第2話《第1鬼・化け猫》

鳴海は、五階建てワンルームマンションの四階自室のベッド上で目を覚ました。

ベッドの脇にある目覚まし時計は、午前十一時二十五分だった。

部屋の壁に吊るしてあるボクシング・グローブ。その横には、リング上でレフェリーに右手を挙げられる鳴海の雄姿の写真があった。

鳴海が、うたた寝していたところ、ピンポ~ンと、玄関のチャイムが鳴った。

鳴海  「誰だ? ダル~ぃ」

    「せっかくの休みなのに」

低血圧の彼は、気だるい体とボーッとしたままの頭でドアまで歩いて、インターホンで呼び掛けた。

鳴海  「はい、鳴海ですけど」

しかし、ドアの窓から外を覗いても誰もいない。

鳴海  「ん、帰ったのか?」

ドアを開けると、小さい木箱が置いてあった。

箱の中から、猫の鳴き声が聞こえてきた。ゴソゴソと箱が動いた。

鳴海  「捨て猫か、誰が置いていったんだ? 迷惑だな」

と、箱を開けた。

鳴海  「う〝えっ❢」

思わず顔を背けた彼は手を放したために、箱は下に落ちた。

鳴いていたはずの猫は死んでいた。口から血を吐いて両目が飛び出ていた。猫の首には鈴が。

その悪臭に、鳴海は鼻をつまんだ。

鳴海  (鼻が曲がりそうだ)


急いでエレベーターで一階まで降りて、マンションのゴミ捨て場の手前に置いた。

鳴海  「はぁ~っ、助かったぁ」

後ろ向きになると、安堵感を覚えつつゴミ捨て場を後にした。


自室のドアの前に若い女が立っていた。彼女はとても可愛いらしい顔をしていた。目が大きくて口が小さく、ショートヘアがよく似合っている。首に鈴を付けていた。

ウルウルした目で、鳴海を見上げていた。

鳴海  「どうしたの?」

と訊ねると、彼女は少し恥ずかしそうな顔をした。

彼女  「私、ミイといいます。前からあなたのファンです。いつも

気づかれないように、離れたところから見ていました」

鳴海  「あの、もし良かったら、部屋に入りませんか? ここじゃ暑いし」

ミイ  「はい」

と、彼女は微笑んだ。

鳴海  (こんな可愛いコが俺のファンとは。ラッキーだぜ)

ミイ  「でも、今日はお話だけですよ」

彼女はレイプされたら殺すつもりだった。

彼は笑顔で応えた。部屋の鍵を開けた鳴海は、後ろのミイに笑顔で部屋の中へ促した。

鳴海  「どうぞ」

ミイ  「ありがとう御座います」

鳴海  「さぁ、どうぞ」

ミイは、二人掛けソファの片側に座ってテレビを見ていた。

鳴海は、冷蔵庫から出したミネラルウォーターとオレンジジュース、冷蔵庫の上にあったポテトチップをテーブル上置いた。

それぞれのコップに飲み物を注いで、二人は缶を合わせて乾杯した。

二人  「乾杯ぁ~い」

鳴海  「ミイちゃんは、どうして俺のこと知ってるの?」

ミイ  「たまたま、鳴海さんの試合を会場で見たんです。格好よかったから、それからファンになったの」

談笑する二人。(時間の経過)


ミイはベッド上で寝ていた。鳴海は、それを眺める。

鳴海  「ボクサーになってよかったな。このまま付き合ってくれれば良いんだけど」

と、彼女の顔を見たら不気味な猫顔に一変して、長い爪と牙が生えていた。

驚いた鳴海は目をこすって、もう一度、寝顔を確かめた。彼女は元の可愛い顔に戻っていた。

鳴海  「ふーっ、ビックリした」

と、目を閉じて安心したのも束の間、女の呟きが聞こえた。

ミイ  「一生離れないわよ」

鳴海  「えっ?」

しかし、彼女は可愛い顔で寝たままである。

鳴海  「今度は空耳か」


鳴海はベッドの下で、いびきを掻いて寝ていた。

寝ていたミイは猫に変わっていた。姿形も猫の大きさだった。

すると猫が大きな声で鳴き始めて、その瞳が異様な光を放った。呪われたような猫は、口から鋭い牙を出してギャアアアーと泣き叫んだ。


びっくりして起きた鳴海は猫に睨まれると、怯えるように壁まで後ずさりした。

鳴海  「ちょっと待ってくれ、ミイちゃん。どうしたの?」

そして猫は、鳴海に襲い掛かってきた。

鳴海  「助けてくれ!」


そこで目が覚めた鳴海は、脂汗を流しながら夢だったことに気づいた。彼女は可愛い顔をして寝ていた。

鳴海  「俺は疲れてんだ。無理もねぇよ。練習と仕事の繰り返しの日々だもんな。どちらも気を抜けないし」

安心した鳴海は再び寝ると、女の影が猫のそれになっていた。長い尻尾が揺れている。


目が覚めた鳴海に、彼女は笑顔でいった。

ミイ  「私、鳴海さんのために料理を作ります」

鳴海  「ありがとう」

ミイはバッグからエプロンを取り出すと、裸のエプロン姿で冷蔵庫の中を覗いた。

鳴海は彼女に背を向けながら、ソファに寝そべってお笑い番組を見て笑い転げていた。

ミイは、まな板の魚を目の前にして、エプロンのポケットから出刃包丁を取り出した。

ミイ  「何で私を見てくれないの?」

聞こえない鳴海は、そのまま笑いながらテレビを見続けた。

ミイ  「どうして無視するの?」

ガシャ! という大きな音がしたので、鳴海は後ろを振り返った。

鳴海  「ん?」

すると彼女は出刃包丁で、まな板上の魚を上から勢いよく突き刺していた。

返り血を浴びた彼女は、血だらけの包丁を両手で握り締めたまま、刃先を鳴海に向けて睨みつけた。

ミイ  「何で私を見てくれないの?」

鳴海は顔を引きつらせて、ただ愛想笑いを浮かべるしかなかった。

鳴海  「いや、ご、ご、ご免なさい」

そして彼女は、少しずつ迫ってきた。一歩、一歩。

鳴海はソファから転げ落ちると、尻をついたまま絶句して後ずさった。

ジワリ、ジワリと追い詰められる鳴海。

彼女は、壁を背にした鳴海に対して包丁を振りかざした。

鳴海は、恐怖におののき悲鳴を上げた。

鳴海  「助けてくれーっ!」

ミイは、自らの腹を何度も突き刺した。彼女は鳴海を睨んだまま倒れて口から血を出し、そのまま息絶えた。

絶句する鳴海は、心臓の鼓動が激しく鳴った。まるで自分が殺したかのような錯覚に陥る。

鳴海  「俺は殺人罪に問われてしまうのか? 

彼女が自殺したなんて、警察が信じるわけがない」


死んだ彼女の死体は、なぜか猫の死骸になっていた。しかも、その両目は飛び出ていて、あの箱の中の猫と同じ姿だった。

鳴海  「あの猫と同じだ」

鳴海は夢中でゴミ袋に死骸を入れて、マンションのゴミ捨て場へ駆け込んだ。そのまま大型のポリボックスの中に捨てると、安心感から大息を洩らした。

鳴海  「確か、この箱だったよな」

当初の箱を探したが、やはり捨てたはずの猫は箱の中にいなかった。

鳴海  「空っぽだ。死んだ猫の悪霊が化身となって、俺の前に姿を現したというのか」

しかしその空箱から猫の鳴き声が聞こえてくると、彼はおののいた。

ちょうど、そこにゴミ収集車が来ると、その清掃員が処分した。

そして、急いでその場を離れた。

エレベーターの中に入って扉が閉まると、鳴海は座り込んだ。

鳴海  「はぁ~。これであの悪霊とは断ち切れたぞ」

安堵からやっと笑顔が戻って、部屋に入った。


ドアを閉めて安心したのもつかの間、彼の耳には、また猫の鳴き声が聞こえてきた。驚いて後ろを振り返るが、猫はいない。

鳴海はベッドの上でうずくまると枕で後頭部を覆い、両耳を塞いだ。

その泣き声が耳から離れることはなかった。

鳴海  「助けてくれぇ~」

【完】

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