第9話【第8鬼・霊力】

鳴海のジムの先輩が、遂に世界に挑む。プロボクシングWBC世界S・ライト級タイトルマッチだ。ウエルター級の鳴海は体格もほぼ同じだから、スパーリングで胸を借りたこともある。

先輩はもちろん手加減してくれたが、もう強いのなんのって。鳴海のパンチはことごとくブロックされるし、1R持ちこたえるのが精一杯だった。だから、打ち合うなんてとんでもない。蛇に睨まれたカエルと同じ。ただただ圧倒されるだけ。パンチ力だって先輩のジャブが、鳴海のストレートと同じ位に感じられた。

今、世界のS・ライト級はスター選手が勢ぞろいだから挑戦するだけでも大変なことだし、もし勝とうものならラスベガスでビッグマッチも夢ではない。

それこそ人生が一変する。

だから先輩もそれ相当の決意だったし、その熱意は鳴海にも、ひしひしと伝わってきた。

試合が近づくごとに、テレビ関係者や専門誌の記者たちがジムに押し寄せてくる。鳴海も、世界戦の緊張感を肌で感じていた。

こんな周りの期待や雰囲気の中で、自分の実力を出さなければならない。なにより結果を出さなければ、すべてが水の泡。世界王者か、ただの人か……という分岐点。

すると、先輩も気負いというより一層の気合いが入っているようだった。仕上がりも順調で、他のジムから日本ランキング上位の選手を呼び寄せてスパーリングをしても圧倒して倒してしまうほどだ。やはり、世界戦を間近にする選手は違う。

元々、明るくて気さくな先輩だからジムメイトたちも懸命に応援していた。


その先輩がKOされた。しかも2Rで。

王者は初回、薄ら笑いを浮かべ防御していたかと思ったら次のラウンド、攻撃に転じるなりあっという間に倒してしまった。まずは相手の出方と攻撃パターンを見切って、パンチの軌道を確認し、勝利を確信してから倒しにかかって、そして倒しきった。

技術云々、以前の問題だ。

試合直後は声を掛けるのも気が引けたが、この前ジムで会った時に先輩はおもむろに語りだした。

先輩  「奴の強さは神がかり的だった。実は、俺のパンチが一発だけアゴに当って一瞬腰が落ちたけど、そのとき背後に霊を見たんだ。奴が倒れなかったのはそのお蔭さ。今から考えれば、チャンピオンに成るべくして成る奴は、実力+αが必要だと思う。それには色んな要因があるけど、霊の力もあるかもしれねぇ。ただ、俺には味方してくんなかったけどな」

リングには霊が潜んでいるのかもしれないとうことか。

今までどれだけのボクサーが世界チャンピオンを夢見て散っていったか。悔いを残したボクサーの魂や怨念が、霊を呼び起こすのだろうか。だとしたら鳴海たちボクサーは、その霊を背負って戦い、それによって人生を左右される運命にあるのかもしれない。

完。

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