第259話、王たちの密談
王城の国王の私室に、その人物は現れた。
漆黒のローブをまとい、フードをかぶってはいるが、たっぷりとある髭を覗かせて、ときに手でしごくのは、先のヴェリラルド王ピレニオ・ヴェリラルドである。
現国王エマンは、机を挟み、亡き父であるピレニオ、その亡霊と相対する。
「手を出すな、ですと……?」
「そのとおりだ」
ピレニオ先王は重々しく頷いた。
「しばらく静観するがよい、我が息子よ」
「しかし、父上」
エマン王は眉をひそめた。
「あまり時間がありませんぞ。アーリィーが魔法騎士学校を卒業するのに、半年もありません。学校を卒業してしまえば、諸侯は王子に婚約をと一層騒ぎ立てることでしょう。アーリィーに娘を当てることができれば、王家との結びつきがより強固になると、貴族たちは機会を窺っている」
「言われるまでもない。王の血筋とその後継は、貴族どもにとっても他人事ではない」
まさにお前に言われるまでもない、である。エマン王に指摘されるまでもなく、王であるならば常識である。釈迦に説法だ。
「だがな、我が息子よ。アーリィーは王にはならん」
「と、言いますと……?」
何か妙案が――期待の眼差しを向けるエマン王。
「あれは、王になる気がない」
「!」
「わしは、アーリィーをつぶさに観察しておったが、将来のことでおぬし以上に悩んでおった。むろん、おぬしが王になれと命じれば従うが、王位継承権を手放せと命じれば、やはりあの娘は従うであろう」
「……命令するだけで済むのなら、楽なのですが」
「ああ、諸侯どもに、アーリィーの継承権を放棄させるに足る理由を説明するのが難しい」
ピレニオ先王が鷹のような目を細めれば、エマン王も頷く。
「たとえ継承権を手放したとしても、性別を隠していた事実を探られるのが一番困ります。いかに理由をつけようとも、不審を抱かれた時点でお終いです。一番簡単なのは失踪するか、あるいは命を奪い、さっさと埋葬を済ませてしまうか――」
魔獣に丸ごと喰われてしまうと死体も残らずに済むのですが――とエマン王が口にした時、さすがにピレニオ先王は不快げな表情を浮かべた。
「アーリィーには継承権を手放させるが、それを周囲の誰もが納得する手段で行う。そのための秘策がある」
彼女を殺すことなく、継承権第二位のジャルジーに王位を継がせる秘策が。
「どのような策ですか?」
「アーリィーが『女』であると公の場で知らしめるのだ。王族の継承ルールとして、現状女は王になれん。だからこそ、それを目の当たりにすれば、誰も文句は言えない」
「父上!? それは――」
ガタン、と席を立ち、机に手をつくエマン王。ピレニオ先王は片手を挙げて制した。
「まあ、話を最後まで聞くがよい。何も、アーリィーが生まれた時から女だったことを公表するのではない。公の場で、王子が『女にされてしまった』となれば……どうだ?」
「女にされてしまった……?」
エマン王は席に腰を下ろすと、考える仕草をとった。
「つまりは……芝居をうつということですか、父上?」
「左様。王子が皆の前で、魔法によって女に変えられてしまうのだ。そうなる様を目撃すれば、まさか始めから女子だったと思う者はいまい」
「なるほど……名案です、父上。しかし――」
眉間にしわを寄せて、エマン王は言った。
「人の性別を変える魔法など、存在するのでしょうか……?」
「おお、息子よ。そんな方法があるかどうかなど、この際どうでもいいことだ」
まだわからないのか、と言いたげな目を向けるピレニオ先王。
「世界には、いまだ解明されない事柄など山ほどある。魔法とて、すべてを操る者などおらんし、まして世の誰もがすべての魔法を目にしたわけではない。知らぬ魔法が現れたとておかしくはない。……そう、いかにもな魔法使いが、使う魔法ならなおのことだ」
「いかにもな、魔法使い……?」
「今、その魔法使い役を選定しておるところだ。我らの王子を『女に変える魔法を使う』悪い魔法使いを」
ピレニオ先王は、悪事を企む顔になった。
「わしは、フォリー・マントゥル――奴がこの役にふさわしいと思うのだが、どうだろうか?」
フォリー・マントゥル。エマン王を騙し、アーリィーの性別を偽らせるきっかけとなった諸悪の根源。その名前を聞き、同時に先王の企みと合わせて考えた時、エマン王の顔にはじめて笑みが浮かんだ。
「なるほど。あやつめに責任をとってもらうというわけですな、父上」
「ああ、我らを騙し、ここまで悩ませた罪を償ってもらう」
「しかし、父上。あやつの所在は不明ですし、なにより生きているかどうかも定かではありませんが」
「別に生きている必要はない。むしろ死んでいるほうが都合がよい。だが万が一にも生きている可能性もある。ゆえに奴が今どうなっているか探る必要があるのだ。……まあ、それはこちらに任せてもらおう。すでに手を打ってある」
「承知しました、父上」
エマン王は首肯した。
「では、アーリィーについては現状、静観という形でよろしいですね?」
「ああ、そうだな。……むしろ、エマンよ。あの娘に優しくしてやれ」
「は……はあ」
要領を得ない顔になるエマン王。ピレニオ先王は諭すように言った。
「よき父を演じよ。周囲から見て、いかにも期待しているように振る舞うがよい。さすれば、この企みが上手くいった後、下手に勘ぐる者も現れぬであろう――」
「なるほど……さすが父上!」
久しく忘れていた心からの笑顔を浮かべるエマン王である。
さすがは我が父。まさしく名案だ!――暗鬱たるものが立ち込めていた未来に、初めて光が差し込んだようだった。
エマン王は、父王への尊敬を改めてもった。この人の背中を見て、自分もよき王であろうと努力した日々が脳裏をよぎる。
ピレニオ先王は知謀に長け、いついかなる時も最善の手を尽くしてきた。そして思い出す。この人は、人の話をよく聞く人だったと。
厳しい顔つきに似合わず、人前で怒鳴ることなどほとんどない。泰然と、思慮深く、そして寛大だった。
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