第683話、侵略する大帝国
ディグラートル大帝国へ潜入させたSS諜報部は、これまで通り、敵の動向を掴んでいた。
先日のアリエス島の件で、こちらの把握していない大帝国部隊の存在が明らかになったが、諜報部の拡充により、これらの動きも少しずつわかりはじめていた。
大帝国は俺が戦っていた頃より、さらに軍の近代化を進めていた。
戦車と魔人機を持った陸軍。浮遊石を搭載した大空中艦隊。魔石機関とレシプロ機関を併用した海上艦を有する海軍。
古代文明時代の発掘品と、異世界人の知識と技術。それらを以て確実に大陸制覇の野望を推し進めている。
ここまで強大になってしまった一端は、俺が暴れすぎてしまい、従来の戦い方にこだわっていた大帝国の旧体制派を
敗北の瀬戸際まで追い詰めつつも仕留めきれなかったことで、かえって彼らを強くしてしまったのだ。世代交代、新陳代謝。
もっとも、こうなってしまった原因を突き詰めるなら、俺を裏切った連合国が全て悪いのだが。彼らが裏切らなければ、少なくとも大帝国は滅びていた。
さて、その連合国であるが、その勢力圏の半分は大帝国に支配されている。派遣したシェイプシフター諜報員の報告によれば、クーカペンテ、プロヴィア、トレイス、カリマトリアの旧連合国所属の四国は、大帝国の無慈悲な暴力と苛烈な支配に民が苦しんでいる。
最低階級民として強制労働や徴兵。個々の財産、土地などすべてを奪われ、また資源も搾取され続けている。最低限の食事、劣悪な生活環境に押し込まれ、この冬多くの犠牲者が、現在進行形で出ている。
支配領域の民の生活を保護せず、使い捨ての労働力として使い潰し、人減らしを同時に遂行して自国への負担を減らす。
なお大陸外の国に、大帝国外の支配領域の民を奴隷として売ってもいるという。
大帝国に占領された末路は悲惨の一言では、言い尽くせない。
春になれば、かの大帝国は連合国に再侵攻し、トドメを刺すだろう。そしてヴェリラルド王国を含めた西方諸国をも征服し、やがては大陸全土を手中に納める。
………………。
……もう、直接、皇帝を始末したほうが早くないかな?
などという考えも正直、何度もよぎった。
だが、そのたびに、シェイプシフター諜報員の報告書が脳裏をよぎるのだ。
ブルガドル・クルフ・ディグラートル――ディグラートル大帝国の支配者。公式には五十歳とされる。逆らう者には一切容赦なく、大陸制覇を目論み、周辺諸国を侵略、悪行の限りを尽す人間界の魔王とも言える人物である。
若い頃は、先帝の崩御による混乱により帝国が乱れたが、それを力でねじ伏せてきたという武闘派。過去何度も戦場で死んだと思われたり、暗殺もされたが、その都度、健在な姿を見せ『不死身』の二つ名を持つ。
実際、「この俺を殺せる者がいるなら、そいつに帝国をくれてやってもよい」というのが口癖らしい。
――こいつ、本当に『不死身』能力の持ち主じゃないのか?
俺は思う。普通なら「そんな馬鹿な」というところだど、ベルさんとか、異世界人であり魔獣戦士のリーレなどは、その不死身特性持ちだ。そういうのを見ていると、ただの誇張とも思えない。
先天的な能力なのか、はたまた何かの呪いでも受けたのかはわからないが、それは目下、SS諜報部が調査中である。少なくとも事実関係を突き止めずに、迂闊な攻撃は仕掛けるべきではない。
実際、頭をすげ替えたところで、それで戦争が終わるわけではない。指導者の器によっては弱体化もあるだろうが、強大な軍隊が健在なうちは、その後継者を自認する奴が、戦争を続けるだけである。
ジン・アミウールはやめて、目立たず、こっそりアシストすることで、他の勢力に大帝国に勝ってもらう――主役は他人任せという方針で俺はやっていく。
もう活躍した後で裏切られるのはごめんだ。天下の英雄魔術師といえど、怖いものはある。
とはいえ、今の方針は、多くの血が流れる戦い方だから、必ずしも正しいとは言い切れないが。
大帝国も連合国も、そしてヴェリラルド王国にも出血を強いることになる。王国は、損害を受けないように立ち回るつもりだが、それ以外はそうはいかない。
連合国の半分をはじめ、大帝国の支配下では、いまこの瞬間にも命が失われている。正義感がもたげて、今すぐ行動を起こし、助けないと、という義憤に駆られる。
だが、俺は万能ではない。そこまでは自惚れられない。
全員は救えないのだ。指先ひとつで、餓えている数万、数十万の人間の腹を満たし続けることはできないし、国ひとつの全ての人間の病気を取り除いてやることはできない。
個人と、その一組織でできることは限界があるのだ。
「だけど、やれるところからやらないとな――」
国が民を守れなかった責任は俺にはない。よその世界の、よその国の出来事だ。だが、良心は痛むわけだ。知ってしまうと。
・ ・ ・
エルフのカレン女王が、ウィリディスを訪れ、そこからノイ・アーベントへとやってきた。
そういえば、旧キャスリング領でのアンバンサー戦役より少し前から、彼女はウィリディスに来ていなかった。お忍びでウィリディス食堂での食事を楽しみにしていた女王が、である。
ノイ・アーベントを視察しながら、俺は、傍らのカレン女王に聞いた。
「最近は里のほうはいかがでしょうか? お忙しいようでしたが」
「大帝国の動きを警戒しているのです」
エルフの女王の姿を一目見ようとやってきた住民たちに、にこやかに手をふりながら、カレン女王は答えた。
「ジン様が、彼らが4の月に連合国へ進撃するとお知らせしてくださった。……連合国とは直接繋がってはいませんが、大帝国の南部軍の動き次第では、わたくしたちの森も危うくなる……」
「こちらの諜報部の報告では、南方方面軍には大きな動きはありません」
まずは東と西を優先するという大帝国陸軍の方針で。ただし戦況が優勢に進めば、南方方面軍にも動きがあるだろうことは間違いない。
「ですが、小さなところで、大帝国が動いているようなのです」
女王は心持ち、眉をひそめた。
「ジン様は、ヴィスタを覚えていらっしゃいますか? カリヤの森の弓使いの」
「もちろん。今もこちらで元気にやっていますが」
魔法弓使いの美貌のエルフ。キリリと勇ましい女性で、ジン・アミウールを崇拝に近い感情で見ていた。今では、すっかりウィリディスに慣れて、機械さえ扱えるほどになっていた。
「彼女が何か?」
「いえ、正確にはヴィスタではなく、彼女にとっての敵である青エルフについて」
「あー……」
ヴィスタは、先の青肌エルフによるエルフの里の襲撃で、生まれ故郷のカラン集落を滅ぼされ、家族を失った。今でも青エルフを見たなら、即刻得意の弓で射殺するかもしれない。
「何かありましたか?」
「実は、我がエルフの捜索隊が、我らが仇敵、青エルフの集落を発見したのです」
「……」
「ですが、思いがけない事態に遭遇したのです」
カレン女王は複雑な表情を浮かべた。思いがけない事態? 俺は、女王の言葉を待つ。
「集落はすでに滅ぼされていたのです。そしてそこに住んでいたダークエルフたちは大帝国の者たちに連れ去られていた……」
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