第623話、エリサとサキリス


「それで、どんな夢だった?」


 エリサはブラシで、サキリスのきらめくような金髪を梳かしながら聞いた。


 ウィリディス軍の個別用テントの中。メイド服姿のサキリスは、早々に仕事に出ようと思ったのだが、うっかり寝癖のついたままだったところを、エリサに指摘され、お世話になっていた。


「何故、夢の内容を聞くんですの?」

「これでもあたしは、カウンセラー……というのかしら。相談係のようなことをしているからね。薬を作るのが本業だけど、ウィリディスでのメンタルケアも一応、仕事のうち」

「……」

「あなたって、イケナイ趣味を除けば、完璧人間じゃない?」


 ノーコメント。サキリスは口をへの字に曲げ、目も閉じる。


「そんなあなたが、うっかり寝癖付きで出勤なんて、おかしいと思うでしょ、フツウ」

「わたくしらしくない……ですか」


 サキリスは自嘲する。エリサが指摘しなければ、他の誰かが同じように言うかもしれない。まして主人であるジンに言われようものなら最悪だ。彼の役に立ちたいのに、余計な心配をさせてしまう。


「あたしとあなたは似ているわ」


 エリサは、サキリスの髪を丁寧に扱う。


「元貴族で、家族を全員失い、故郷にもいられなくなった。この世界に身内はいない。たった一人」

「……」

「あたしはね、あなたのことを妹のように思っているのよ。たぶん妹が生きていたら、あなたと同じくらいだったと思う。だからね、そんな難しい顔をされると気になるのよ」

「……わたくしは、貴女の妹ではないわ」


 重ねられても困る。そう突き放すように言えば、エリサは微笑んだ。


「ええ、そうね。あなたはあたしの妹ではないわ」

「……黙秘権はございますの?」

「別に行使してもいいけど、それだとあなたの胸の奥につかえているものは、そのまま残ったままよ?」

「言えば、解決するといいますの?」

「言わなければそのまま、と言っただけよ。だったら口に出したほうが解決するかもしれないわね」


 どうしたの、と、優しい声音が、サキリスの耳朶を刺激する。まるで身内のような、もし自分に姉がいたら、こんな風に心配してくれるんだろうか、と思った。


「……憧れていましたの」

「何に?」

「魔法騎士に。わたくしの母は、それなりに有名でしたの」


 サキリスは顔を上げる。

 母ディアナは、地元では有名な魔法騎士だった。キャスリング家と親交の深い子爵家の令嬢でもあった。賊の討伐や魔獣退治にも多大な貢献を果たして、サキリスの父ツェルトに見初められた。


「武勇伝は数知れず。そんな母のようになりたいと、幼い頃からずっと思っていました。魔法騎士に絶対になるって」


 うん、とエリサは相づちを打つ。


「小さかった頃から隙をみて武術や魔法の練習に取り組みましたわ。まあ、お祖父様が淑女の嗜みにうるさい方でしたから、そちらのほうをメインにやっているように見せていましたけれど」

「あなたの完璧ぶりは、そういう環境で生まれたのね」


 それから? と、エリサは先を促した。


「王都のアクティス魔法騎士学校へ入学しましたわ。母も応援してくれて、わたくし、絶対学校も次席で卒業して、母の名に恥じない魔法騎士になるつもりでした」

「次席? 首席ではなくて?」

「同級生に、アーリィー様がいらしたもの。王族がいる場合は……ね?」


 サキリスは苦笑する。王族が通う場合、大抵そうなる。もっとも、アーリィー自身、実技ともトップレベルにあったから、まったく過大というわけではない。


「割と順調だったんですのよ? ただ在学中に、家のほうでわたくしの婚約話が決まって、そこからケチがつき始めたのですが」

「相手は?」

「トレーム伯爵家の次期当主。名前は……何と言ったかしら。ど忘れしましたわ。顔を思い出したら、今でも頭にきますから」


 夢を否定された。女はお飾り。魔法騎士などやめてしまえ――婚約者の言葉を要約するとそうなる。人生を否定され、夢をコケにされて、婚約者でなければ殴り倒していたかもしれない男だった。


「わたくしは、腹立ちまぎれに、両親に婚約に対する不満をぶちまけてしまいました。何とか魔法騎士学校を卒業するまでは、婚約しない方向で調整してくださったようですけれど……ほとんど喧嘩別れ」


 サキリスは肩を落とした。


「それが、両親と最後に会った日の記憶……」


 キャスリング領に落ちた隕石が、彼女からすべてを奪った。あまつさえ婚約者には捨てられ、夢だった魔法騎士学校からも退校する羽目になった。


「でも悪いことばかりではありませんでしたわ。婚約者とのことで不満を抱えていたわたくしは、直後にご主人様に巡り会えたのですもの」


 苛立ちまぎれに喧嘩をふっかけ、負けてしまうという格好のつかないことになってしまったけれども。


 あの頃のサキリスは、半ばどうにでもなれ、という自棄な状態だった。夢を貶され、人生を否定した婚約者のことで、軽く未来に絶望していたのだ。


「すべてを失ってしまったけれど、ご主人様は、わたくしを拾ってくださいました。それがなければ、どこの誰ともしれない相手に奴隷として買われ、あるいは死んでいたかもしれませんわ……」


 エリサは黙って聞いていた。たしか、彼女を奴隷売買に出したのはグレイブヤードだから、悪い買い手には当たらないはずだが、そのことは言わないでおこうと思った。誰の得にもならないから。


「悪い夢というのはそれ?」


 優しい口調でエリサは問うた。トラウマ的出来事は、夢として見ることは少なくない。


「……どうでしょうか。おぼろげに覚えている内容は、勇ましくて格好いい母の姿。だけどわたくしはとても苦しくて、切なくて……。きっと――」


 サキリスは、ぽつりとそれを口にした。


「魔法騎士になったとしても、その姿を母に見せることができない。……それが悪い夢の原因かもしれませんわ」


 二度と会えない家族。尊敬する母に、晴れ姿を見せられないこと。

 サキリスにとって、魔法騎士になりたいというのは、一生の夢。それが果たされなかったこと、果たされることがないこと――彼女の心を後悔が責め立てているのだろう。


 もはや、どうしようもないことなのだ。エリサは、サキリスにそう言いたかった。あなたは何も悪くない。だがその慰めが、彼女の心を癒やせないこともまたわかっていた。


「でも、エリサ。わたくし、満更でもありませんのよ?」


 手が止まっているエリサに、サキリスは振り返った。


「ご主人様のもとで働くことが生きがいですの。魔法騎士になれなくても、今の境遇は他では決して得ることができない、むしろ好待遇。ご主人様……ジン様にご恩返しすることだけが、今のわたくしのすべて」


 ニッコリとサキリスは笑みを浮かべた。


「わたくしは、いま幸せです」


 ええ、そうでしょうとも。ウィリディスの環境は素晴らしいわ、でも――エリサは眉をひそめる。

 幸せと言いながら、どうしてその瞳の奥は寂しそうなの?

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