第394話、床に伏せる母
王都の南地区のさらに端ともなると、通称『貧民街』と呼ばれる区画となる。
古びた建物や粗末な家々が連なり、道は狭く、そして暗い。汚れは目立つし、鼻をくすぐる臭いには眉をひそめる。
そんな一角を俺たちは進む。ヴォード氏にクローガはもちろん、アンフィたち三人組もいて、ホバーボードに乗るガルフと、それに付き添うサキリスやマルカスと、大名行列もかくやの団体移動だった。
治安があまりよくない場所ではあるが、さすがに冒険者一行に手を出す間抜けはいなかった。
「病気は、人形病なんだ」
ガルフは言った。原因不明の麻痺系統の病気で、徐々に身体が硬直して動かなくなる。数ヶ月前に発症したガルフの母は、いまではベッドに横たわったまま、ほとんど動くことができなくなっているという。
「まだ呼吸はできるが、それも時間の問題。たぶん、もう数日もたない」
「治療法は?」
「ない、と言われた」
治癒系統の魔法でも治らないと言われた。実際にギルドの治癒魔法使いにかけてもらったがダメだったと言う。薬の類でも人形病には効かないとも。
「精霊の秘薬なら、あるいは――」
確証はないらしいが、あらゆる病気を取り除き、生命力を復活させるエルフ族が持つ秘薬なら、人形病に効くかもしれない……。
つまり、効かない可能性もあるということだ。貴重すぎて使われたことがないか。あるいは使用例が少なすぎて一般には効くかどうか知られていないのか。……何せウン十万の値がつく薬だから。
ガルフの家は、これまた相当年季が入ったボロい民家だった。……冬とか隙間風にやられそうな、廃屋一歩手前な外観は貧乏ぶりを暗に物語っている
ちら、と他の面々の様子を見てみれば、クローガを除けば皆、微妙な表情を浮かべている。特にサキリスやマルカス、アンフィなどの貴族出の者たちの奇妙なものを見るような目は、正直いたたまれない。……さすがに馬小屋か何かと思ってたりしないだろうな。
ただ、この大きさだと全員でお邪魔するのも何か悪い気がする。ここは代表者ということで、俺とベルさん、クローガ、ヴォード氏とガルフだけで行こう。
と、その時、家のドアが開き、中から十代半ばと思われる少女が現れた。
「あ、ガルフ!」
「リーシャ」
ホバーボードに座るガルフが返事をした。リーシャと呼ばれた少女は、途端に顔をくしゃりとゆがめた。
「ガルフ、早くきて! おばさんの様子が変なの!」
「母さんが!?」
思わずホバーボードから降りかけ、そのまま転倒しそうになるガルフ。クローガがとっさに支える。
容態が急変したのでは……。最悪の想像に俺たちは家の中に駆け込む。外観同様、質素にして、家具もあまりない室内。奥の部屋の小さなベッドに年配の女性が横になっていた。
50くらいに見えるその女性が、ガルフの母親なのだろう。ガルフの年齢を考えると少々お歳が上な気がするが……。彼女の表情は苦痛に歪み、呼吸というには頼りない短い息継ぎを繰り返している。硬化が胸――肺などに影響してきているのか。
「秘薬を」
俺はガルフの母親の枕元に立ち、預けていた秘薬をもってくるように言った。もう時間がない。
・ ・ ・
見守ることしばし、ガルフの母――マテルさんの呼吸は正常なものに戻った。表情は穏やかなものになり、ここ数日、ほとんど声を発しなかったらしい彼女が、息子であるガルフに呼びかけた時、当のガルフは号泣した。
リーシャという少女もまた、同じく泣いていた。聞けばガルフとは幼馴染みの関係で、彼が冒険者として家を留守にする時に、マテルさんの身の回りの世話をしていたらしい。
俺たちは隣の部屋にいた。親子の時間に水を差すのも野暮だからだ。
ベルさんは尻尾をゆらゆらさせる。
「精霊の秘薬は、不治の病と言われている人形病も治しちまうんだなぁ……」
不治の病じゃないな、とぺチンと机を尻尾で叩く。俺は首を振った。
「気に入らないのか?」
「いんや。まるで必ず殺せない必殺技みたいだなって思ったんだ」
「治ったからいいじゃないか」
俺の言葉に、クローガは頷いた。
「それな。ガルフのお袋さんが助かってよかった。……だが、ジン。よかったのか? 秘薬、貴重なものだろう?」
「あの状況で使わなかったら、きっと後悔していたと思いますよ」
後味の悪い展開はごめんだ。結構タイミング的にはギリギリだったみたいだし、間に合いませんでした、で見殺しにしたら、俺きっとしばらく安らかに眠れないよ。
確かに、とヴォード氏も同意した。
「だが、ガルフの身体は……大丈夫なのか? 悪魔に乗っ取られた後遺症が心配なんだが」
「どう思う、ベルさん?」
「さあね。目に見えて呪いの類とかは見られないから、しばらく様子見が必要だろうな。いつまで経っても戻らないようなら、冒険者は引退するべきだろう」
そうなったら、大変だな。俺はガルフの家を見て思う。母親と二人暮し。家は貧しく、いまはガルフが冒険者として稼いでいるのが収入のすべてのようだ。
クローガが口を開いた。
「ガルフがほとんどの仕事をソロでやってたのは、少しでも自分の取り分を増やすためだったんだろうな……」
パーティーを組むと報酬は分配になる。ベルさんが「泣けるね」と本気かわからないような調子で言った。ヴォード氏はクローガを見る。
「しばらく、彼を気にかけてやってくれるか?」
「それはギルマスとしての命令ですか?」
「命令はしたくないが……お前は面倒見がいいからな、クローガ」
「了解です。といっても、俺だって稼がなきゃいけないから、フォローはしてくださいよ」
「もちろんだ。お前さんはAランク、ガルフもBランクの冒険者だ。ギルドとしても悪いようにはせん」
貴重な上位ランク冒険者である。古代竜騒動も含めて、冒険者の上位者の顔ぶれも変わり、ギルドとしてもあまりのんびり事を構えているわけにもいかないのだろう。
ともあれ、ガルフの事情は解決したわけだ。優勝は逃したが、目的は果たしたことになる。めでたしめでたし……。
だがクローガは顔をしかめた。
「ガルフの件、どうなるんです? 王国側には何て報告するんですか?」
「悪魔に取り憑かれてました、と言うしかないだろう」
ヴォード氏は口をへの字に曲げた。
「奴は悪魔と知らずに契約してしまったわけで、切羽詰った上での詐欺にあったようなものだ。ペナルティはあるが、情状酌量の余地はあるだろう?」
「王国側に、それが通じますかね?」
一歩間違えば、闘技場で観戦していた王族の命に関わっていた大問題だ。実際、悪魔襲来により少なくない怪我人が出た。悪魔を取り押さえるために駆けつけた兵士にも犠牲者が出ている。
「やったのは悪魔だしな」
ポツリとベルさんは言った。
「要するに、ここにいる全員の意思として、小僧を助けるって方向でいいのか? それならオレが話をつけてきてやるよ」
「ベルさんが?」
驚くヴォード氏に、黒猫は片目をつむってみせた。
「オレはヴェリラルド王家のご先祖様が憑依していることになってるからな。それくらいは何とかしてやるよ」
「ご先祖様って、歴代の王の?」
それっきり、ヴォード氏はまたも頭を抱えた。クローガは引きつった笑みを浮かべた。
「ジンもだけど、ベルさんも大概だと思うよ」
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