第598話、王国東部の異変


 ヴェリラルド王国東部、トレーム領西端、トール村――


 寒い夜だった。

 厚手の毛皮のマントを身にまとい、いくつものカバンをかけて歩くはフロワという名の行商人。


 クレニエール領を越え、トレーム領へ。昨年、空から降ってきた大岩(隕石)によって荒廃した旧キャスリング領の半分近くが今ではトレーム伯爵の所領。その領主お膝元の町を目指している旅路である。


 すでに日がどっぷりと落ち、遠くに見えていた小さな集落も明かりが絶えて久しい。こういった田舎ともなれば、明かりはろうそくやランプ。だが油とて無限にあるわけではないので、夜ともなれば、さっさと休むのが普通だ。


 フロワはため息をついた。

 雪に囲まれたトール村、その木の柵に囲まれた集落へと足を踏み入れる。


 本当は夕方までには着くはずだった。村が見えてホッとしたのもつかの間、意外と距離があって、気づけば夜遅く。寝床の交渉どころではなく、足取りが重いのは雪を踏みしめているせいだけではなかった。


 寒い。悴んだ手を息で温めつつ、しかし明かりのない村を前に途方に暮れる。はてさて、住人を叩き起こすのも忍びないが、このままでは凍え死んでしまう。背に腹は変えられない。


 それにしても――


 フロワは雪の上に刻まれた多数の足跡に首を傾げる。それに……。

 すぐそばの民家の正面に立ち、フロワは足を止めた。


 扉が壊れていた。

 いや、正確には外から体当たりでもされて、ぶち開けられたような壊れ方だ。


 まさか、強盗が入ったのか? あるいは、この多数の足跡は盗賊団の襲撃だったり?


 静寂に包まれた村。ひゅう、と吹いた冷たい風が背中を撫でた。縮み上がりそうになるフロワだったが、すぐに思い直す。

 襲撃があったとしたら焼き討ちにあいそうなものだが、特に建物が焼かれた様子はない。


 他の家はどうだろう?


 フロワは別の家を回ってみることにした。

 もしかしたら賊がまだいるかもしれない。心臓の音が高くなる。だが村がこれほど静かなのだから、賊たちが襲撃したにしろ、もうここから立ち去っているのではないか。


 隣の家の前にも、無数の足跡。家の脇の木箱が壊されていた。散らばった木片――中身は見当たらないが、何が入っていたんだろう。

 家の正面、扉は――こちらも壊れていた。やはり押し入ったような跡がある。


 中も確かめてみるか。


 フロワは扉前の三段ほどの高さの木の階段に足を掛けた。ぎぃ、ときしむ木の板。同時に中からも足音がした。


「!?」


 ヌッと現れた人影が、フロワの前に立った。


 身長二メートルを超える大男。いや、それは男だったのか? 窮屈そうに扉をくぐってきたその人影の顔は、ドクロのようで、さらに目が赤く光っていた。


 ――スケルトン!? いや、化け物!?


 骸骨戦士スケルトンにしては身体が非常にマッシブで鎧のようなモノをまとっている。骨しかないアンデッドと違い、屈強だ。


「……ニンゲン……!」


 不気味な声が発せられた。同時に、その巨漢がフロワに迫った。


「ひっ、ひぃぃー!」


 腰が抜けた。だが雪の上に尻餅をつく前に、化け物に飛びかかられた。顔面を奴の手が掴み、さらに首元に、鋭い突起が刺され――フロワの意識は遠のき、途絶えた。



  ・  ・  ・



 TR-2ドラゴンアイ偵察機が、ウィリディスの空を飛ぶ。


 俺は、格納庫前の駐機スペースから、長距離偵察機が飛行するさまを見上げていた。


 ドラゴンアイは現在、試験運用期間中。浮遊石を除けば、ほぼ他機のパーツの流用で出来ているので、奇抜な設計をしていない分、トラブルもなく安定している。


 以前、ポイニクスが行い、途中になっていたヴェリラルド王国の地図作成の任務を遂行させている。

 この試験運用が上手く行けば、本格的に他国にも飛ばして偵察行動をさせるつもりである。……領空侵犯? 知らん知らん。

 俺の近くで、ディーシーが同じくドラゴンアイを見上げている。


「ジンさん」


 後ろから声を掛けられ振り向けば、橿原かしはらトモミがやってくるのが見えた。……何故か、メイド衣装で。


 日本人女性の黒髪は美しいと評判だったが、彼女の髪は艶やかで綺麗だ。ふだんから眼鏡をかけているが、それが逆に落ち着いた雰囲気を醸し出す。仕事のできるメイドさん……しかしこれで豪腕の格闘術使いというのだから見た目で人を判断するものではないと思う。


「お茶をお持ちしました」


 トレイの上には彼女の言うとおり、お茶セットと大きな饅頭。……一瞬、饅頭がスライムみたいに見えた。


「どうしたの、その格好」

「わたしも、少しはお役に立ちたくて。無駄飯喰らいも悪いですから」


 橿原は、はにかんだ。ディーシーが、視線を偵察機に向けたまま手を上げた。


「ご苦労なことだな」

「お前、偉そうだな……」

「はいはい、これはディーシーさんの分ですよー」


 橿原は楽しそうだった。何だか姉妹に接するようなふうにも見える。ディーシーがスライム――もとい、饅頭にかぶりつくのを余所に、橿原は俺の隣に立った。


「新しい戦闘機ですか?」

「偵察機。無人のな。なんだ、乗りたいのか?」

「いえ、わたしに飛行機の操縦なんて無理ですから」


 ぶんぶんと遠慮するように手をふる眼鏡メイドちゃん。


「それにしても、ジンさんって凄いですよね。個々の装備に、飛行機、ロボット、あと空飛ぶ船――」

「戦車にバイク、通信機、ゴーレム……まあ、色々作ったな」

「サラリーマン……でしたよね、元の世界では」


 神妙な調子の橿原。彼女には、以前の話を少しだけしたんだっけな。


「元、な。心が折れて会社を辞めてからは引きこもり」


 青い空を、俺は遠い目で見上げる。


「急にどうしたんだ?」

「いえ……。この世界で車を作るだけでも凄いのに、飛行機とか作ってしまうから、凄いなぁって」

「それはさっき聞いた。昔、作家の真似事をしたこともあるけど、その時の知識とか、色々役に立ってる感じ。それに車や戦闘機だって、あれ結構、魔法や機械文明の産物の利用だから、そこまで俺が何かしたわけじゃない」


 だから、元の世界でパーツを渡されたって作れないと思う。


「まあ、この世界でのお師匠の影響だろうな。その人も、作れるものは手当たり次第にやってたし」

「お師匠……。この世界の、ジンさんのお師匠がいるんですか?」

「いた、と言うべきか、はたまた、まだ元気なのかは知らないけどね。魔法具作りで世話になった。……橿原には話してなかったっけ。センシュタール教授」

「いえ、初めて聞きます。……教授?」

「あぁ、『教授』は俺がつけたあだ名なんだけどね。おかしな人だったよ」


 趣味人というか、興味あることに没頭するのは、ユナに似ている。もっとも、ユナが魔法にしか興味がないのに対し、『教授』は色々なものに興味を持っていたけど。


「もし彼女のことを知りたければ、ダスカ先生が知ってる。彼に聞くといい」


 今頃、教授はどうしているだろうか? 俺が連合国に行って、英雄の階段を駆け上がる少し前からの付き合いではあるが、かの国を離れてからは会ってないからな……。


 はっきり言うと生死不明。というより、俺が連合国の現状について、あまりに知らなさすぎるせいでもあるのだが。


 ドラゴンアイが出来たことだし、SS諜報部を増強して、連合国方面の情報収集を強化しようかな……。

 もっと早く考えておくべきだった。

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