第311話、浄化魔法


 教会前には、バリケードがこしらえられていた。


 ゾンビと、それに抵抗する村の男たちの姿があった。俺たちが魔法装甲車デゼルトとともに進み、アンデッドどもを蹴散らしていくと、バリケードの向こうから歓声が上がった。


 デゼルトでバリケードの近くに乗りつけ、新たな壁とする。近衛の騎士たちが、バリケード前に固まっていたゾンビを仕留め、村の男たちと合流を果たす。


 教会の周囲は土が盛られ、一段ほど周囲に比べて高くなっている。もっとも壁や堀と呼べるほどではなく、ゾンビが表に集中しているのは、そこに抵抗している人がいたからだと思われる。


「騎士さま方……領主さまの軍じゃない?」


 ヴェリラルド王国の紋章をつけた騎士たちだが、さらに近衛を示す青いラインに気づく者はいなかったようだ。それよりも、村人側からの切迫した声があたりに響く。


「くそ、やられちまった……!」

「聖水を! 誰か、聖水を持っていないですか!?」


 傷を負った村の男たちの声。デゼルトで機関砲を操作していたアーリィーが叫んだ。


「オリビア!」

「心得ております! 誰か、聖水を分けてやれ!」


 近衛の魔術師がデゼルトの後部ハッチから、聖水の予備を数本持って戻ってくる。さっそく手当てを開始するのを見やり、俺はデゼルトから飛び降りると、ベルさんもついてきた。


 まだ周りでは、うちのスクワイアゴーレムや近衛の一分隊がゾンビの残党と戦っている。


「おやっさん、ほら、聖水だよ! 騎士さまが分けてくださったんだ」


 村の若者が、年配の男に聖水を差し出す。口ひげを生やした中年男性は、しかし胸に傷を受け、その服が赤黒く血に染まっていた。


「いや……俺はいい。この傷だ、ゾンビにならなくても、もう戦えん。それは中のやつに使ってやるんだ……トドメを、刺してくれ」

「おやっさん……」


 若者がいやいやをするように首を横に振る。おやっさんと呼ばれた中年男は青ざめた顔を向けた。


「早くしろ。……俺が、お前らを、襲う前に――」


 見てられんよ……。おやっさんの傍に膝をつく。


「ちょっと失礼」


 聖水を断ったこの男、その肌は変色をはじめていた。このまま悪化すれば身体は腐り、その毒が脳を蝕めば、新たなゾンビの仲間入りである。……聖水がもったない? なら魔法なら文句はないだろう?


「クリアランス」


 身体を蝕む悪性の異常を取り除く魔法だ。光の粒が吹き上がるように、その身体を包み込む。


 先ほどまで泣きそうな顔をしていた若者が口を開いた。


「あ、肌の色が、もとの色に……!」 


 ついでに胸の傷も、ヒールの魔法で治療しておく。


「嘘みたいだ……! 治ったのか!?」

「凄い! 教会の方ですか!」


 治癒魔法を使ったことで、そう思われたようだ。俺は答えた。


「通りすがりの魔術師だ」


 クリアランスの魔法は、ゾンビになる前は効く。ただし、完全ゾンビ化したものには効かない。英雄時代にゾンビと戦ったことがあるから、そのあたりは確認済みである。


「ここを守っていたということは、中にはまだ生存者が?」


 俺が聞けば、立ち上がったおやっさんが頷いた。


「ああ、だが怪我人もいる。もし手当てができるなら、まだ助かる者もいるかもしれない」

「わかった」


 俺が振り向くと、アーリィーがデゼルトを降りて、オリビアとやってくる。メイド衣装のサキリスが、バスケットに聖水の瓶を積んで運んできたが、俺はそれを止める。


「少し待て。あと、サキリス、後で魔力をもらうぞ」


 その意味を理解したのか、サキリスは顔を赤らめながら、「はい」と小さく頷いた。


 生存者の様子を見に、俺たちは教会の中へと入る。オリビアは、近衛たちに防衛線を作り教会を守るよう指示を出して俺に続いた。


 教会の正面入り口を開ける。天井は高く、およそ二階くらいの高さはある。吹き抜けになった礼拝堂。無数に並んだ長椅子は、簡易のベッド代わりに、怪我人や具合の悪い者たちが横たわる。心配げにそれらを見る家族や友人と思しき村人たち。


 傷を負ったものの呻き声や、「死にたくない」と連呼する絶望の声。神に祈りを捧げる場は、さながら地獄の一歩手前の様相を呈していた。


 これは、ちとヤバイな……。


 ゾンビによって傷を負わされた者もいるだろう。それらがゾンビ化して発狂すれば、教会の中は狂乱の末に内部崩壊を起こす。聖水の数が足りるかわからず、また一刻の猶予もないだろう。


「範囲指定、クリアランス」


 ひとりひとり、まわっている暇がないかもしれないなら、まとめてかければいいじゃない。次の瞬間、礼拝堂内を無数の光の粒が吹き上がった。


 突然のことに村人たちは驚き、動きが止まる。範囲内無差別クリアランス。健全者には意味はなく、人がいないところにも発動しているから無駄が多すぎるし、魔力を馬鹿みたいに喰う。


 ややして、光が消えた時、ゾンビ化しつつあった怪我人たちから「治った!」「助かった!」の声が連続して、教会内に木霊した。


 一方で、俺は足が少しふらついた。黒猫姿のベルさんが見上げる。


「大丈夫か?」

「ああ、まだ大丈夫」


 だがこういう範囲魔法を連発するような事態は、勘弁してもらいたいのが本音だ。


 教会に入ってきた一団に気づいた人々。その中で、一番魔法を使いそうな格好していたのが俺だったためか、村人たちが俺に手を合わせたり、頭を下げたりしていた。


 さらに靴音を響かせて、この教会のシスターと思しき若い娘が駆けてきた。


「いまのは神の奇跡でしょうか。ああ、主よ、感謝いたします。あなた様が先ほどの奇跡を起こされた方でしょうか?」


 奇跡? 俺に向かって話すシスターさんに、首を横に振ってやる。


「ただのクリアランス、浄化魔法だよ。奇跡というほどのものじゃない」

「浄化魔法!? いえ、それよりもクリアランスですか? 効果がないはずなのですが……」


 若いシスターさんは目を瞬かせた。


 クリアランスは効かない? いや、効いてたよね? ひょっとして術者のレベルみたいなのがあって、効く効かないがあるのだろうか。 


「それで、教会にいたすべての人全員に……! 失礼ですが、さぞ高名な導師様とお見受けしますが……」

「ただの魔術師だ」

「教会の方ではないのですか!?」


 さらに驚くシスターさん。


「そ、そうなのですか。いえ、あなた様のおかげで、村人たちが救われたのは事実。改めて、お礼を申し上げます!」


 村人たちが頭を下げる。あ、うん。まあ、とりあえず、それは置いておくとしてだね――


「全員、傾注!」


 突然、オリビアが声を張り上げた。いきなり何?


「こちらにおわすお方は、ヴェリラルド王国王子、アーリィー・ヴェリラルド殿下である!」


 何故、いまそれを宣言した? 俺の疑問を他所に、村人たちは「王子殿下……?」と困惑し、ついで平伏した。


「オリビア……」


 できれば黙っていて欲しかったのだろう。が、近衛騎士の姿に、遅かれ早かれ気づく者は現れるだろう。


 近衛隊長を軽く睨んだアーリィーだったが、すぐに王子の顔になった。


「皆、顔をあげてくれ。ボクたちはゾンビの討伐にきた。これ以上の犠牲を増やさないためにも、ゾンビを駆逐しなくてはいけない。まずは状況の確認をしたい」


 アーリィーが俺を見て、頷いた。ありがとう、アーリィー。俺が言おうとしたことを言ってくれて。

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