第176話、とある宮廷魔術師


「死人に口なし、と言います。死んでしまったものに対しては、後からどうしようもありません」

「なるほど。まったくそのとおりだ。おぬしは王としての務めを果たしておる」


 ピレニオ先王は頷いた。エマン王は安堵したように頬を緩める。


「父上から、そのような言葉をいただくとは」

「おぬしはよくやっておる」


 先王はしばし父親の顔を覗かせる。エマン王は、五十二になって照れたようにはにかんだ。


「ところで息子よ……どうしても思い出せないことがあるのだが」


 ピレニオ先王は右手を自身のこめかみに当てた。


「あれはどうして王子として育てなければならなかったのだ? この諸悪の根源とも言える出来事が……先ほどから思い出せない」


 何故、アーリィーは姫ではなく王子なのか。ピレニオ先王の言葉に、エマン王は呆然となった。


「お忘れになられた……? いや、思い出せないのですか?」

「先ほど記憶に齟齬そごや欠損があると申したであろう」

「そうでしたな、父上」


 エマン王は背筋を伸ばした。


「すべての発端は、嘘から始まりました。覚えておいでですか? フォリー・マントゥル……短期間ですが、宮廷魔術師として召し抱えた男を」

「……名前だけは、覚えがある」


 ピレニオ先王は首を捻った。


「どのような人物だった?」

「凄腕の魔術師でした。百年に一度の天才魔術師の評判でして、事実、魔術の腕前は高いものがありました。……まあ、何とも胡散くさい風貌の老人でしたが」


 続けろ、とピレニオ先王は促した。


「我が一族の後継者、つまり息子を欲した我々ですが、我が妻は体があまり丈夫ではなかった……。機会は少ないと焦っていたところに、あの男が現れました。『次に生まれる子を男子とする方法がある』と」

「わしらは、それに飛びついたのだな」

「そのとおりです。我ながら、実に愚かな行為だったと思います。結果的に、奴に莫大な金を騙し取られたわけですから」


 つまり『次に生まれる子を男子にする方法』など、存在しなかった、いや嘘だったということだ。


「しかし、命知らずな真似をしたものだ、フォリー・マントゥルなる魔術師は」

「あるいは、本当にお腹の中の赤ん坊を男子にする魔術だったのかもしれません。もしそうなら、未完成な術だったのかも……」


 エマン王は言ったが、すぐに顔をしかめた。


「ですが、性質の悪いのはここからです。奴は生まれた子――アーリィーが女の子だったにもかかわらず、男の子だったと報告した。我ら周囲を謀ったのです」


 男の子が生まれた――その報告にエマン王はもちろん、周囲は沸きに沸いた。


 王に後継者が生まれたと、たちまち国中に知れ渡った時、赤子の世話をしていた者が気づいた。……男子としてついているものが、実はついていなかったことに。


「奴は巧妙な擬装魔法を使って、女の子を男の子として見えるように偽っていたのです。何ともお粗末な話ですが、発覚した時には皆に報せた後……いまさら娘でした、などとは言えない状況でした」


 王都はもちろん、国中が熱狂していた。間違っていた、などととても言えない空気だったと、エマン王は振り返る。


「結果的に、我々は、アーリィーを男として、王子とするしかなかった。だが成長するに従って……あの娘は美人に育ちましたから、男子というには少々厳しい容姿に」


 中性的、と言えば聞こえがいいが。もっとも、逆にその容姿が同年代の貴族の娘たちから人気を集めているのは皮肉かもしれない。


「すべての原因は、フォリー・マントゥルにあり、か」

「左様です」

「して、その魔術師はどうした? むろん、制裁を下したのであろうな?」


 ピレニオ先王が怒りを押し殺しているのを、エマン王は察した。だが憤りを感じているのはエマン王もまた同じだった。


「奴は八つ裂きにしてもしたりない。ですが残念なことに、あの一件以来、表舞台から姿を消しました。捕らえて、私自ら奴の首を刎ねてやろうと思っておったのですが。事が事だけに、表立って指名手配や布告を出すわけにもいかず、その行方は掴つかめませんでした」


 追い詰めたことで、アーリィーの性別の秘密を漏らすかもしれない。生きているだけでもその可能性があるのだから、始末したいが、表立って動けないのが恨めしかった。事情を知らない諸侯の手勢や騎士たちに任せて、もし秘密が明るみに出たら……。


「事情はわかった」


 ピレニオ先王は、深々とため息をついた。エマン王は言う。


「フォリー・マントゥルのことも気がかりですが、あの時点でかなり高齢でした。おそらく、もうこの世にはいないでしょう。現在のところ、アーリィーの秘密が漏れた形跡はありません。そうであるなら、今はアーリィーを周囲に気取られぬよう上手く排除すれば、この問題は解決します」

「外部の者の仕業ということにして、だな……?」

「はい、以前、暗殺者を手配したのですが、失敗しました。これ以上、余計な疑いがかからぬうちに、ケリをつけたいところです」

「何せ、未来の王の話だ。諸侯も気がかりだろうて」


 ピレニオ先王は頷くと、すっと音もなく席を立った。


「では、わしの方でも、何かいい方法がないか考えるとしよう」

「ああ、助かります、父上」


 エマン王も椅子から腰を上げた。相談できる相手がいない中、唐突に現れたとはいえ亡き父が手を貸してくれると言ったのだ。これほど嬉しい言葉もない。


「では、しばしの別れだ、我が息子よ」

「……次は、いつ会えますか?」

「そう遠くない未来に。それまで達者に暮らせ」


 すぅ、とピレニオ先王の身体が透明になっていく。霊化したのか、数秒後にはその姿は完全に見えなくなった。 



  ・  ・  ・



 アクティス魔法騎士学校、青獅子寮。


「よう、ジン」


 魔法工房で作業をしていた俺に、ベルさんが声をかけてきた。


 真夜中に近い。窓の外は真っ暗闇。魔石灯の明かりだけが室内を照らしている。


「おかえり、ベルさん」

「……何をしてるんだ?」

「手榴弾作り」


 机の上に広げられた砂や石の欠片の山。魔石の削りカスである。


 薄い鉄板を丸めて筒として、その中に魔石くずを、鉄を砕いた欠片と一緒に流し込む。後は起爆用の魔石の欠片を取り付け、蓋をして魔法で密封処理。起爆スイッチと起爆式を魔法文字で刻み、完成である。


「この時間に作業とは珍しいな。アーリィー嬢ちゃんとお肌のふれ合いをしているかと思ってきたのに」

「スケベ親爺め」


 俺は苦笑した。


「毎日ってわけじゃない」

「ほぼ毎日やってんだろ?」

「言うなよ。……それより、そっちはどうだったベルさん?」

「あー、まあまあ」


 ひょいと、俺の作業机に飛び乗る黒猫。


「原因がわかったぜ」

「アーリィーが女なのに王子をさせられている理由?」

「フォリー・マントゥル。かつて宮廷魔術師だったこともある男だ。そいつが、諸悪の根源だ」

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