第10話【第9鬼・人生のデフレスパイラル】

鳴海はボクシングのデビュー戦には負けたが、応援してくれる社長がいた。自宅に鳴海を招待して、食事をご馳走してくれるという。

試合に負けても見捨てないでいてくれるのだから有り難いことだ。鳴海は御言葉に甘えて、昨日から何も口の中に入れていない。

社長の住所を聞いている鳴海は、今近くまで来ているはずだった。しかし方向音痴の彼は、同じ所をいたずらにぐるぐる回っているだけに思えた。高級住宅街は絵に描いたような豪邸が建ち並んでいるが、目印になるような物がないのもその理由だ。

それに、あまり人が歩いてない。

人の気配はないが、誰かが鳴海を見ているような気がした。道に迷っている彼を笑っているような。しかし、それは被害妄想というものだろう。


「あっ、あったぞ」

表札に社長の姓名が毛筆で書かれてあった。その家は、高い塀で囲まれていた。

何とか約束の時間には間に合った。と同時に、これから腹が満たされることを思ったら嬉しくなったし、一段と空腹度が増してしまった。

鉄格子のような門の横にはインターホンがあって、お手伝いさんらしき人が応答してくれた。

この人が料理を作ってくれるのかな? と、勝手に想像した。

自動の門が開くと、鳴海は中に入った。

平屋の建物は古い屋敷のような佇まいで、外壁を植物が覆っていた。

屋敷の周りには、無数の高い木が茂っていた。

まだ夕方前なのに木の葉が空一面に広がっているから、家の周囲が薄暗いのが不気味だった。

「だけどいつか俺も、こんな家に住みたいな。いや、もっとでかい家に住んでやる。今のまんまじゃ駄目だけど。でも、これから俺はどうなるんだろう。何とかなるさ、そんな弱気でどうする」

自分の中で葛藤しながら、玄関の中に入った。すると、奥から声がした。

「中に入っておいで」

内装は意外にも和式だった。

廊下を歩いて畳の部屋に入っていくと、襖を開けて次の部屋に入った。

だが人の気配がない。四方が襖で覆われていた。

「すいません、お邪魔します」と、少し大きな声で挨拶した。

「ここだよ、ここー」

右隣から声がしたので襖を開けると、そこにも誰もいなかった。その部屋も四方が襖だった。

そして、手当たり次第に襖を開けて捜した。昔の建築だからか、狭い部屋ばかりだ。

「おーい」

「ねー」

「ここー」

「何してるの?」

そのうち相手の声が、四方から聞こえだした。

鳴海は、自分の居場所を知らせようと大声で叫んだ。すると、まるで森林の中のように木霊した。

次々と襖を開けるごとに、深い漆黒の闇へと入り込んでいくような気がした。

まるで迷路だ。

それにどの部屋も電気がないから、時間と共にさらに暗さを増していく。鳴海は、ただいたずらに襖を開けていった。もう必死だった。

そのうち、何かに気づかされた。

襖を開けること、それは齢を重ねることと同じような気がしたのだ。

ボクサーとしては明日が見えない状態で、仕事といってもボクシングをするためだけの、しかも短い拘束時間を望むゆえにアルバイトで、実家のある田舎では、俺の帰りをたった一人の母親が待っている。

しかし、いったいどうしたらこの現状を打破できるのか。鳴海の人生は年齢とともに闇のスパイラルへと転げ落ちていくのだろうか。

人は時として行く先々で迷ったり、思いもよらない行動に出たりする。

魔が差した。

なんて言葉もあるし。

焦れば焦るほど、もがき喘ぐほど泥沼にはまっていく……。

方向音痴の鳴海は、自分の歩むべき人生の道さえも迷っていた。

完。

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最恐伝説 夏希ヒョウ @hyou0777

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