第189話、洗礼と先例


 俺がいた世界では、コウモリというのは哺乳類全体の4分の1を占めていたらしい。これはネズミなどのげっ歯類の次に多いグループなんだそうだ。


 この世界ではどれくらいのコウモリ種がいるかは知らないが、よほどの極地でなければどこにでもいて、それはこうしたダンジョンでも例外ではなかった。


 この大空洞序盤ダンジョンの肉食性コウモリは侵入者にも攻撃してくるが、それで命を落とす者はほとんどいない。引っかかれたり、噛まれたりするが……。


 少々痛い思いをするかもしれないが、コウモリの群れに襲われるという経験は今後の役に立つだろう。


 天井からかさかさと音がする。キキキッと小さな軋むような声に、それがいることを皆が感じ取っていた。


「さて、来るぞ」


 俺は照明の魔法をかけた古代樹の杖の先を、さっと天井に向けた。一斉に飛び立ったコウモリの群れが羽ばたき音を木霊させながら襲い掛かる。


「電撃の矢、ほとばしれ! ライトニング!」


 サキリスが魔法を放った。……うん、単発の電撃弾では、焼け石に水だぞー。


 俺は自身に光の障壁を展開。ユナも、すでに防御の魔法を発動させていた。ベルさんは、いつの間にかユナの肩の上にいる。


 マルカスは盾を構え、向かってきたコウモリを払うように振り回した。

 ダンジョンのコウモリ種は、体長が5、60センチほどと比較的大きい。殴ればあっさり落ちるのだが、一匹二匹ならともかく数の暴力である。

 サキリスも盾と剣でコウモリを撃退しようと頑張るが、効率が悪かった。


 アーリィーは……おや。襲い掛かるコウモリどもが、彼女の数十センチ手前あたりで、見えない壁でもあるかのように逸らされている。何らかの防御魔法を使っているようだ。これは……風――ウィンドシールドか。


 なるほど、悪くない。通常サイズの魔獣の当たりなら気休め程度だが、軽量のコウモリでは風の層を突破できないようだ。ダンジョンにも慣れてきているのかもしれない。


 彼女の風は前面の攻撃は完全にシャットアウトしている。後ろががら空きなのは、術者が未熟だからではあるのだが。


 俺はアーリィーの真後ろに飛来した、運の悪いコウモリを杖で叩き落とした。彼女の生成している風が、かすかに俺の前髪を揺らす。前と側面、上方と展開範囲は正面を中心に半円といったところか。


 コウモリの群れは、やがて去った。十数体ほどのコウモリの死体が転がっている。前衛の二人が少々、引っかかれた程度で大した被害はない。


「サキリス、ちょっと髪が乱れてるぞ」

「貴方の言うとおり、帽子でも被っておけばよかったですわ」


 少々乱れた金色の髪を撫でつけながら、サキリスがぼやいた。マルカスは苦い顔になる。


「ああも多いと、面倒だな。もっと効率よくいかないものか」

「後衛に魔術師がいるなら、防御魔法をかけるとか、あるいは広い範囲を攻撃できる魔法で先制するのが有効なんだけどね」


 ちゃっかり無傷の俺とユナは顔を見合わせてやる。経験者は意地悪である。


「なるほど、次からはそうしてもらえるのかな?」

「いいけど、魔術師がいない時、どう凌ぐかは自分の中で考えておけよ」


 戦場の鉄則。役割分担も重要だが、必ずしも得意な者がいるとは限らない。各自、自分の役割はもちろん、周りの面々の役割を理解し、必要な時はその穴を埋められるように準備が望ましい。


「まあ、いきなり剣士に魔法使いになれというのは無理だし、その逆も無理だが、いないなりにどうするかは考えておくのは大事だよ」


 部隊を率いる時になっても同じことだ――と俺が言えば、マルカスとアーリィーが興味を示した。


「どういうことだ?」

「隊長の仕事は、副隊長もできるようにしておく。副隊長の仕事もまた、その下のリーダー格に覚えさせる。戦闘じゃ、誰が死ぬかわからないから、指揮官が指揮を執れなくなった時、次に指揮する者を決めておくし、その準備もしておかないといけない」


 あ、いちおう、俺がいま仕切っているけど、俺が指揮不可能になったら、ユナが次席のリーダーだからね。ユナもいない時は、アーリィーが指揮するんだぞ。


「……」


 サキリスとマルカスがお互いの顔を見合わせた。もしアーリィーが指揮を執れなくなったら――どっちが指示を出すのか考えたのだろうな。


 さすがに王子殿下を前にそれを言うのは憚られたのだろう。だってアーリィーが怪我したり死んだりしたら、なんて言えるはずがない。

 残り二人になるような状況なら、もうどっちが指揮を執るかなんていいから、逃げるべきだと思うね。


 さて探索続行だ。特に障害もなく、次の階層へ。


 ベルさんが接近する敵の存在を察知。俺は皆を停止させ、それを待ち伏せることにした。ライトの魔法を解除する。あたりは暗闇に包まれる。暗視の魔法を使い、闇の中でも視界を確保。


 やってきたのは、ゴブリンだった。クロスボウを手にしたそれは、おそらくゴブリン・スカウト――偵察兵だ。単独で行動し、仲間に敵や『獲物』の存在を報告するのが仕事だ。


「アーリィー」


 マルカスとサキリスが盾を構えて前を固める中、アーリィーは、片方の膝を地面に着けて、マギアバレットを構えた。


 この新型魔法銃はスコープがついていて、ある程度の拡大や、暗視機能がついている。事前の説明に従って、アーリィーはスコープを調整して構える。 


 ひたひたと接近する足音。洞窟内に反響するそれ。真っ暗闇で状況がよくわからない前衛二人が息を殺す中、アーリィーは息を静かに整える。


 ふと、ゴブリンスカウトが足を止めた。こちらの気配を察知したのだ。だが残念。


 アーリィーがマギアバレットを放った。電撃弾が胴を撃ち抜き、ゴブリンを地面に倒した。暗視魔法を解除、照明魔法、ライトを点灯。


「サキリス、マルカス!」


 前衛ふたりが、光の照らすほうへ駆け出した。ゴブリンにトドメを――


「……死んでる」


 マルカスが報告した。地面に倒れたゴブリンスカウトは、すでに息をしていなかった。マルカスはさっそくゴブリンの死体を検めるが、サキリスは死体を汚らわしいものを見る目で見ていた。


「拾えそうなのは、クロスボウと矢くらいか」


 粗末なクロスボウと矢筒に矢が六本。俺はマルカスを見た。


「売り物にはなりそうにないが持っていくか? クロスボウを撃ったことは?」


 使い捨て感覚で、敵に使うという手もある。


「授業で数回」


 剣を鞘に収め、マルカスはクロスボウを拾うが、すぐに顔をしかめた。


「臭いな、これ」

「ゴブリンの体臭が染み付いているんでしょうね」


 サキリスは、先ほどから不愉快そうにしていたのはどうやらその臭いのせいのようだった。


 結局、マルカスはクロスボウを置いていった。

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