第340話、交渉 パート1
扉を開く。中は広々としているが、まず俺の目に飛び込んできたのは、金髪ヒスイ色の目を持つ可愛らしいメイドと、その彼女を捕まえている長身の若き公爵だった。
「ジン!」
可憐なるメイド姿のアーリィーが俺の名を呼んだ。
はい、決定。てめぇは俺を怒らせたなジャル公! アーリィーを人質にしやがっ……と、思いつつも冷静に。気分はホットでも思考はクールに。これができなきゃ戦場じゃ長生きできない。
「アーリィー、無事か?」
その間にも、さりげなく部屋の中を目視で確認する。
いかにも貴族的な
「来たか、ジンとやら」
ジャルジーがアーリィーの背後から言った。そのアーリィーは後ろ手に拘束されているようだ。ジャルジーの手にはナイフが握られ、ご丁寧に彼女の首もとに当てられている。俺が渡した防御魔法具は……取り上げられているようだ。残念、もし装備していれば、多少手荒に出られたのだが。
こういう状況は想定の内だが、仮にも惚れた女だろうに。それを盾にするとは、見下げ果てた奴だ。
「騎士学校で見かけたな。直接話すのは初めてだが。武器を持っていたら捨てろ」
「……見てのとおり、丸腰だ」
俺は肩をすくめる。マントを持ち上げ、腰などにも……あ、ナイフ火竜の牙を下げてた。
「すまん、嘘ついた。武器を捨てる」
俺は部屋の左側、机までゆったりとした調子で歩くと、ナイフを置いた。
「カバンも」
ジャルジーが言った。マントを上げた時に見えたのだろう。いちいち癪だが、俺は頷くとゆっくりと革のカバンを机の上に置いて数歩離れた。
ジャルジーは口を開いた。
「たった二人で我が城に乗り込んでくるとはな。そしてよくここまでたどり着いた。オレの配下に欲しいな。目的はアーリィーか?」
「まずは武器をしまえ、公爵閣下」
俺は軽く人差し指を向け、威圧を込めて手にしているナイフを下ろすように言う。
「ここへは交渉に来た。あまり手荒なことはさせてくれるな」
「門を突破し、オレの兵たちを存分に蹴散らしておいて、交渉、だと……?」
何を言っている、と言わんばかりのジャルジー。あー、ぶっ飛ばしてぇ、今すぐぶっ飛ばしてぇ――俺はしかし冷静に告げた。
「確認してもいい。お前の部下はほとんど生きている。交渉に来たのは嘘ではない」
「手加減したとでもいうのか……?」
「そうだ」
きっぱりと俺は頷いた。とはいえ、すでに心変わりしつつあるがね。……それはそれとして。
じろり、とアーリィーのメイド服姿を眺める。
「……その衣装は、お前が着せたのか?」
「だとしたら?」
「いい趣味だな。彼女によく似合っている。素晴らしい」
「ジ、ジン……!」
アーリィーが顔を赤らめてふるふると震える。ジャルジーは少し驚いた顔になる。
「ほう、お前とは趣味が合いそうだな」
「そうかもしれないな。メイド服なのに丈の短いスカート。この世界では珍しいと思うが、実によくわかっている」
「わかるか……なかなか見所がある」
ジャルジーはにやりと笑った。
「どうだ、ジン。オレの配下になれ。前に学校で会った時から、目を付けていた」
「それは恐悦至極。しかし残念ながら、公爵殿。要望には添えない」
「ほう、オレの言葉が聞けないか――ん? まて、お前、アーリィーを彼女と呼んだか?」
「知っているのだろう? 何もおかしいことではない」
俺が答えれば、ジャルジーはアーリィーを見た。
「ジンには自分の性別を明かしていたのか? しかも何気に呼び捨てにしてる!」
「俺とアーリィーは、そういう関係なんだよ公爵殿」
「どういう関係だ!?」
「……まずは、武器を下ろせ」
興奮のあまり、つい彼女の首が切れてしまっても困る。
「いいや下ろさない。アーリィーを傷つけたくなければ、そこで膝をついて、オレに従え」
「……そうか」
俺は小さく首を振った。もういいだろう……。
「……スフェラ」
「はい、マスター――」
突然、背後から聞こえた声に、ジャルジーは慌てて振り返る。長い黒髪の妙齢な美女が、いつの間にかすぐそばに立っていた。気配はおろか、部屋に入ってくるところさえ見ていないのに――
俺はその隙を見逃さずに、魔力を使って、ジャルジーの手からナイフを奪い、ついでアーリィーを引き寄せた。
少女の身体が公爵の手を離れ、俺のもとへ。そしてそのままそっと抱きしめる。
「ジン!」
「おかえり、アーリィー……。待たせてごめんな」
「ううん、来てくれてありがとう……」
涙声のアーリィーが俺の胸に顔をうずめる。よしよし、もう大丈夫だよ。
さて――
ジャルジーはというと、ナイフを取り上げられ、呆然と俺とアーリィーを見ていた。彼の後ろにはスフェラ――シェイプシフターがいる。
俺が部屋に入る前にストレージから出したのは杖――姿形の杖だった。俺がジャルジーの気を引いているうちに、影の形で部屋に入り、奴の後方へと回り込んだのだ。
我に返ったのか、ジャルジーが腰に下げていた剣の柄に手をかける。だがそうはいかない。俺は魔力を拳に変え、見えない一撃を放った。
エアブラスト。衝撃波がジャルジーの腕に直撃したが、弾かれた。魔法対策だ。
「魔法は効かんぞ!」
ジャルジーが不敵な笑みを浮かべたその瞬間、スフェラが腕を伸ばしてシェイプシフターパンチをかます。剣を弾き飛ばし、さらに追い討ちとばかりに腹部に二発叩き込む。腹を抱えるように押さえ、公爵は床に膝をついた。
「油断大敵。すぐそばにいただろう?」
まったく悪びれることなく、俺は言った。この野郎、どうしてくれようかね……。俺の中でどす黒い感情が渦巻く。
が、その前に――
「アーリィー、すまないが……」
少し眠っていてくれ。スリープの魔法を無詠唱で、メイド姿のお姫様にかける。防御魔法具がないので、魔法が効いてアーリィーは眠り込んだ。ソファーに彼女をそっと乗せてやる。
「……くそっ」
ジャルジーが悪態をつきながら立ち上がった。
「こうもあっさり奪われるとはな……。オレをどうするつもりだ? ここで殺すか?」
「ああ、そうしてやりたいね」
魔力を集め石つぶてにすると、それを振り回し、ジャルジーを四方八方から殴る。殴る、殴る! 顔は狙わなかったのは情けだ。でも身体は容赦なく殴る。
「本当はさっさと始末したいんだがね。アーリィーがこれまでお前に受けてきた仕打ちや痛みを思うとな。……だが残念なことに、俺の相棒がお前を買っていてね」
俺は魔力で腕を形成するとジャルジーを掴み、床に叩きつけた。
「アーリィーを諦めたら、王にしてやろうと思ったが――」
「……王、何を、言って……」
「本当に残念だ。お前が王位継承権を持っていなければ、この場でケリをつけてやれたのにな」
俺は冷徹に、ジャルジーを見下ろした。
「世の中、死ぬことより生きることのほうが辛いこともある。なあ、ジャル公……殺されるのと同じか、それ以上に恐ろしいことって何だかわかるか?」
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