第3話 誇り高き爪の輝き
事件は、いつもより寒い冬の朝に起きた。
下僕が「在宅勤務」という名の儀式を終え、例によって吾輩に近寄ってきた時のことである。その目つきからして、ただ事ではないと直感した吾輩であったが、逃げ出すのは王の威厳に関わる。断固として座り続けることにした。
「ミケちゃん、今日は特別にぷにぷにさせてね♪」
下僕の声には、普段以上の熱が籠もっていた。どうやら今日は、かの忌まわしき「肉球マッサージ」が尋常ではないようだ。
案の定、下僕の手は吾輩の前足に伸びてきた。そして、いつにも増して執拗に、神聖なる肉球を揉みしだき始めたのである。
「やれやれ」
普段なら適当に受け流すところだが、今日の下僕は止まる気配がない。左の肉球、右の肉球、さらには後ろ足まで。まるで職人のように集中して、吾輩の肉球という芸術品を弄び続ける。
「よしよし、ぷにぷに~」 「ほら、ここもぷにぷに~」
十分、二十分、三十分。
この時、吾輩の体内に流れる王家の血が、警鐘を鳴らした。これは防衛のための正当な行為だ、と。
「みゃおっ!」
警告の声と共に、吾輩の爪先は下僕の手に軽く突き刺さった。
「いてっ!」
下僕は一瞬手を引っ込めた。これで学習するだろうと思いきや、である。
「あははは、ミケちゃん怒っちゃった? でも可愛い~」
何故だ。何故怒らないのだ。吾輩は首を傾げる。これほどの無礼を働いたというのに、下僕は相変わらずの笑顔である。
困惑する吾輩をよそに、下僕は立ち上がってキッチンへ向かった。そして、件の「事件」の代償として、吾輩の夕餉に特別なおやつを加えてきたのである。
「ごめんね~。これで許して?」
差し出された猫缶は、確かに普段より高級そうな香りを放っている。が、しかし、である。
吾輩は威厳ある背中を向け、キャットタワーの最上階へと優雅に歩み去った。王は、そう簡単には許しを与えない。
「あらら、拗ねちゃった?」
下僕の声が追いかけてくる。だが吾輩は決して振り向かない。これぞ王の威厳というものだ。
……少なくとも、当分の間は。
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