第340話、交渉 パート1


 扉を開く。中は広々としているが、まず俺の目に飛び込んできたのは、金髪ヒスイ色の目を持つ可愛らしいメイドと、その彼女を捕まえている長身の若き公爵だった。


「ジン!」


 可憐なるメイド姿のアーリィーが俺の名を呼んだ。


 はい、決定。てめぇは俺を怒らせたなジャル公! アーリィーを人質にしやがっ……と、思いつつも冷静に。気分はホットでも思考はクールに。これができなきゃ戦場じゃ長生きできない。


「アーリィー、無事か?」


 その間にも、さりげなく部屋の中を目視で確認する。


 いかにも貴族的な天蓋てんがいのついたベッドが奥にあり、大きな窓が二つ。右側は本棚やクローゼット――ただし中身はなし――左側にはアンティークじみた小洒落た机に椅子、ソファー。床には赤い絨毯が敷かれている。隠れている敵はなし。


「来たか、ジンとやら」


 ジャルジーがアーリィーの背後から言った。そのアーリィーは後ろ手に拘束されているようだ。ジャルジーの手にはナイフが握られ、ご丁寧に彼女の首もとに当てられている。俺が渡した防御魔法具は……取り上げられているようだ。残念、もし装備していれば、多少手荒に出られたのだが。


 こういう状況は想定の内だが、仮にも惚れた女だろうに。それを盾にするとは、見下げ果てた奴だ。


「騎士学校で見かけたな。直接話すのは初めてだが。武器を持っていたら捨てろ」

「……見てのとおり、丸腰だ」


 俺は肩をすくめる。マントを持ち上げ、腰などにも……あ、ナイフ火竜の牙を下げてた。


「すまん、嘘ついた。武器を捨てる」


 俺は部屋の左側、机までゆったりとした調子で歩くと、ナイフを置いた。


「カバンも」


 ジャルジーが言った。マントを上げた時に見えたのだろう。いちいち癪だが、俺は頷くとゆっくりと革のカバンを机の上に置いて数歩離れた。


 ジャルジーは口を開いた。


「たった二人で我が城に乗り込んでくるとはな。そしてよくここまでたどり着いた。オレの配下に欲しいな。目的はアーリィーか?」

「まずは武器をしまえ、公爵閣下」


 俺は軽く人差し指を向け、威圧を込めて手にしているナイフを下ろすように言う。


「ここへは交渉に来た。あまり手荒なことはさせてくれるな」

「門を突破し、オレの兵たちを存分に蹴散らしておいて、交渉、だと……?」


 何を言っている、と言わんばかりのジャルジー。あー、ぶっ飛ばしてぇ、今すぐぶっ飛ばしてぇ――俺はしかし冷静に告げた。


「確認してもいい。お前の部下はほとんど生きている。交渉に来たのは嘘ではない」

「手加減したとでもいうのか……?」

「そうだ」


 きっぱりと俺は頷いた。とはいえ、すでに心変わりしつつあるがね。……それはそれとして。


 じろり、とアーリィーのメイド服姿を眺める。


「……その衣装は、お前が着せたのか?」

「だとしたら?」

「いい趣味だな。彼女によく似合っている。素晴らしい」

「ジ、ジン……!」


 アーリィーが顔を赤らめてふるふると震える。ジャルジーは少し驚いた顔になる。


「ほう、お前とは趣味が合いそうだな」

「そうかもしれないな。メイド服なのに丈の短いスカート。この世界では珍しいと思うが、実によくわかっている」

「わかるか……なかなか見所がある」


 ジャルジーはにやりと笑った。


「どうだ、ジン。オレの配下になれ。前に学校で会った時から、目を付けていた」

「それは恐悦至極。しかし残念ながら、公爵殿。要望には添えない」

「ほう、オレの言葉が聞けないか――ん? まて、お前、アーリィーを彼女と呼んだか?」

「知っているのだろう? 何もおかしいことではない」


 俺が答えれば、ジャルジーはアーリィーを見た。


「ジンには自分の性別を明かしていたのか? しかも何気に呼び捨てにしてる!」

「俺とアーリィーは、そういう関係なんだよ公爵殿」

「どういう関係だ!?」

「……まずは、武器を下ろせ」


 興奮のあまり、つい彼女の首が切れてしまっても困る。


「いいや下ろさない。アーリィーを傷つけたくなければ、そこで膝をついて、オレに従え」

「……そうか」


 俺は小さく首を振った。もういいだろう……。


「……スフェラ」

「はい、マスター――」


 突然、背後から聞こえた声に、ジャルジーは慌てて振り返る。長い黒髪の妙齢な美女が、いつの間にかすぐそばに立っていた。気配はおろか、部屋に入ってくるところさえ見ていないのに――


 俺はその隙を見逃さずに、魔力を使って、ジャルジーの手からナイフを奪い、ついでアーリィーを引き寄せた。


 少女の身体が公爵の手を離れ、俺のもとへ。そしてそのままそっと抱きしめる。


「ジン!」

「おかえり、アーリィー……。待たせてごめんな」

「ううん、来てくれてありがとう……」


 涙声のアーリィーが俺の胸に顔をうずめる。よしよし、もう大丈夫だよ。


 さて――


 ジャルジーはというと、ナイフを取り上げられ、呆然と俺とアーリィーを見ていた。彼の後ろにはスフェラ――シェイプシフターがいる。


 俺が部屋に入る前にストレージから出したのは杖――姿形の杖だった。俺がジャルジーの気を引いているうちに、影の形で部屋に入り、奴の後方へと回り込んだのだ。


 我に返ったのか、ジャルジーが腰に下げていた剣の柄に手をかける。だがそうはいかない。俺は魔力を拳に変え、見えない一撃を放った。


 エアブラスト。衝撃波がジャルジーの腕に直撃したが、弾かれた。魔法対策だ。


「魔法は効かんぞ!」


 ジャルジーが不敵な笑みを浮かべたその瞬間、スフェラが腕を伸ばしてシェイプシフターパンチをかます。剣を弾き飛ばし、さらに追い討ちとばかりに腹部に二発叩き込む。腹を抱えるように押さえ、公爵は床に膝をついた。


「油断大敵。すぐそばにいただろう?」


 まったく悪びれることなく、俺は言った。この野郎、どうしてくれようかね……。俺の中でどす黒い感情が渦巻く。


 が、その前に――


「アーリィー、すまないが……」


 少し眠っていてくれ。スリープの魔法を無詠唱で、メイド姿のお姫様にかける。防御魔法具がないので、魔法が効いてアーリィーは眠り込んだ。ソファーに彼女をそっと乗せてやる。


「……くそっ」


 ジャルジーが悪態をつきながら立ち上がった。


「こうもあっさり奪われるとはな……。オレをどうするつもりだ? ここで殺すか?」

「ああ、そうしてやりたいね」


 魔力を集め石つぶてにすると、それを振り回し、ジャルジーを四方八方から殴る。殴る、殴る! 顔は狙わなかったのは情けだ。でも身体は容赦なく殴る。


「本当はさっさと始末したいんだがね。アーリィーがこれまでお前に受けてきた仕打ちや痛みを思うとな。……だが残念なことに、俺の相棒がお前を買っていてね」


 俺は魔力で腕を形成するとジャルジーを掴み、床に叩きつけた。


「アーリィーを諦めたら、王にしてやろうと思ったが――」

「……王、何を、言って……」

「本当に残念だ。お前が王位継承権を持っていなければ、この場でケリをつけてやれたのにな」


 俺は冷徹に、ジャルジーを見下ろした。


「世の中、死ぬことより生きることのほうが辛いこともある。なあ、ジャル公……殺されるのと同じか、それ以上に恐ろしいことって何だかわかるか?」

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