第7話【第6鬼・生きたサンドバッグ】

鳴海は仕事が終わると、ボクシングジムへ向かった。仕事中はコックだが、ジムに入ったらプロボクサーだ。

もちろん目標は世界チャンピオン。

プロに成り立てで、夢を叶えるために鳴海は燃えていた。だから誰よりも練習するし、朝のロードワーク(ランニング)も欠かさない。

サンドバッグも10Rは叩く。

ジムメイト達の練習が終わってからのほうが、バッグを叩くのにはいい。一人でひたすら叩けるからだ。先輩が同じバッグを叩き始めたら気を使うし、後輩だと邪魔な感じがする。つまり、どちらも自分の練習が出来ない。今は一人だから、心置きなく叩けた。

最近パンチ力がついてきたから、音も派手になってきた。

「サンドバッグに、浮かんでぇ消える~♪、憎いあん畜生の顔を目掛けぇ……」

なんて歌もあったよな。

鳴海は、黒い大きな革の塊を睨みつけながら必死で叩いた。

1R、2R、そして3R目に突入した。

何か異変を感じた彼は、突然叩くのを止めた。

「ん?」

しかしジムの中は静かなことを確認すると、再び叩き始めた。

だが、自分の声でもパンチの音でもない、誰かの呻き声がしたことに気づいた。

それは確かに黒い塊から聞こえてきた。

でも、それは空耳というもんだろう。

サンドバッグが悲鳴を上げるぐらい、俺のパンチは強いってことさ。そう鳴海は自分に言い聞かせて、ひたすら叩いた。

すると、今度はサンドバッグが腫れてきた。叩いているところにコブが出来た……と思ったら、そこから赤い汁が出てきた。どうやら血のようだ。

鳴海は呆然と立ち尽くすと、目の前に立っているのはボクサーの亡霊のように見えた。

今度は、それがパンチを出してきた。

連打をもろにアゴに浴びた鳴海は、思わず床に尻餅をついた。

何が起こったのか? 

意識が飛んだ鳴海だが、上から眩しい光が当っているのが分かった。

リングの照明だ。

歓声が聞こえてきた。ゴングの音も聞こえた。試合が終わっていた。しばらく経って、鳴海は試合に負けたことを知らされた。

3R・逆転KO負け。

これは夢なのかと疑ったが、紛れもない現実だった。

鳴海はこの時だけは、魔界とこの世の区別が分からなくなっていた。

【完】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る