第393話、ジン・トキトモという男


 俺がストレージから、精霊の秘薬を取り出した時、ヴォード氏は頭を抱えた。


「本当にな、お前は何でも持ってるんだな」


 何でもはないぞ、と俺は思ったが黙っていた。半ば呆れられているのはわかる。クローガが目を回してみせる。


「それ、一般に出回ってないから、ウン十万って値がつくんだが、わかってるかジン?」

「レアなのは認めますが、もらいものなので」


 誰からもらったかについては言わない。呆れを通り越して、俺の英雄時代に触れねばならないだろうから。


 ガルフが身を乗り出した。


「それは……譲ってはもらえないだろうか?」


 無表情な少年冒険者のすがるような目。……ウン十万どうこうはこの際関係ない。


「ああ、おふくろさんを助けてやれ」


 俺は瓶をガルフに手渡した。ありがとう、と少年は目から涙をこぼし、大事そうに抱える。ぽん、とその震える肩を叩いてやる。


 悪魔と知らずに契約してしまった。詐欺師の手合いに引っかかったのは、それだけ切羽詰っていたのだろう。気持ちはわかる。


「その薬が必要ということは、おふくろさんの容態もあまりよくないんだろう? 善は急げ、と言うし、早速行こう」

「ああ、ああ、そうだな」


 ガルフがベッドから起き上がる。俺は、ガルフのお母さんがどんな病気かは知らない。だが彼が悪魔と契約してしまうくらいだ。あまり猶予はないと思う。ゆっくりしていたら、亡くなってたなんてのは、気分が悪いからな。


 あ、と足をついたガルフがバランスを崩し、倒れ掛かる。危ない――近くの俺がとっさに彼を支えた。


「おいおい、危ねぇな。せっかくの薬が台無しになっちまうぞ!」


 ベルさんが言ったが、クローガがベッドを回り込んで、支えるのを手伝う。


「まさか、歩けないとか?」

「……力が入らない」


 一時的なものか、後遺症なのかはわからないが、前者であってほしい。ベッドにガルフを座らせつつ、俺は振り返り――マルカスがいた。


「マルカス、スクワイアのところに行ってホバーボード持ってきてくれ」

「わかった!」


 荷物運びや負傷者の搬送に使おうと作ったホバーボードを足代わりとしよう。ゴーレムは壊れているが、浮遊魔法をかけただけの板は別だ。……浮遊している分、車椅子などを作るよりは楽なはずだ。


 かくて、俺たちは、王都にあるガルフの家に向かうことになった。



  ・  ・  ・



 モーゲンロート城。


 王の私室には、部屋の主たるエマン王と、ジャルジー公爵がいた。そのジャルジーは鼻息荒く言った。


「あのジンを、我ら王家に引き入れるべきです!」

「……」


 エマン王は黙しているが、ジャルジーは構わず続けた。


「アーリィーがジンを好いている! 大いに結構ではありませんか! むしろ、ヴェリラルド王家にとって、これ以上ないほど好都合! 彼を引き入れることができれば、この国は安泰です!」

「……ふむ、確かに。奴は父上が見込んだだけの能力を持っている」


 エマン王は背もたれに身体を預ける。


「武術大会にも優勝しおった。あの決勝戦に出現した悪魔をも退けた。そう……勇者だ。あれを見た者も多い。アーリィーが王子から姫になった後、あれを嫁にと求めても、反論する者は少なくなるに充分の武勲を立てた」

「それだけではありませんぞ、親父殿!」


 ジャルジーは机を叩いた。


「ジン・トキトモは……いや、あのジンは、かの連合国の大英雄、ジン・アミウールなのです!」

「な……んだと……」


 エマン王は目を瞬かせた。ジン・アミウール――半年ほど前に、大帝国との戦いで命を落としたと言われる大魔術師にして英雄。彼が生存していれば、連合国と大帝国の戦争は今頃終わっていただろうとさえ言われている人物だ。


「馬鹿な! ジン・アミウールは死んだはずだ!」

「そうです、私もそう思っておりました! ですが、彼は生きていたのです! あの、ジン・トキトモの姿で」

「証拠はあるのか?」


 魔術師として優れている、とピレニオ先王に推薦された。武術大会で魔法だけでなく、剣の腕もあることは実証された。


 確かに、その才能は非常に優れており、放っておいても諸侯らがぜひ配下に、と争奪戦は必至の状況だ。王都騎士団でもスカウトに動く気配が濃厚であるが……。


「親父殿も見たでしょう? ジンが持っていた聖剣を。聞けば、その剣はヒルドという。天空の戦乙女の名を冠した剣――その所有者は」

「ジン・アミウール……。しかしだ――」


 エマン王は眉をひそめる。


「没後、ジン・アミウールの手元を離れ、ジン・トキトモが手に入れたという可能性もあるぞ?」

「私は、北方でジンが、蟻亜人の大群およそ20万を一掃する極大魔法を使うのを目にしました」


 ジャルジーは熱弁する。


「今にして思えば、そこで気づくべきだった。噂に聞こえたジン・アミウールの殲滅魔法、大帝国の軍勢を悉く打ち破ってきた彼の魔法だと!」

「しかし、ジャルジーよ。お前の言うとおりだとして、何故、ジン・アミウールは名を変える必要があったのだ?」

「何か事情があるのは間違いないでしょう。ただ、それが何かは知りませんが……」


 ただ、とジャルジーは思う。臆病風に吹かれて逃げ出した、という類ではない。もしそのような人間だとすれば、たった二人でクロディス城に乗り込んだり、闘技場に現れた悪魔に立ち向かったりはしないだろう。


「何か連合国と揉めたのかもしれません。あるいは裏切られたとか……」


 英雄が突然表舞台から消えるというのは、只事ではない。


「そのあたりは、触れないほうがよいかもしれません。しかし、アーリィーが彼の心を繋ぎとめているのなら、それだけで我々にとって損はない。大帝国の動きがちらついている昨今、いてくれるだけでも心強いというもの」


 ジャルジーは言ったが、頭の片隅で、彼を『敵に回すな』と言う声がするのだ。何故かはわからない。だが深く考えようとすると寒気がする。


「それにジンは、我々の知らない魔法や技術を持っています。親父殿も、一度彼の作った魔法装甲車に乗ってみてください」

「魔法、そうこうしゃ?」


 初めて聞く言葉にエマン王は傾げる。ジャルジーは頷いた。


「とても大きく、強く、そして速い……まさに王者にふさわしい乗り物です。今後、王族の乗り物は馬車ではなく、魔法装甲車にすべきでしょう!」

「ほう、そうまで言われてしまえば、ぜひ見てみたいものだ――」


 ジャルジーの言葉に、だんだん心動かされていくエマン王。彼がジンに傾倒している理由が何となく見えてきた王ではあったが、同時に不思議にも思う。


 いつからジャルジーは、ジン・トキトモの熱心な信奉者になったのだ?


 彼は忘れていた。ジャルジーが英雄信奉者であり、優秀な者には贔屓をする性分だということを。

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