第461話、アンニュイ・アンフィ


 冒険者ギルドの建物裏。作業場で涼んでいた俺は、場にやってきた魔法剣士アンフィと目があった。


「やあ」

「どうも。うちのブリーゼがあんたの魔法講義で世話になってるわね」


 Aランク冒険者であるアンフィは、パーティー『アインホルン』のリーダーである。


 肩まで伸ばした金髪、赤い瞳の魔法剣士だ。強気な表情と、堂々とした言動で、女性冒険者たちからは一目置かれている。もとが貴族令嬢なので、冒険者特有の荒々しさより優雅さがにじみ出ているせいかもしれない。


 確か、今年で21歳だと聞いた。……貴族娘でその歳でフリーというのは、世間体を気にするお年頃ではなかろうか。


「隣、いい?」

「どうぞ」


 アンフィが俺の座っているベンチに腰を下ろした。


「ブリーゼを呼びに来たのか?」

「そうだけど、あの様子じゃ、しばらく動きそうにないわね」


 アインホルン所属の少女魔法使いであるブリーゼは、魔法車に夢中だった。助手席側に乗り込んで、作業しているうちの弟子であるユナとお喋りをしている。


「仕事か?」

「いいえ、別に急ぎの用はないわ」


 アンフィは背もたれに肘をつき、魔法車を冷めた目で見ている。


「ま、所詮乗り物じゃない、って思うのだけど、あの子にとっては違うのよねぇ」

「所詮乗り物、か」


 そうなんだけどさ。俺はアンフィの皮肉げな言い方に微笑した。


「何か気に障るようなことがあったかな?」

「あ? ああ、ごめんなさい。別に文句があるわけでもないし、魔法車に思うところがあるわけじゃないのよ」

「何か、気になっていることがある?」

「まあ、何と言うか、そうね――」


 アンフィは目を閉じると顔を上げた。


「乙女には色々悩みがあるのよ」

「行き遅れ?」

「バカ。失礼なこと言わないでよ! まあ、それもひとつではあるのだけど……。認めるのも癪しゃくだけど」

「なるほど、乙女は悩み事が多いと。……じゃあ今一番気になっていることは?」

「さっきから質問ばかりね、Sランク冒険者さん?」

「そんなアンニュイな表情をされて隣に座られるとね。俺の経験から言わせてもらうと、そういう横顔を見せる冒険者が考えていることは一つだ。……引退」


 冒険者を辞める。その言葉に、アンフィは目を見開き、俺を見た。俺はその赤い瞳を見つめ返す。そっと目を逸らしたアンフィは静かにため息をついた。


「やだ。お見通しというわけね。それとも誰かに聞いた?」

「誰かに相談したのか?」

「うーん、そういわれると……してないわね。ただうちのナギは、何となくあたしの態度から最近ギクシャクしたものを感じてる」


 アインホルン所属のもうひとりのメンバー。東方出身の刀使いナギ。物静かで冷静な女性だが、先日の武術大会にも参加したバリバリの戦闘派だ。


「最近、依頼に出ることが少なくなったからだな」

「何であんたがそんなこと知ってるのよ?」

「それはブリーゼから聞いた」


 俺の魔法講義の常連さんであるアインホルンのウサギフード娘。あの子、魔法に興味津々で勉強熱心であるが、うちのユナのように興味本位だけでなく、パーティーを組んでいるアンフィのため勉強していると、口にしていた。


 そのブリーゼが、最近アンフィが依頼を気分で断るようになったと言っていた。もとから気分屋なところがあるリーダーだったが、ここ最近はそれが顕著らしい。


「冒険者に疲れたのか?」


 この職業は命がけだ。魔獣討伐、危険地区での護衛や探索。一瞬の気の緩みで一生モノの傷を受けたり、死んだりする。


 とくに新人冒険者の死亡率は高く、戦闘系依頼5回を達成するまでに死亡ないし引退せざるを得なくなる者は半数を超えると言われている。


 装備が揃わず、知識も経験もない者が喰われていくのは道理である。……ホーンラビットやゴブリンを舐める奴は早死にするのだ。


 アンフィや彼女のアインホルンはAランク冒険者の集まりだ。腕は確かで、ここまでランクが高ければ社会的な地位も約束される。


 極端に金遣いが荒いのでなければ、仕事も選んでいられるほどだ。


 それでも、年齢を重ね、安定してくると危険な冒険者業から転職する者も少なくない。


 絶えず危険な仕事に神経をすり減らし、疲れてしまうのだ。それを長く続けると、次第に精神も病んでいく。


 そうなる前に身を引くのだ。


「……なるほどね。最近の気乗りしなさは、あたしが冒険者を辞めたいと思ってるからか」


 アンフィは自嘲した。


「考えなくはないのよ。あたしは何やってるんだろうって」

「冒険者だろ?」

「茶化さないで。あたしは真面目に考えているの」


 そうですか。では続けて――俺は頷いて先を促した。


「初めは、家への反発だった」


 女は騎士にはしない――アンフィの家での当主命令だっけ。以前、そんな話を聞いた。


 本当は騎士になりたいのに家が認めてくれないから、冒険者になったと言う。


「ランクを上げて実績を積めば、父も認めてくれると思ったんだけど。なんやかんやで今もほとんど口きいていないのよね。実際にAランクまで登りつめて、冒険者界隈では顔も名前も売れてるんだけど」


 アンフィは真剣な眼差しを、魔法車に取り付くウサギフードの少女魔術師へ向ける。


「結局、父にとってそんなことはどうでもよくって、あたしは何に対して頑張ってきたのか、わからなくなっちゃったのよね。あれだけ大変な思いをしたのに、無意味だったなんてわかっちゃったらさ……」


 父親への反抗だったのに、その父に相手にされていなかったこと。


 Aランク冒険者になるというのは、大変だっただろうことは想像がつく。が、俺にしても彼女がくぐってきた修羅場のすべてを知っているわけではない。


 同業者だから察しがつくが、冒険者を知らない親父さんからしたら、俺以上に、彼女の苦労を知らないし理解もできないのだろう。


「でもね、すんなり辞めるって、言えないのよね。あの子がいるし」

「ブリーゼ?」

「そう。あの子、元は孤児でね。あたしが拾ったのよ。最初は家族が嫌がっていたんだけど魔法の才能があったから、父も認めてくれた。あたしがその父と反発して家を出た後、ブリーゼはあたしについてきてね」


 拾ってくれた恩人のお供をする。なるほど――


「いい子じゃないか」

「あたしも、あの子が独り立ちするまでは面倒みるつもりでいるんだけどね。拾った者の責任として」


 アンフィは苦笑した。


「でもあの子、あたしの下で仕事したいみたいなのよね。なんて言うの? 忠義? 忠誠? まあそんなようなものを感じている」

「迷惑なのか?」

「どうなのかな……。あたしにもよくわかんない」


 自分のことなのに、わからない? まあ、彼女がそう言うならそうなんだろうな。これは俺が深く口出しするようなものでもない。冒険者なら自分で決めろ、である。


「まあ、少し距離を置くのも悪くないと思うよ」

「なに? ブリーゼに?」

「いや、冒険者にさ。それに何も前線に行くことばかりが冒険者じゃない。……俺みたいに、教鞭でもとってみたらどうだ?」

「教官になれって言うの?」

「少なくとも、君の冒険者としての経験は無駄ではないと思うね。もちろん活かすも無駄にするのも君次第だけど」


 ぽかんとした顔で俺の顔を見つめていたアンフィだが、次の瞬間噴き出した。


「あんた、いいこと言って、本当はあたしに教官の仕事押し付けたいだけじゃないの?」

「バレた?」


 俺は冗談めかす。別に押し付けるつもりはなかったけど。


「自分の経験を新人に教えるというのも、立派な仕事だけど思うがね」

「……そういえばあんたの歳を聞いてなかったわね。本当にあたしより年下?」

「知らなかったのか? 俺はこう見えて三〇だよ」


 俺はベンチから腰を上げると、魔法車から俺を呼んでいるユナのもとへと歩き出した。


「三〇……? 嘘でしょ?」


 呆然とするアンフィを残して。

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