第341話、交渉 パート2


 俺は、うずくまるジャルジーの頭を右手で掴んだ。


 びくりとする若き公爵だが、さんざん打ちのめされた結果、もはや抵抗すらできないようだった。


「お前を殺すことは容易い。だがお前には利用価値がある。本来なら、アーリィーを辱めた罪、彼女にこれまでしてきたこと……それらを鑑みても許しがたい」


 左手を伸ばし、机の上に追いたナイフ火竜の牙を魔力で引き寄せる。


「このナイフでお前を刺す。ナイフというのは、的確に急所をやらなければ一撃では殺せない。刺して、抜いて、刺して、抜いて、死にそうになったら治癒の魔法をかける、それを繰り返す」

「う、う……」

「だが、そういうのはあまり趣味じゃないんだ。そこで先ほどの問いだ。殺されるのと同じか、それ以上に恐ろしいこととは何だ?」

「……っ」

「時間切れだ。答えは記憶を奪われることだ」

「き、記憶……!?」


 ジャルジーの顔がさらに青ざめた。


 正直に言えば、人から記憶を奪ったり、忘れさせるということは、時に死にも等しい行為だと思っている。その人が大事にしていた記憶、経験、思い出を消し去るのだ。恋人だろうが、家族だろうが、それらが赤の他人になる。消されたほうが、何を奪われたかもわからないというおまけが付く。


 だから消された後より、消される直前のほうが実は怖いという。……好きになった女の記憶が消されようとするのは、さぞ辛いだろうな。


 俺は奴の頭を掴んだまま言った。


「できればこんなことはしたくなかった。でもお前にも、相応の罰を受けてもらわないとな。だから俺は決めた。お前の記憶の中から、アーリィーを消してやる」

「な、何……?」

「ベルさん曰く、お前はアーリィーが絡まなければまともらしいな。更生させるなら、お前を狂わせている因子を取り除けばいい。そうすれば殺さずにお前を王にしてやれる」


 そうとも、ただ殺すのは簡単だ。だがそれでは足りない。お前にはアーリィーの未来のために、徹底的に利用させてもらう。


「だが、それをする前に、まず言っておくが、俺は医者の免許を持っていない。だから失敗するかもしれない……」

「おい、ふざけるなよ――」

「その時は、お前は死ぬかもしれない。でもいいんだ。事故は付き物だからな。相棒は生かすほうがいいと言ったが、俺はそこまで寛大じゃない」


 俺はジャルジーの頭を掴む指先に力を込める。


「覚悟はいいか? いや、なくても消す。お前の中から、アーリィーを消す!」

「や、やめろ! オレの記憶を――」

「必死に彼女のことを脳裏に思い描いてみろ。……もしかしたら、消えずに残るかも知れんぞ……?」


 次の瞬間、俺は手から電流を放出し、記憶操作の魔法を使った。バチリ、と音がして、ジャルジーが悲鳴を上げた。


「うあああああぁぁぁぁぁっ!!!」


 絶叫が部屋に木霊こだました。


 人の記憶を消すというのは、非常にデリケートだ。そもそも、この魔法は俺も完全体得したわけではなく、一歩間違えれば、相手の記憶を全部吹っ飛ばして、廃人化の恐れがあった。 


 だがうまく行けば、ジャルジーを歪めていたモノが消え、ベルさんの言うまともな貴族に更生できる。……失敗したら、その時は罰が当たったとするしかあるまい。


 ベルさんが、どこぞのクソ貴族生を丸ごと廃人にしたのに比べたら、まだ俺のほうが慈悲があるだろうかね……? 



  ・  ・  ・



 クロディス城本城内にある会議室。長方形の机は大理石で作られていて、会議室の中央に鎮座していた。ジャルジーへの粛清処置の後、俺たちはそちらへ移動した。


 ジャルジーは、上座である彼専用の席につき、向かい合う形で俺が席に座った。俺の隣にはメイド服の上に俺の貸したマントを羽織ったアーリィーが座っている。ほとんど俺に密着するような距離感で、ジャルジーを目で牽制している。


 会議室に場所を移す間、ひとまずの休戦が結ばれ、現在、ベルさんと城の兵士たちは城の下層階でにらみ合いの状態となっている。


 そしてこの会議室だが、いるのは俺とアーリィー、ジャルジーの三人のみである。公爵の部下たちが同席しようとしたのだが、俺はそれを拒否した。アーリィーのことも含めて話す必要があるため、第三者の耳に入るのはよろしくない。


 ジャルジーは俺の要望に同意して、三者による会談となった。


 アーリィーに関する記憶をジャルジーから消すことは、ひとまず成功した。もっとも目に見えないところで、いくつか他にも影響が出ているかもしれないが……。


 彼のアーリィーに対する態度は、「初めまして」の挨拶で始まった。俺はアーリィーが王子であり、ジャルジーより王位継承権が上であることを説明しなければならなかった。


「そう言われてみれば、そうかもしれない」


 ジャルジーは要領を得ない顔で言った。年下の王子がいるのは覚えているが、それがアーリィーだったか思い出せないと言った。


 若き公爵は、どこか憑き物が落ちたようだった。暴言を吐くこともなければ、俺に対しても身分差を感じさせない態度をとったのだ。


 俺はヴェリラルド王家の後継者問題に対する解答と、水面下でエマン王が交わした密談の内容を開陳した。ジャルジーは難しい顔で俺からの話を聞き、そして言った。


「つまり、アーリィーは『女』だから継承権からはずれると言うわけだな?」

「そういうことだ、公爵殿」


 俺は机の上に肘をつき、手を組んだ。ひんやり冷たい机だった。


「ヴェリラルド王国の王位を継げるのは、現行の決まりでは男子のみ。アーリィーの性別を公開することで彼女の王位継承権がなくなる」


 ちら、とアーリィーが俺を見たが、俺はジャルジーを凝視する。


「だがそれには、王家の信用を傷つけることなく、誰からも文句の言われないように、スマートに事を運ぶ必要がある。それが果たされれば、あなたは何もしなくても確実に王位を手にすることができるということだ」

「アーリィーは、この話を知っているのか?」

「……ボクも初耳」


 ジャルジーに話を振られたアーリィーは正直に答えた。そういえば、俺も彼女に「王様になりたいか?』と問うたがそれ以外は言っていなかったな。


「王位継承権を手放すことになるが、お前はいいのかアーリィー?」

「ボクが『女』なのは事実だから」


 アーリィーは自身の胸に手を当てた。


「このまま性別を偽って王になんかなりたくはなかったし。……ジンがいてくれるなら、王位なんていらない」


 ヒスイ色の瞳とともに全幅の信頼を寄せるお姫様に、俺も微笑を浮かべる。


「オレは王になりたい」


 ジャルジーは硬い表情で言った。


「だが、ジン。言うは容易いが、お前は今自分が言った言葉どおりに実現できるのか? アーリィーの性別を明らかにする芝居をつつがなく、お前のいう周囲への疑惑を抱かせないように行い、オレを王にできるのか?」


 ふむ、ジャルジーの言い分ももっともらしくもある。そもそも、彼は俺のことを何も知らないからな。……見た目、二十歳にも満たない若い魔術師が、ホラを吹いていると思われても仕方がないところではある。


「エマン王にはこちらから手を回しているが――」


 ベルさんが、先王の亡霊として接触している。そちらからアプローチはかけているが、ジャルジーのほうからも手を回せれば、より上手くいくのではないか?


「つまり、オレの口から、ジン、お前を紹介させると言うのか?」


 ジャルジーはかすかに驚いたようだった。


「やれと言われればやるが、王を納得させるだけの材料が欲しいな。言い方は悪いが、ジン、お前は無名の魔術師だ」

「何か実績が欲しい、と?」


 ここに来るまでに、俺とベルさんの二人でクロディス城を攻め落とす勢いだったのをもう忘れられたのかな?


『――ジン、聞こえるか?』


 その時、唐突にベルさんからの魔力念話が聞こえた。

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