第295話、闇オークション、その1


 マラガ街の闇オークションにかけられる――サキリスは、目の前にいた長髪の男にそう言われた。


 身なりは良い。白に赤い線が入った上等のローブをまとっている。ただ、顔は真っ黒な仮面をつけているので、表情まではわからない。


 グレイブヤード、その男は名乗った。


 彼は奴隷商人である。サキリスが知っているのはそれだけだった。


 ずっと顔を合わせているわけでもなく、暗い部屋に押し込められている時間が長かったせいだ。ただ食事は出た。美味しくはなかったが、マズくて食べられないほどでもなかった。


 馬車から降ろされる。手枷に首輪、薄手の衣服が与えられたすべて。身体に刻まれた奴隷紋――主人の命令に絶対服従を強いられる特殊な魔法紋章が、サキリスから自由な意思と行動を奪った。


 鉄の鎖など、魔法を使えば壊すこともできるはずだ。だが、奴隷紋により許可なく魔法を使うことができなくなっている身では、それもかなわない。逃げることも、抵抗することも。


 グレイブヤードから、「私が許可するまで、余計なことは喋らないように」と命じられているために、ここ二日間、何も喋っていない。


 このまま奴隷として売られてしまうんだ――そう思うと、無力感に苛まれる。窮屈で、ゾクリとした感情を抱いたのは最初だけ。……ひょっとしたら、家族や故郷を失ったことで、それすら感じる余裕がなかったのかもしれない。


 すべてを失ってしまった。


 奴隷に落とされた。


 もう何も残っていない。


 ジンやアーリィー様が助けに来てくれる――なんて思うほど、めでたい思考は持っていない。仮に探してくれたとしても、絶対に見つからない。このまま知らない場所で奴隷として売られて、そのまま……。


 もういい、どうせ生きていたって、何もないのだから。


 無気力。


 身体に力が入らない。気持ちも揺らいでいるのは、奴隷紋の効果なのか……。そんなことすら些細なものに思えた。


 やがて、同じく奴隷として競売にかけられようとしている者の姿を見た。うら若き乙女たち。子供も若干いる。人間だけでなく、エルフや、ダークエルフ、フェアリーとおぼしき小妖精も。まさか自分もその中に入って売られることになるとは。


 オークションの時間となったのか、鎖に繋がれたサキリスは他の奴隷たちと、舞台へと引き出された。


 激しい光に照らされる。魔石灯や、その他の明かりに比べてはるかに強い照明に、目がくらみそうになる。ライトの魔法で強化されているのかもしれない。奴隷たちの姿は克明に浮かびあがり、一方で客席の様子は暗く見えづらくなっていた。


 オークションに参加する者たち。その数は軽く100人を超えているだろうか。フード付きのマントやローブ、あるいは仮面などを身につけていて、その正体を窺い知ることは困難だった。


 この中に、わたくしを落札する人がいる――胸の奥が苦しくなる。どんなご主人様が自分を買うことになるのか。まともな人間だろうか? 異常過ぎて、酷い目に合うのではないか。


 ねっとり、絡みつくような視線が自分を含めて奴隷たちに降りかかる。見えない手で肌を触られているような感覚。どうでもいい、なんて思っていたが、いざ立たされ、視線にさらされると、寒気のようなものが駆け抜け、心臓が縮んだ。怖い……。


 そして競売は始まった。最初は灰色の髪の人間の少女から。


 200から、と進行役から開始の額を聞いた時、サキリスは、そんな安いのかと思った。たった200ゲルドからなんて。一般的なポーションが50ゲルドだから、ポーション4本分。いくらなんでも安すぎる。これがモノとして扱われるということなのか。


 210……220……240――少しずつ額が上がっているが、こんな惨めな金額で売られるというのも屈辱でしかない。自分もこんな安い額で買い叩かれるのではないかと思うと、怒りのようなものを感じた。自分の人生とは、生まれとは、そんな価値しかないのか、と。


 最初の競りが終わり、オークションは進む。人間の女性、ハーフリングの少女、エルフ、ダークエルフ――やはりと言うべきか亜人種のほうが高値がついた。いずれも1000を超え、会場のボルテージが上がっていく。


 そしてその頃になって、サキリスも気づき始める。お金の単位、とくに桁が違うことに。エルフやダークエルフが四桁を超えたとはいえ、いくらなんでも剣一本程度の価値しかないわけがないのだ。考えられるのは、1金貨単位。


 1金貨は1000ゲルド。つまり1000が金貨換算だとするなら、100万ゲルドということになる。


 騎士の月給が5金貨から8金貨。5000から8000ゲルドとされているから、高給取りの騎士でさえ、十数年以上。ただし生活費や武具の維持費などを差っ引いていくわけで、100万ゲルド以上で奴隷を買うのは、貴族や大商人でなければ簡単に出せないのがわかる。


 わずかに残っていた希望のようなものがフツリと消えるのを感じた。ジンやアーリィーが助けに来てくれると思っていないといいながら、心の底では期待していた自分がいた。もしかしたら自分を買って助けてくれる、なんて都合のいいことを考えていたことに気づき、自嘲したくなった。


 だが、それも完全になくなった。自分がエルフたちより高く売れるとは思わないが、金貨が最低単位の競売に、彼らが参加できるはずがない。終わった……。


 サキリスの番がやってくる。これまで気にしていなかったが、進行役である競売人が競売前に商品であるサキリスのことを説明する。


 キャスリング家の元令嬢、サキリス・キャスリング。家も失い、奴隷に落ちてしまった云々。魔法騎士学校の生徒であり、魔法と剣も使えるので護衛などにも使える。それに加え、この魅惑のボディラインは人間種としては極上。元貴族令嬢に性的な奉仕の仕込む愉しみもあるなど……。


 言いたい放題言ってくれるものである。表情に出なかったのは、奴隷紋の影響だと思いたい。ただ奥歯を強く噛み締めるほどの恥辱を感じてはいる。


「もちろんですが、この娘、処女でございます」


 おおっ――と会場がわずかにどよめいた。確かめもしないで、よくも言ってくれる。……実際、そのとおりなのだけれど。


 かくて、競売が始まった。スタートは800(80万ゲルド)から。通常の同世代の女性奴隷の4倍の値から始まった額だが、サキリスは当然ながらそのことを知らない。


 客席から怒号にも似た声が出て、たちまち額は1000を超え、ダークエルフの競り価格を上回った。1500、1600……1800――


「はい、ただいま2000を超えました! はい、2200! 2400――」


 上がっていく価格に、サキリスは怖くなる。自分にそんな額がつくほどの価値があるのか。貴族の令嬢としてのプライド――まだそんなものが残っていたのが驚きであるが、それほどの額が付くのは当然という思いの一方、自分でも見たことも聞いたこともない額に震えがこみ上げてきた。


 ――わたくしを買う人間は、いったいわたくしに何を望んでいるの……?


 何をさせられるのか。モノとして買われた後の自分に何が待っているのかと思うと怖くてたまらなくなった。


「3500! もういらっしゃいませんか!? 3500――おお、4000! 4000が出ました! 4000! 4000です! これが最後です。ここで挙がらなければ落札確定です……はい、落札です」


 ガンと、小槌を打ち付ける音が会場に響いて、サキリスは400万ゲルドで競り落とされた。


 決まってしまった。自分は売られ、そして買われた。これからは、その買った者を主人と崇め、隷属するのだ。


 オークション職員に鎖を引かれ、彼女を買った新たな主人のいる控え室へと歩く。手続きを行い、そこで正式に引き渡される。


 待っているのは絶望か。よい主人ならいいけれど、期待すると馬鹿を見そうでもある。枷と首輪、鎖に繋がれた惨めな奴隷を買ったのは、果たしてどんな人なのか。


 俯きながら、部屋へと入る。顔を上げられない。身体の震えも止まらない。


「やあ、サキリス、もう大丈夫だよ」


 かけられたその声に耳を疑い、サキリスは顔を上げた。


 そこにいたのは黒髪の魔術師にして、クラスメイト――ジン・トキトモだった。

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