第621話、それぞれの思惑


 ジンたちが氷獄洞窟の探索を行っている頃、ジャルジーとクレニエール侯爵、その娘のエクリーンは、ウィリディスから来たシェイプシフターメイドの用意したケーキで、ティータイムを過ごしていた。


「オレのお勧めは、このチョコレートのケーキだ!」


 と、ウィリディスで散々ケーキを実食している公爵は、自信たっぷりに言うのだった。


「なるほど、これは美味い」


 クレニエール侯爵は表情こそ淡泊だったが、ペロリと完食したのを見ればその言葉に嘘はないのは明らかだった。

 エクリーンも、愛飲している紅茶をいただきながら、ケーキを口に運ぶ。


「ジン君の用意してくれたお菓子もよかったけれど……。ウィリディスの食文化は進んでいますのね」

「これは毎日でも食べたい」

「同感ですわ、お父様」

「トキトモ候に頼もうか。オレが口添えすれば、彼は手配してくれるぞ」


 ジャルジーは上機嫌だった。

 自分が気に入っているものは薦めたくなるもので、それを評価されると嬉しくなるものだ。……密かに、一目惚れしたエクリーン嬢と同じテーブルでお茶をしているのも、それに拍車をかけていた。


 ただそのエクリーンは、ジャルジーに一切、色目を使うことはなく、まったくもってすました表情を崩さなかった。


 実は、以前ジャルジーが魔法騎士学校を訪問した際に、彼がその学校をこき下ろしたのをエクリーンは知っていた。母校を貶されたことを、彼女は忘れていなかったのである。


 ただ、この時、父クレニエール侯爵は、ジャルジーが娘を前に少々舞い上がっているのを感じ取っていた。


 ――そういえば公爵ジャルジーは、嫁探しをしていたな……。


 彼がエマン王の後継として選ばれたのは、王国貴族なら誰もが知っている。そして願わくば、自分の娘を差し出して、王家に取り入りたいと思っている。王の妃となり、男子をもうけられれば、その家の権威も上がるのだ。


 だが実際、上級貴族である公爵の嫁となると、大抵は同じ上級貴族――侯爵や少し落ちて伯爵まで。それより下の爵位や階級では、よほどの珍事がなければありえない。


 その点、クレニエール侯爵家は十分な身分にある。東方侯爵――王国でも四人しかいない上位侯爵なのだ。

 少し前に、ジャルジーは少々女癖が悪いと噂を耳にしたことがあるが、もし彼に気があるならエクリーンを嫁に出してもいいと思った。


 ――とはいえ、娘はすでに婚約を進めていたんだけどな……。


 ただ、その相手はクレニエール領のお隣、フレッサー伯爵家の次期当主だったのだが。


 ――あの家、潰れてくれないかな……。


 表情ひとつ変えず、クレニエール侯爵は、紅茶を啜る。


 アンバンサーと呼ばれる敵によって、クレニエール侯爵の遠縁にあたるキャスリング家の土地をかすめとった二つの領地は支配された。おそらく抵抗しただろうフレッサー、トレームの両家も無事には済まなかったと思われる。


 不謹慎ではあるが、このまま両貴族が滅びれば、かつてのキャスリングの領地を取り戻すこともできるし、エクリーンの婚約も破談にできる。相手がいなければ、婚約もくそもないのだ。言い訳も、後の面倒な説明も考えなくて済む。


 まったくもって、クレニエール侯爵は根っからの貴族だった。

 自分の娘は可愛がってはいても、政略に利用することに抵抗は少ない。婚約相手を、彼女の意思とは関係なく選ぶことも、彼にとってはまったく自然なことであった。


 舞い上がっているジャルジー。淡々と政略を巡らすクレニエール侯爵。そして同席しているエクリーンは、そんな父の魂胆を薄々感じて、ひとり冷めていた。

 もっともそれを顔に出すことはない。そこは、父親に似ているかもしれない。


 その時、ジンたちが氷獄洞窟の探索と攻略を終えたという一報が、クレニエール城に届けられた。


「おお、無事だったか、トキトモ候!」

「さすがSランク冒険者だ! 生還者のいないダンジョンを見事突破してのけるとは!」


 クレニエール侯爵もジャルジーも声を弾ませた。

 今や彼の存在なくば、このアンバンサーの問題を解決することができないというのが、二人の共通認識だった。


 だから彼らはジンの生還を喜び、ついで諸悪の根源ともいえるアンバンサー退治が進むことを大きく期待するのだった。



  ・  ・  ・



 シズネ艇はクレニエール城のそば、ウィリディス軍駐屯地に着陸した。

 足早に城へと向かう俺のもとに、厚手の魔術師マントをまとうエリサがやってきた。元から妖艶さが漂う緑髪の魔女だが、最近はできる女性的な精悍さが強くなっている。


「お帰りなさい、収穫はあったかしら?」

「まあ、そこそこ。そっちは?」


 アンバンサー兵の死体を調べていたエリサが、こちらへ来ているということは何かしらの報告があるのだろう。


「あたしが無力だってことくらいね、わかったことは」


 長い緑色の髪をなびかせた美魔女は、真顔で冗談っぽく言った。


「ディアマンテに確認したけど、例のドクロ頭、あれがアンバンサーね。あたしも解剖学に詳しいわけではないから、これといって、ここが弱点って報告はできないわ」


 そこまで期待はしていないよ。


「人と同じように、頭に脳があって、体の中心に心臓がある。他の臓器の数や大きさに違いはあるけど、あたしは専門じゃないからわからないわ」

「ツギハギ頭は?」

「グロテスク。よく機械と人をくっつけて動かそうなんて考えたわね。とくに脳に埋め込んだ金属部品とか、おぞましいわ」

「……それには同感だが、何か建設的な意見はないかな? たとえば、元の人間に戻せる可能性とか」

「ないわね。そもそも、あのツギハギ頭、あの姿になった時にはすでに死んでいるもの。言ってみればアンデッド、ゾンビと同じよ。身体が腐らないのは、投入された薬物の効果だと思うけれど、詳しいことはわからないわ」

「死んでいるのに動くのか」

「だから脳に機械を埋め込んで操作しているんでしょう」

「なるほど」


 俺はため息をついた。


「滅ぼすしかないか」

「浄化してあげることが救いになる。どの道、もう死んでいるのだから、身体のほうも眠らせてあげないとね」

「……他に、報告は?」

「いいえ、あたしからはないわね」

「そうか。調べてくれてありがとう。あとはこっちの仕事だ。……慣れないことをさせて、すまないな」

 

 俺が言えば、エリサはふふ、と微笑んだ。


「たまには身体で支払ってくれてもいいのよ?」

「考えておく」


 日本人お得意のどっちにもとれる曖昧な返事。エリサも表情を引き締めた。


「手伝えることがあったら言ってね。あたしも、貴方には借りがあるのだから」


 俺は頷くと、クレニエール城へと入城した。門番たちは、俺を止めることなく敬礼して見送る。

 クレニエール侯爵に仕える一等魔術師のシャルールが顔をほころばせて出迎えた。


「トキトモ閣下、よくぞご無事で! 皆、閣下のお戻りをお待ちしておりました! 侯爵のもとまでご案内いたします」

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