですか?」


 俺が返せば、ヴェルガー伯爵は頷いた。


「『はい』であり、『いいえ』であります」


 伯爵は小さく笑みを浮かべた。


「前世が日本人だった、というのが正しいでしょう。死後転生を果たし、今に至ります」


 召喚された、とは違う経緯の異世界人のようだ。前世、死後などはっきりと断言したから間違いないだろう。


「記憶があやふやなところもあるのですが、私が日本人だったのと、息子がいたのは覚えています。名前は、ニシムラ……そう呼ばれていました。名字は覚えているのですが、名前のほうは何故か思い出せない」


 苦笑するニシムラさんこと、ヴェルガー伯爵。


 彼が前世の記憶を取り戻したのは二十一歳の頃、海賊討伐で傷を負った時だったと言う。以来、伯爵としてノルト・ハーウェンを治めてきた。


「中世レベルの世界で、色々苦労はさせられましたが、それなりに発展させられたかと自負しております。……とはいえ、日頃の雑務に追われて、作ろうとしていたものが中途半端で、結局できなかったりしていますが」


 例えば、大砲とか。ある程度の知識はあったが、その大砲を構成する素材から研究、開発せねばならず、難儀していたという。何せ、この世界の後世の知識を加えて作るわけで、あまり表立って製作もできなかったらしい。


「トキトモ侯爵は魔法使いだと聞いております。私には魔法というのがいまいち理解できず、オカルトの類いと思っていたので、そちらの能力は成長しませんでした」


 色々苦労していたようだ。さて、日本人同士、雑談も悪くないのだが、そろそろ本題に入ろう。


「戦車や戦闘機について、伯爵はご存じのようですが……」

「はい。現在、ノルト・ハーウェンは危機的状況にあり、我が領だけでは対処できない状態にあります。エマン陛下に相談の文を送った頃は、戦闘機などで対処できるかとも思ったのですが、あの後、事態はさらに悪化しております」


 まず第一に、海賊の増加。それによる沿岸部集落への襲撃、略奪が行われている。


「こちらも防衛戦力である戦闘帆船を繰り出しましたが、海賊どもは小型快速船を用いていて、中々捕捉できません」


 ヴェルガー伯爵は悔しげに唇を噛んだ。俺は頷く。


「それで戦闘機があれば、と」

「はい。戦闘機でなくとも、私の前世にあった駆逐艦が一隻でもあれば、容易く蹴散らせるのですが」


 駆逐艦……。この人、ひょっとして前世は軍人か、あるいはそっち系の関係者だろうか。


「さらに話を続けますと、ここにきて海賊以上に厄介な連中が、最近出没するようになりました」


 サハギン族。水中に住処をつくる種族であり、独自の文化を持っている。だが厄介なことに、他の知的種族に対して好戦的であり、自分たちの種族以外はすべて敵と認識している凶暴な連中だ。


「それがどうも、ノルト・ハーウェン近海に、拠点を作ったようで。討伐しようにも、相手は海の中。出てくる敵を迎え撃つしか、こちらから手が出せません」


 水中の敵か。ウィリディス軍ならどうだろう、と考えると、水陸両用のパワードスーツのウンディーネくらいしか浮かばなかった。アンバルなどの航空艦は水中に対応していたっけ。確認しないと使えるかわからない。


 そう考えると、うちの軍も水中で圧倒できるヴィジョンが存在しないことに気づかされる。大帝国に潜水艦とかないから考えてもいなかったが、海中の魔獣を操るとか攻撃手段がまったくないわけではないことは盲点だった。


「第三は、陛下への文にも書きましたが、大帝国の占領下にあるシェーヴィル王国の港に彼らの戦闘帆船の配備が進みつつあり、また沿岸部にも偵察艦を送り込んできています」


 サハギン族や海賊の襲撃で、ノルト・ハーウェン沿岸部の集落は大きな被害を受けた。大帝国からすれば、それらと遭遇しない限りは、どこでも上陸し放題ということになる。


「我がノルト・ハーウェンには、大型戦闘帆船が二隻、中型が一隻、小型船四隻のみ。大帝国海軍が攻撃してきた場合、おそらく防ぎきれないでしょうな」


 ヴェルガー伯爵は眉をひそめる。


「そして最後にして、最大に問題が、ここよりほど近い場所にあるフルーフという島に巨大クラーケンが出没するようになったこと。これが一番厄介です」


 事前に調べさせていたから知ってはいたが、やはり現地の人間から聞かされると現実感が増すな。北方の海は想像以上に危険な状態となっていた。

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