第3話《第2鬼・一滴の水》

ボクシングジムから帰ってきた鳴海は、疲れ果てて帰宅した。

玄関のドアを開けて部屋に入るなり、靴を履いたままフローリングの上に座り込んだ。スポーツバッグとともに。

鳴海が住んでいる部屋は、神奈川県の海岸線にあるワンルーム(八畳)のマンションだった。六階建ての四階に住んでいる。

そしてバッグを玄関の傍らに置いた鳴海は立ち上がると、二人掛けソファに倒れるように横になった。

バッグのチャックから、ボクシング・グローブがはみ出ている。

鳴海  「今日の練習も、疲れたぁ」

鳴海はソファに横になって寝ていると、額に一滴の水が落ちた。

雫は一滴、二滴と天井から落ちて、彼は目覚めた。

鳴海  「ん、水が洩れてる?」

「生温かい感じだけど、脳を直撃するような変な感覚だ。

上の部屋は何をしてるんだろう?」


鳴海は上の部屋へ行ってみると、ドアは鍵がかかっていなかった。空き家だった。

彼は部屋の電気をつけた。

鳴海  「あれ、誰も住んでいない」

    「俺の部屋に漏れるような水の形跡もないし」


部屋に戻って天井を見上げると、水は落ちてこなかった。

鳴海  「もう、落ちて来ないな」

パジャマに着替えた彼は、今度はベッドに寝場所を変えた。

鳴海  「練習で疲れてるんだ。もう今日は寝よう」

Zzz。

彼は寝付いた頃、またしても額に水が一滴落ちてきた。

鳴海  「まただ」

彼は目を覚ますと、電気をつけた。そして額を指で拭いて、それを見た。

鳴海  「水が赤色に変わっている」

頭をどこにずらして寝ても、額を雫が濡らした。

    「ここも」

    「ここもだ」

鳴海  「寝場所を変えても、どうしてピンポイントで俺の額に落ちてくるんだ?」

寝た状態の鳴海は、恐怖を感じると顔が強張った。今度は体が凍りついたように動かなくなった。

鳴海  「今度は金縛りだ。体が動かねぇ」

必死にもがいても、全身に針金が巻かれたように動かなかった。次に、髪の毛が逆立った。

悲鳴を上げた彼は、そのまま気絶するように寝てしまった。

※人間は身動きがとれない状態で額に雫を落とされ続けると、発狂するといいます。


時間の経過。


窓のカーテンの隙間から、朝日が洩れていた。

静かに寝ていた彼は目が覚めた。

鳴海  「もう朝だ。あれっ、体が自由に動くよ」

上半身だけ跳ね起きた彼は、いつの間にか金縛りから解かれていた。


鳴海が勤める洋食レストラン『ビストロ・ポワソン』。

職場のレストランの調理場で、コック姿の鳴海はフライパンで調理をしていた。

周りのコックたちは、鳴海を囲んでバカにしたように笑っていた。

A   「夢だよ、それ」

B   「だいたい金縛りって、心霊現象じゃなくって医学的に解明されてるし」

C   「脳は夢から覚めても、体が寝ていただけの話さ」

D   「お前、仕事とボクシングで疲れてんだよ」

しかし、鳴海には確信があった。

鳴海  (紛れもない事実だったけど、夢だと思い込むようにしよう。

引っ越すとなると金がかかるし、背に腹は換えられない)


自宅近くのスナック《姫》のカウンターで飲む鳴海は、カウンター越しにホステスの「マリン」(三十歳)と談笑していた。

鳴海  「東京の池袋から、神奈川に越してきたばかりなんだ。

今の部屋、1LDKで五万なんだ。東京に比べると安過ぎる」

マリン 「この辺りは、三年前の水害で十数人の死者が出たから特に安いよ」

鳴海  「でも、俺の部屋は四階だから、安心できるよね」

マリン 「ボクサーだからノンアルコール・ビールなんだね」

鳴海はグラスのビールを飲んだ。

マリン 「ボクサーの部屋って、どんな感じなんだろう。男っぽいよね?」

鳴海  「ちょっと寄る?」

マリンは笑顔で頷いた。


彼は、彼女と自宅マンションに向かいながら、第1話のミイや、天井から漏れる雫のことを思い出していた。

字幕  あの忌まわしい出来事が俺の脳裏から離れることはないけれど、もしマリンと同棲できれば怖い思いもしなくて済む。


二人は鳴海の部屋に入った。

マリン 「へぇ、やっぱ男性の部屋って感じ」

部屋の壁には有名ボクサーたちのポスターが貼ってあった。

いきなり鳴海はキスをしようとした。しかしマリンは拒む。

マリン 「私、そんな軽い女じゃないよ」

鳴海  「あっ、ゴメン。気を悪くした?」

マリンは笑顔で首を振った。

マリン 「また遊びに来てもいい?」

鳴海  「もちろん」

そして彼女は部屋を出た。


上着を脱いだ鳴海は、バスルームへ。

鳴海は一人で浴室へ入った。


しかし、彼女は帰っていなかった。ドアの入口の前に立っていた。

鳴海は気持ち良さそうに、湯船に浸かっていた。

鳴海  「マリンちゃん、可愛いな」

マリン 「私を呼んだ?」と、独り言。


鳴海  「ん?」

彼は「ポツン、ポツン」という音に気づいた。

赤い血が一滴、一滴、浴槽の中に落ちていた。それは天井からだった。一滴落ちるごとに水の中で広がる雫が不気味だった。

鳴海  「赤い雫。この前と同じだ。これは血なのか?」

嫌な予感がした鳴海は、風呂から上がろうとした。

鳴海  「もう、上がろう」

そのとき、風呂場の入口にマリンが立っていた。

鳴海は中腰になった途端に(肘から下の)両手が、彼の肩を掴んだ。

鳴海  「うわぁっ」

もがくごとに、しだいに手の数が増えていった。そしてそれらは、首や両手、胴を押さえた。

そして入口のマリンに気づく。その白い顔は《死神》だった。

鳴海  「マリンちゃん」

いつの間にか、風呂の水が血の海になっていった。

鳴海  「助けてくれ!」

鳴海は必死になってもがくが、身体に絡みついた無数の手が放れなかった。

溺れている彼にマリンが近づいた。

マリン 「ははは、どうしたの?」

やがて、鳴海は沼底に落ちていくように風呂の中に引きずり込まれていった。

鳴海  (まるで底なし沼だ。もがくほどに溺れてしまう)

彼女は鳴海に顔を近づけて、薄ら笑いを浮かべて言った。

マリン 「私は、水害で死んだの」

鳴海はマリンの首を両手で鷲掴んで、必死になって引き込もうとした。すると彼女は目をギョロっと開けて抵抗した。彼女の白目は赤く血走っていた。

マリン 「何をするんだよ!」

しかし力で勝る鳴海は水に沈めると、遂に彼女の首をを絞めて溺死させた。

死んだ彼女の眼は白眼を剥いていた。

やがて波は止んでただの風呂に戻った。女は影になって、それ自体も消えていった。

鳴海は胸までしかない水量の風呂の中で、荒い息をしながら助かったことに安堵し、やがて号泣した。

【第2話・完】

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