第349話、ワインと会談


 一夜明けて、ズィーゲン平原は元の平穏なる姿に戻った。


 20万を超える蟻亜人でひしめき、黒くなっていた広大なる大地は、その緑色の姿を取り戻したのだ。本日も晴天なり。


 ケーニゲン領を襲った危機も去った。


 さて、停車している魔法装甲車デゼルトを背に、俺はストレージからワインボトルを取り出す。そばには黒猫姿のベルさんとジャルジーがいた。


「祝勝の酒か?」


 若き公爵が相好を崩す。先日まで敵同然だったのに、今ではすっかり打ち解けた雰囲気だ。


 固執していたアーリィーのことがなくなったら、すっかり人が変わってしまったようだった。


 アーリィーとの過去を消したはずが、やっぱり何か他にも影響してしまったようだ。それがいいのか悪いのかはわからないが、少なくとも今はいい方向だと思う。


 俺はストレージからカップを取り出すと、ワインを注ぎ、ジャルジーとベルさんに渡した。


「秘蔵のワインです。連合国のクレマユー大侯爵から頂いたやつ」

「おお、クレマユーと言えば、連合国でも有力な人物ではないか!」


 知っているのか。俺が思った時、ベルさんが笑った。


「ああ、ジンがその娘にちょっかいを出して、逆鱗に触れたやつな!」

「何?」

「ベルさん、それを言うなって」


 だいたい、ちょっかいって誘ったのは向こうだぞ――ご両親に怒られるようなことはしていないぞ。事実無根だ。


「とりあえず乾杯」


 俺はワインを注いだワインを飲み干す。ジャルジーも倣い、ベルさんも酒に舌を打つ。


「美味い……!」

「お気に召したようでよかった」


 公爵殿を前に、ヘタな酒は出せなくてなぁ。そのジャルジーが気に入ったようなので、もう一杯注いでやる。


 それから俺たちは軽く会談となる。


「ああ、ジン。お前、公式の場以外なら、敬語はなしでいいぞ」


 ジャルジーがそんなことを言った。


 昨晩、共に戦ったせいだろうか、それともワインのせいかはわからない。だが一定の信頼というか戦友感でも芽生えたのかもしれない。


 公爵から呼び捨てにしていい許可は普通はありえな――いこともないか。アーリィーなんて友人希望で呼び捨て上等だったし。


 結構フランクな調子で話し合いは上手くいった。アーリィーが絡まなければ悪くない、というベルさんの談は、どうやら間違っていなかったようだ。


 問題があるとすれば、誘拐されたアーリィーをどうやって王都に帰還させるか。


 ジャルジーが自身の栗色の髪をかいた。


「王都では、誘拐ってことで騒動になっているだろうし、ここで戻すとなると、どう取り繕ったらいいか……」

「お前が誘拐したって言ったらどうだ、ジャルジー?」


 ベルさんが軽口を叩けば、公爵閣下は口をへの字に曲げた。


「誘拐したのは本当だろう?」

「さらったのはオレじゃないぞ」

「じゃあ、誰だよ」


 ケタケタとベルさんのからかいは止まらない。事実だけどさ。


「確か『キャプター』とかいう要人誘拐専門の連中だった」


 ジャルジーがそんなことを言った。誘拐を依頼したのか――やっぱりお前じゃないか。


「じゃあ、そのキャプターだかが誘拐していたのを助けたってことでいいんじゃね?」


 ベルさんは、暢気な調子で言った。


「お前さん、反乱軍騒動でもやったんだろ? クズどもを集めて反乱軍を立ち上げて、王都を攻めさせて、そいつら討伐してヒーローになろうっていう自作自演」

「……何でも知ってるんだな」


 真顔でジャルジーは言った。だが同時に「なんでオレはそんなことをしたんだ?」と首を捻る。


 アーリィーを蹴落として継承権1位になろうとして企んだことだから、忘れてしまったのだと思う。俺は手を打った。


「誘拐した連中から取り戻したってのが妥当な言い訳じゃないか。……一応確認するが、公爵殿。そのキャプターとやらに、自分の名前を明かしたりしてないよな?」

「もちろん、そんなヘマはしていない。使いの者にもそのように念を押したからな」


 ジャルジーは胸を張った。使いの者、いわゆる部下にやらせたのだろう。……俺はベルさんと顔を見合わせた。


「たぶん、バレてるよな」

「ああ、要人誘拐専門のプロ集団だろう? たぶんバレてる」

「いや、そんなはずは……」


 それはない、とジャルジーは首を横に振る。


 直接会ったことがないのに、よくそんな自信が持てるものだ。裏稼業の人間を舐めているのではないか? 相手は王都の騎士学校から近衛を排除して、王子誘拐を成功させた連中だぞ?


 ベルさんは説教を垂れる。


「理由なんか聞かなくても、どこの誰か、何の目的でってだいたい見当をつけるもんさ。そもそも、依頼相手がどの程度信用できるかわからなければ、軽々しく受けられないだろう?」

「……」

「使いの者の装備、言葉、方言の有無、肌の色、紋章や刺青……どこの者か探る手立てなんて幾らでもあるぜ?」


 ジャルジーは押し黙っている。俺はため息をついた。


「そのキャプターって連中がどういう奴らか探る必要があるな。ただ依頼を果たすだけなのか、仕事を通して依頼者や被害者の弱味につけ込んでくるような奴らなのか……」


 じろり、と俺とベルさんの目がジャルジーを睨んだ。


「後者だったら非常に厄介だぞ?」

「未来の王様のスキャンダルになりかねないネタだからな。わざわざ脅される材料作りやがって」

「う……」

「まだ、そうと決まったわけじゃない」


 俺は気休めを言ったが、本心ではなかった。


「……まあ、そっちの調査に関しては打ってつけの人材がいる。調査させる」

「こちらから連中と再度接触しよう」


 ジャルジーが言ったが、ベルさんは眉をひそめた。


「やめとけやめとけ。一度依頼を果たした後に再度の接触なんて怪しまれるだけだ。お前さんは何もするな」


 公爵、形無しである。ベルさんは俺へと視線を向けた。


「キャプターはともかく、差し当たり今はどうする? ずっとここにいるわけにも行かないだろう」

「いや、もう少し、この平原をうろつこうと思ってる」

「というと……?」

「今回の蟻亜人、妙だと思わないか?」


 ベルさんとジャルジーは顔を見合わせた。お前、わかるか? いや、オレに振るな、と言わんばかりのアイコンタクト。


「今まで見たことのない未知の種の大発生。あいつらはどこから来て、何でここにきた?」

「……未知のダンジョンがあって、そこでスタンピードが起きた、とか?」

「その可能性もあるが、その場合だとケーニゲン領ではないだろうね。まあ、それを調べる意味でも、ちょっと探ろうじゃないか」

「ああ。……いや、ちょっと待て。アーリィーの件、王都への報告を入れる話はどうなった?」

「そうだな……一応、王都の近衛に無事だけでも伝えておくか」


 俺がポータル使って行けば済むことだし、現在奪回中とでも言って時間を稼げばよかろう。


 そこへ、黒髪の美女――シェイプシフターのスフェラがやってきて、俺に身を寄せた。


「主様、お取り込み中、失礼致します」

「何だ?」

「実は――」


 スフェラは俺の耳元に顔を寄せると、周囲に聞かれないように小声で報告してきた。


「……それは本当か?」

「はい。王子殿下が誘拐された際、犯人につけていた分身体の反応が近くに――」

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