第175話、亡霊あらわる
エマン王は悩んでいた。
彼を現状悩ませているのは、自身の後継者のことである。
王位継承権1位にあるアーリィー。第2位のジャルジー。普通に考えれば、継承権1位の者が、次の王だ。そのための順番である。
だが、アーリィーに王位を継がせた場合、未来はない。何故ならアーリィーは『女』だから。
いや、ただ女というだけなら問題はなかった。継承権は男子が優先されるのが、ヴェリラルド王国の決まり。故にアーリィーが初めから女として、姫をやっていれば継承権はジャルジーが上となり、放っておいても彼が次の王になっただろう。
王子として、周囲を偽っていること。それが問題なのだ。そうせざるを得なかったことが問題だった。
「陛下、お加減が優れないようですが……」
「よい。私は部屋に戻る。……ああ、呼ぶまで誰も入れるな」
「はい、陛下」
従者らが恭しく頭を下げるのを半ば無視する形で、エマン王は自室にこもった。
最近は王は部屋にこもりがちだ。それを周囲が心配しているのは王も知っているが、その悩みを打ち明け、相談するに足る人物はいなかった。
事実を知る者は極わずか。アーリィー暗殺は苦渋の決断だったが、その企みはうまく行っていない。神が、実の子を殺そうとする所業を許さないのかもしれない。
否、過去を振り返ってみれも、歴史上、王族同士の流血沙汰など山ほどある。何も珍しいことではない。
しかし、このままでもいられない。エマン王は一人悩んでいた。
「……? ……あぁ、眠ってしまったか」
時間は深夜だろうか。窓の外は暗い。寝間着に着替えていないので、従者どもは部屋の外で待っているだろう。
どれ、とエマン王は愛用の椅子から立ち上がろうとして、ふと、机を挟んだ向こう側に、人の気配を感じた。
――いや、誰も入れるなと命じたはずだ。この部屋に私以外にいるはずは……!
くせ者か!? 慌てて声を出そうとしたエマン王だが、それよりも早く、その人物――漆黒のローブにフードを被った魔法使いのような格好をしたそれが口を開いた。
『ずいぶんと疲れているようだな……我が息子よ』
「!?」
エマン王は腰を浮かす。向けられた言葉に対し、思考が追いつかず、口もとが震える。
「な、何を……息子だと?」
『そうとも、わしが誰だか、忘れたのか?』
そう言うと、年嵩の男はフードをとり素顔を露わにした。
鷹のように鋭い目、無数のしわが刻まれた顔に、たっぷりと蓄えた白い髭。頭髪も白く、また少々後退している、その姿は七十は近い外見である。
だがそれ以前に、エマン王には見覚えがあった。いや見覚えがあるどころではない。
「ち、父上!? いや、そんな馬鹿な……。あなたはもう十年も前に亡くなられた!」
「ほぅ、わしが死んで十年の月日が流れておったか。なるほど、お前も歳を取ったな」
ピレニオ・ヴェリラルド。エマンの父にして、先代国王である。しかし、すでに故人である。それが何故、目の前に現れたのか、エマン王は理解できなかった。
――幽霊だとでも言うのか? それとも、私は夢でも見ているのか?
「亡霊にでも遭ったような顔をしておるぞ、我が息子よ。……もっとも、それは正しい」
ピレニオ先王は、テーブルの上に肘をついた。枯れ木のように細く、折れてしまいそうな腕は、晩年床に伏せている姿をエマン王に思い起こさせた。
「わしは、天に召された。いわば死者、いや亡霊と言える」
「亡霊……。何か未練でもありましたかな……?」
エマン王は、テーブルを迂回するように歩く。ゆったりと、逃げる素振りを気取られないように。
「わしをこの世に呼んだのは、おぬしだぞ、我が息子」
「私が……? 何故――」
「何か強い悩み事を抱えておるな」
「悩み!」
思わず声が裏返った。心の底を見透かすようなピレニオ先王の眼光。昔から、この視線を向けられると、足が止まる。後ろめたいこと、嘘を、父王は見逃さなかったのだ。
「席に戻れ、息子よ」
ピレニオ先王は低い声で命じた。それだけで、エマン王の足は自然と椅子へと向く。幼い頃より習慣付けられた行為は、逃げるべきでは、という考えに反して動いてしまう。
「おぬしの悩みが、わしの眠りを妨げておる」
ピレニオ先王は、席に着いたエマン王をじっと見据えた。
「我が息子の悩み、しかと聞かせてもらおう。……とはいえ、だ。わしは十年以上、現世を離れ、いささか記憶に欠損や
「……晩年の父上は、物事をよくお忘れになられておられた」
エマン王は躊躇いがちながら同意した。遠まわしにボケていた、と言っているのだから。
「して、何を悩んでおるのだ、息子よ」
「悩みなど――」
「エマン」
鋭い口調。息子をたしなめる父親の声だった。
「わしがここにいる時点で、悩みがないなどという嘘は成立しない」
「そうでしたな……ええ。そうです」
エマン王は、ため息をついた。右腕を机につき、その手を額に当てる。ピレニオ先王はゆったりとした調子になった。
「わしは亡霊なのだ。夢の中だと思って、何でも打ち明けてみるがよい。どうせ、わしはおぬしにしか見えぬ」
「そうおっしゃるのでしたら……」
エマン王は小さく頷いたが、しばし言葉を躊躇った。果たして、口に出していいのか、たっぷりと迷って、やがて重い口を開いた。
「後継者のことです」
「あぁ……アーリィーのことか」
ピレニオ先王は深々と椅子にもたれた。
「そうです。……いちおう確認しておきますが、アーリィーの性別について覚えておいでで?」
「ははは、死の直前のわしは、相当記憶が混濁しておったようだな。無論だ、我が息子よ。アーリィーは女だ」
「その通りです。王子として育てていますが、このままでは我らヴェリラルド王家の後継者が生まれません。故に早くアーリィーを排除して、新たな後継者を用意しなくては」
「排除か……」
ピレニオ先王は、わずかに顔をしかめた。
「女とはいえ、実の娘に当たる。おぬしは何も感じぬのか?」
「孫が可愛いのはわかります、父上」
エマン王は、少し苛立ったようだった。
「ですが、父上もおっしゃられていたではありませんか、男子が欲しいと」
「そうだ。ヴェリラルド王家は、代々男子が継いできた。わしの父上も、そのまた父上もだ」
「つまりは伝統です。それは揺るがし難いことだ。……仮に女子でも王に、と変えることを考えたとしても、今はタイミングがよろしくない。アーリィーが女である以上、娘のために、決まりを変えようというのは」
「諸侯らは納得せんだろうな。……ふむ」
先王は、その長い白髭に手を当てた。考え込む時の、ピレニオ王の癖である。
「色々、手は尽くしたのです、父上」
エマン王は言った。
「アーリィーを殺す以外の方法で後継からはずすことも。……ですが、どの方法を取ろうとも、我がヴェリラルド王家の信用を大いに損なう。特に、継承権2位のジャルジーを王位につけた際に、アーリィーをはずしたことで周囲の疑いがかかり、そこから性別の秘密が露見する可能性が高い。その危険性を取り除くためにも――」
「アーリィーを排除する、か」
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