第398話、大いなる茶番の末


 マントゥルは消滅した。硬直を解かれた人々は、無事を安堵するが、すぐに目の前で起きた悲劇に呆然となる。


 アーリィー王子が、女の子になってしまった。


 膝をつき、露わになった女の胸を腕で隠しつつ、しかし隠しきれていないのが絶妙である。……前夜に俺と密かに練習したのは裏話。胸の谷間が見える角度とか。


「殿下が……」

「女に――」


 諸侯らに、たっぷり目撃された。そこへ慌てた様子のオリビアら近衛騎士らが割って入る。そりゃそうだ、オリビアを含め近衛たちも、この芝居のことを知らないからな。


「王子殿下! 急いでこちらへ――」


 会場裏手の部屋へ避難する。続いてエマン王、ジャルジーも後を追う。だが他の諸侯らは近衛たちによって止められる。


 俺はちゃっかり、近衛たちに通してもらって後を追った。その途中、黒猫が俺の肩に乗る。


『お疲れ、ベルさん』

『迫真の演技だっただろ?』


 途中までマントゥルはベルさんが演じていた。だが俺が聖剣を向けた瞬間に、擬装魔法で偽者を浮かせた上で自身は離脱した。俺の視界の中のマントゥルが一瞬ブレたのはそれだ。


 裏手の部屋へ避難。駆けつけた医者や治癒魔法使いたちが、アーリィーの身体を診察している。……無駄無駄、もともとアーリィーは女の子なんだから、どう調べたって、正真正銘本物さ。


「ジン殿」


 オリビアが俺のもとへやってきた。その表情は険しい。


「その、今は視線を外していただけますか? 殿下はその……胸が――」

「ああ、女性の胸だものな……わかるよ」


 男の近衛たちも、部屋の外へと移動している。医者を除けば、エマン王とジャルジーが残ることを許されている。


 やがて、医者や治癒魔法使いらの診察が終わった。


「残念ですが、王子殿下は、完全に女性となっております……」


 うん、知ってる。俺は心の中で呟いた。アーリィーは椅子に座ったまま、うなだれた様子である。エマン王は押し黙り、ジャルジーは医者を睨んだ。


「元に戻るのか?」

「それは……」


 医者は困ったような顔で、隣の治癒魔法使いを見た。


「わかりません。性別を変化させる魔法など、初めてですし……」


 治癒魔法使いも眉をひそめて、震える声で言った。


「一時的なものなのか、あるいは強力な呪いなのか……まったくわからないのです」

「……そうか」


 ジャルジーは腰に手をあて、視線を靴先へと向けた。苛立ちを飲み込み、何かを堪えているような仕草に見える。……あんたも役者だな、ジャルジー。


 エマン王は口を開いた。


「わかった。皆、外に出よ。ジャルジー、そしてジン、お前たちは残れ」


 近衛騎士、医者たちが一礼して部屋を出る。俺は、ベルさんと共にそれを見送る。扉が閉まったところで、ジャルジーが俺を見た。


「ジン」


 遮音魔法ね、はいはい。部屋全体の壁や扉、その空気の層を操作し、音の伝わりを遮断する。中での会話などが外に漏れないようにするためだ。


 つまり――


「上手くいったな」


 エマン王が、自身のマントをアーリィーにかけてやると、その肩にそっと手を置いた。


「父上……」


 ちょっぴり涙目なアーリィー。だが表情は、芝居が終わってホッとしている。


 ジャルジーが俺を小突いた。


「よくやったな、ジン。迫真の演技だったぞ」

「それはどうも」

「しかし、あの浮遊で浮いていたマントゥル役の魔法使い、まさか死んでしまったのではないだろうな……?」

「あれは擬装魔法だから、問題ないよ」


 公爵殿にタメ語が許されている俺である。擬装魔法、と聞いてジャルジーは頷く。


「さすがだな。お前のことは、今後『兄貴』と呼ばせてもらう」

「は?」


 俺が目を剥くと、ジャルジーは笑うのだ。


「だってアーリィーと婚約するなら、オレとお前は血は繋がっていないが兄弟だろう。お前が年上なのだから、兄貴だろう?」

「でもアーリィーは年下だから、俺は義理の兄弟としたら、兄はあなたのほうだろう?」


 正直、ジャルジーを兄に持ちたいとは思わないのだが。一度、矯正して、まともになったとはいえ。


「どうせ個人的な時しかそう呼ばないから、構わないだろう」


 いや、構うだろう……。ちっ、まあいいか。


「いま、舌打ちしたか?」

「いや、気のせいだろう」


 とぼけてやった。


 トコトコと歩くベルさん。そんな黒猫に、エマン王は穏やかな笑みを浮かべた。


「父上、終わりましたな」

「まだ第一段階だ」


 ピレニオ先王を演じているのか、喋り方が厳かさが増す。


「正式にアーリィーを王位継承権から外し、ジャルジーを次の王に据える、その発表がまだだ」

「そうでしたな。では、このまま――」

「いや、日を置いたほうがよい。マントゥルの放った呪いの効果について充分に調べつくされる前に、早々に決めては、あらぬ疑いをかけられるやもしれん」


 諸侯や有力者たちに、今回の騒動を大いに広めてもらわなくてはいけない――ネットやテレビがない世界だ。いま起きた事件が地方に知れ渡るまでに、どれくらい時間がかかるか想像もできない。


「発表は改めて、諸侯らの反応を見てからのほうがよいだろう」

「承知しました」


 一国の王が、黒猫に頭を下げた。……これはこれで、中々貴重な絵である。


 その時、魔力念話が俺の耳に届いた。声の主はオリビアだった。


『あの、ジン殿。部屋から反応がないのですが、何かあったのでしょうか?』


 音を遮断しているから、扉をノックされてもわからないんだよな。


『いや、特に。用件は?』

『は、サーレ様、フィレイユ姫殿下が、アーリィー殿下にお会いしたいと来ていらっしゃるのですが……』

『誰?』

『アーリィー様の姉君、妹君でございます』


 ああ、なるほど。俺は頷くと、エマン王とアーリィーを見た。


「アーリィー……王子殿下の姉上と妹姫が来ているようですが」

「どうしよう……?」


 アーリィーがエマン王を見上げれば、王は言った。


「どうせ、これからは女として生きるのだ。問題ない。ああ、もちろん、今回の芝居や性別を偽っていたことは秘密だぞ」

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