第708話、悩める女子高生


 橿原かしはらトモミが地下屋敷の風呂から出てきたところで、俺は声をかけた。


 もちろん、風呂あがりで脱衣所に入ってきたところではなくて、その脱衣所できちんと着替え終わって出てきたところで、だ。

 ……ラッキースケベなイベントではない。というより風呂に入っていると聞いて、突入するほど愚かではない。


 なお、アーリィーの場合は俺が入っても気にしないし、サキリスならむしろ恥ずかしがりながら喜ぶ。


 さて、肝心の橿原は、俺と遭遇したことを驚いていた。最近ご無沙汰だったのは、彼女も自覚があったらしい。


「だってジンさん、多忙じゃないですか」

「うん、多忙だった」

「王国を守るために軍隊作ったり、お隣の領主さんから頼まれごとをしたり――」

「ダークエルフの救助と再建。ノイ・アーベントの街づくりもあるな」


 そして、王国に面するノルテ海方面でも、俺を呼ぶ声が聞こえるというね。

 風呂場から移動し、地下屋敷の居間へ。何か飲み物を――


「あ、わたし、取ってきますね。何がいいですか?」


 居間に隣接するキッチン。料理方面で貢献している橿原は魔力冷蔵庫の中身も把握している。……眼鏡っ娘メイド姿も、中々似合っていたな。

 スライムソファーにゆったり腰掛けて待つことしばし。橿原のいれてくれたコーヒーを受け取り、いよいよ本題へ。


「最近調子はどう? あまり元気がないって聞いたけど……」

「……誰か言ってましたか?」

「ここで働くメイドさんが教えてくれた」


 俺はポンポンと返答する。橿原は控えめなところがあるから、曖昧な調子で聞くと肝心なところにたどり着けない気がする。


「元の世界に帰りたい?」


 自分で口にしてみて、愚問だなぁと思う。彼女の場合、それはわかりきっているから。


「そうですね。帰りたくないと言ったら嘘になります」


 ワンクッション入れてくるんだよなぁ、彼女は。


「ここでお世話になって、とても助かっています。皆さん、よくしてくれますし」


 でも――と橿原はうつむいた。


「何か、お世話になっていて、わたしは何をやってるんだろうって思ってもいて。……ジンさんは忙しいですし、アーリィーさんやサキリスちゃんも、色々やってる」

「……」

「メイドの真似事をしてみたり、異形退治と聞いて、わたしでも役に立てるかなって思ったけど、まったく役に立てなくて……」

「あの馬鹿でかいスライムのことなら、橿原は何も悪くないぞ。俺だって遠くへ捨てることしかできなかったんだから」


 タイミングが悪かった、としかいいようがないな、アレは。


「橿原は貢献しているよ。魚料理のバリエーション増えたし、麺類の生産は君のおかげだ」

「料理ばかりですね」


 苦笑する橿原。俺もつられて笑った。


「食は人を豊かにするんだよ」


 それに――


「君はエリサと共に後方で、負傷者の手当や食料配給の手伝いで活躍してる」

「本当は、戦えるのに、そういう安全な場所にばかりいて――」

「その後方でいざ何かあれば、君が守ってくれていたと思う」


 本当は後方支援に何かあるような事態はまずいのだが、そこで頼れる存在がいるというのはとても助かっているのだ。


「ただ、君をそうした戦いに巻き込んでいるというのはあって、俺としても申し訳なく思っている」

「そんな……。むしろ、わたしこそ、ごめんなさい! 力になれなくて」


 ソファーから立ち上がり、橿原は謝った。震える肩、眼鏡の奥の瞳は湿り、涙がたまる。


 何かできるのではないか。だがその何かについて、橿原は迷っている。

 本当は元の世界に帰りたい。だがこの世界は混沌としていて、彼女のような力を求めている。それに答える力がありながら「何もしないこと」に後ろめたさがあるのだ。


 橿原は、優しい。同時に責任感のある子だ。

 だが、例え力があっても、彼女にとってここは異世界であり、故郷を蔑ろにしてでも戦いに参加するほどの理由はない。


 そう、帰ること――それが遠く離れた異世界に放り出された彼女が、唯一生きる目標として希望を見いだしていることなのだ。


 だから俺は、彼女に戦いを強要はしなかった。志願してくれば応える。保護している彼女に何かしてもらおうとは思っていない。だが、それが逆に、橿原本人の心を苦しめていた。


 つまりは、目的があればいいのだ。彼女が元の世界に帰るという最重要目標を果たすべく動きながら、世話になっている俺たちにお礼ができれば、万々歳であろう。


 そんな都合のいい方法があるか? ……あるんだな、これが。


「なあ、橿原。君に頼みたいことがあるんだけど、いいかな?」

「わたしに、ですか?」


 俺は、彼女をソファーに再度座らせつつ、提案した。


「君の言うとおり、俺は多忙だ。やらなくちゃいけないことも多い。だが正直あれもこれも、と言って手がつけられていないこともある」


 そのひとつを君に頼みたい。


「この世界には、古代文明……古代機械文明のものも含めて、それなりの数の遺跡などがある。大帝国はこれらの遺跡から、過去の遺物を発見して有用なら、自分たちで利用する」


 例えば、兵器とか魔法具とか、色々。そして――


「異世界召喚の魔法陣とかね……」

「……!?」

「橿原、大帝国の連中に先んじて、そうした遺跡を巡ってはくれないだろうか?」


 必要な乗り物や機材、人員などはこちらで出す。

 敵に古代の遺物を使わせないためにこちらで押さえる。その中で、もし元の世界に帰る手掛かりなどが発見できれば、橿原の望みにも近づくことができる。


「むろん、当たり外れはある。徒労に終わるかもしれない。遺跡には罠があったり魔獣が棲み着いている場合も多い。はっきり言うと危険だ」

「それでも――」


 橿原が声を震わせる。


「当たりを引けば、帰る方法がわかるかもしれない……」


 宝くじみたいなものだ。その『当たり』の可能性はかなり低い。あるかもしれないが、もしかしたらゼロの可能性だってある。だがそれは、最後のひとつまで確かめないことにはわからないことだ。


「やります」


 彼女は、はっきりと言葉にした。


「可能性は低くても、前に進まなくちゃいけない。これはわたしのためでもあり、同時にジンさんにもお返しができる。……断る理由がありませんね」

「ありがとう。本当は俺も遺跡巡りしたいんだけどね……」


 本音がちらり。大帝国の問題を抱えていなければ、のんびり遺跡探索も悪くないのだが。


「SS諜報部が情報を集めている。それを検討して、探索する候補を決めよう。あと、乗り物を手配しないといけないな」


 橿原は戦闘機など飛行機を操縦できないし、まさかアンバル級を引っ張り出すわけにもいかない。人員に機材、はてさて。

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