第707話、傷心


 ウィリディス軍はアリエス浮遊島に帰還した。


 スール研究所を破壊し、大帝国の大陸制覇の野望に対して、少々の嫌がらせに成功した。軍備増強に繋がる索敵装置の生産計画を振り出しに戻したのだからそれなりに成果はあった。


 だが、心は晴れない。それは俺だけでなく、参加した面々がそうだった。エリサは黙り込んでいたし、リーレは苛々が収まらないようだった。


 連れ去られた亜人たちを救出する。その目的は、救出対象がすでに改造されてしまった以上、果たせなかった。


 押収した資料によれば、亜人に対する処置は二日前に終わっていたらしい。俺たちがルカー氏らダークエルフを奪回したために、その分、早く終わったようだ。


 魔力レーダーに組み込む生体部品の数は1000を予定していたが、集まったのは810人分。それだけの亜人が犠牲となったのだ。


 もっと早く、この情報を掴んでいたなら……。ダークエルフたちを救出した直後に、スール研究所のことが発覚していたなら、あるいは救えたのではないか――それを思うと、俺は胸が詰まった。


 後悔はしたくない。そう生きてきても、後悔することはできてしまうのだな……。当たり前だけど。


 魔法軍特殊開発団――あいつらは、さっさと滅ぼしてしまわないといけない。俺の中でその思いが強くなる。


 異世界人を召喚し、魔器に生きたまま封じる。連合国にいた頃のことも含め、俺やベルさんにとって因縁深い魔法軍特殊開発団であるが、さながらアンバンサーの後継者のような研究者集団を野放しにしておけない。


 シャドウ・フリートの当面の攻撃対象が決まったな。『キアルヴァル』もTF-4ゴーストも役割を果たした。兵力を増強しつつ、本格的に行動を開始する。


 そういえば、まだ艦隊の『色』が決まってないんだよな。さっさと決めておかねばならない。4の月を待たず、シャドウ・フリートは攻撃に打って出るのだから。


 ……しかし、今は、ちょっと精神的に疲れた。一日くらい、静かに休ませてはくれないか。


 エマン王から聞かされたヴェルガー伯爵のもとへ向かった使者から、返答が来た。伯爵は「いつでも歓迎する」と答え、できるだけ早い会合を望んでいるそうだ。うむ、わかった。とりあえず、明日な。


 亜人たちのことを引きずって仕事にならなかったのだ。


 結局、俺はベルさんやヴォード氏とその日は痛飲した。

 自分でもよく飲んだと思う。最後のほうはほとんど覚えていないが、ベルさんが「お前のせいじゃねえよ」と言っていたのだけは脳裏に残っていた。


 そのまま眠ってしまい、気づけば俺は自室のベッドでアーリィーに抱きしめられていた。その優しさが胸にしみる。


「すまない、アーリィー」

「いいんだよ。ボクにはこれくらいしかできないから」

「……」


 色々言いたいことはあったが、俺もアーリィーもそれ以上は言わなかった。ただ優しく抱擁され、その温もりに身を預けた。



  ・  ・  ・



 アミナの森のダークエルフ集落を俺は訪れた。


 スール研究所の攻撃に参加した戦士たちを労うためだ。シェイプシフター強襲兵に混じって参加した戦士は四十名。うち四名が戦死、重軽傷者は九名だった。


 倒れた戦士たちの弔いの儀式に参列させてもらった後、あらためてルカー氏と会話。彼は、一族の雪辱の機会をもらったことで俺に礼を言った。うちのリーレの言葉が発端だと教えたら、その戦士にも礼をと頼まれた。


「正直、いまでも大帝国の所業は許せない」


 ルカー氏は険しい顔を崩さない。


「だが、皆ある程度のケジメはつけられた。これからは集落の再建を推し進め、未来に目を向けられるだろう」


 復讐の後、何をするのか。目的を失うことなく、ダークエルフたちは次の一歩を踏み出しているようだ。


「我々は、トキトモ侯爵殿に大きな借りがある。貴殿が大帝国と矛を交える時は、我らも共に戦う」


 必要な時は言ってくれ――ダークエルフの族長は、ふと俺を見た。


「だが我が一族の中には、いまだ大帝国に対して戦いを望む者がいる。何人かが、トキトモ侯爵殿の幕下に加わりたいらしい」

「志願者、ですか」

「貴殿の軍、その兵士たちに感銘を受けたのだろう。事実、私も感服した」


 シェイプシフターたちなら、人間やダークエルフたちとも違うんだが……。


「わかりました。軍事顧問と相談しておきます」

「よろしく頼む」


 ルカー氏は礼をしたので、俺も同様に応じた。


 その後、集落の再建話を少々。ニゲルの森の彼らの集落については、大帝国が戻ってくる可能性を踏まえ、まだしばらくはそのままにするというのが決まった。

 その他、不足している物資の確認。ウィリディス料理で使われる香辛料などを売ってくれないか、とルカー氏が申し出た。


 何でも、集落再建を手伝っていたサキリスやユナが持ち込んだウィリディス料理を交換したり、元々ウィリディス食堂で食事をしたことがあるラスィアさんやヴォード氏がその味を吹聴したらしい。実際につまんでみて、これが大好評だったとのこと。うん、まあ、いいんじゃないかな。


 細部については後で詰めることを約束して、一度、ウィリディス食堂に戻る。調味料の件もあるが、宮廷料理人であり、エマン王の料理を担当するコッホ氏に相談するためだ。


 ダークエルフと料理交流をしたいが、何人か料理人を派遣できないか。


 ただ調味料や食材を渡すだけではもったいない。この機会に他種族の料理に触れるいい機会だと思ったのだ。……できれば亜人に差別のない人材が望ましいが。


「わかりました。こちらのほうで選別しておきます」


 ウィリディス食堂の料理長も兼任しているコッホ氏は快く引き受けてくれた。


「陛下の料理番でなければ、私自身、行ってみたいですけどね」


 そう五十歳の料理人は、茶目っ気を出した。よその料理も気になるらしい。こういうところが、宮廷料理人でありながら、ウィリディス食堂の未知の料理体得に積極的な理由でもあるのだろうな。


 さて、ウィリディス食堂を出て、ノイ・アーベントに戻ろうと思って移動する俺は、そこで屋敷の雑務を担当しているメイドのひとり、ヴィンデに呼び止められた。


 元アーリィー付きのメイドで、幼い容姿の可愛らしい少女である。クリスマスにプレゼントしたパワーグラブをはめて、でかいソファーを片手で担いでいる。

 ……小さな少女が、その身に不釣り合いな重量物を軽々と持ち上げている光景は、漫画やアニメの世界だよなぁ、と思う。


「少し背が伸びたんじゃないか?」

「ほんとですか~! うれしいですー」


 やや舌足らずな口調。存在自体が小動物じみて、癒やしである。


「ご主人様ー、余計なお世話かもしれないですが、ご報告です」


 真面目ぶっているヴィンデちゃんも可愛い。


「最近、トモミさんが元気アリマセーン」


 why?


橿原かしはらが?」


 同じく日本から召喚された異世界人。現役女子高生にして、異形狩りの戦士。……本当に同じ国の出身か少々疑問であるが、その橿原が元気がないという。


 そういえば、最近あまり顔を合わせていない。フレッサー領の異形退治で一緒に行動したくらいか。

 彼女はもともとリーレと共に、元の世界に帰る方法を探して旅をしていたが、大帝国に襲われ、現在、ウィリディスで保護している。


 元気がない。……ホームシックかな? 彼女、たしか弟や妹がいるって聞いたし。

 身内で保護している女の子に元気がないと聞いたら、こりゃ後回しにできない。というより後回しにしたら、次の機会がないかもしれない。


 というわけで、俺は橿原を探して、彼女のもとを訪れるのだった。

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