二日目(1)

午前六時には目覚まし時計が鳴るようになっている。なぜなら、僕は高校に入学してすぐに目覚ましが鳴るまで起きられない体質になったからだ。それから今まで目覚ましなしでは起きることが出来ないのだ。これは一種の精神病で、高校の時の主治医によると原因もわからないし、目覚ましさえ起きられるのだから日常生活において備えがあれば何の問題も無いという話だった。しかし、この体質は奇妙なものでチャイムや鐘の音でも起きてしまうのだが、それも鳴り始めてからきっかり三秒で起きてしまうのだ。そしてどれだけ短い時間しか寝ていないとしても、たとえ徹夜明けにたった三分しか寝れなかったとしても、これはあくまで僕の主観的な表現にはなるが、僕の耳にアラームの音が聞こえたと思った瞬間には僕の意識は完全に覚醒していて、寝る前にあった疲労感や倦怠感といったものは一切消え失せていて、まるで夏休みの始まる日の前の晩の七時から朝の八時まで寝た時のように体は充足感と開放感に満ち溢れている。

 しかし、この体質はいいことばかりではない。前述したように目覚ましが無ければ鐘やらチャイムやらが無ければ僕は絶対に起きることが無い。つまり、目覚まし時計がない空間で寝た場合、外で鐘が鳴りでもしない限りは文字通り死ぬまで眠り続けるのだ。実際に両親が実家に帰っていて家に一人しかいなかったときに目覚ましをかけ忘れて丸三日間眠り続けたことがある。父親が帰ってきた時に押した呼び鈴でこの時は起きられたが、大学に入って一人暮らしを始めてからというものの目覚ましをかけ忘れることが死に直結するため念のため毎晩確認してから寝ている。

 だが、昨夜はどうやって寝たのだったか、記憶が無い。ふと辺りを見回すと未だ見慣れない下宿の寝室ではなく、これまた見慣れない部屋ではあるが、少なくとも僕の部屋ではないし、枕元に置かれた目覚まし時計は僕の愛用するものではなく、かわいいデザインになってしまっている。(無論僕の趣味ではなくこれまた全く見覚えが無い)この目覚ましはでたらめな時間で止まっており、鳴った形跡はない。さらにおかしなことには女物の下着がブラジャーとパンツとでワンセット、床に落ちている。脱いでそのままほっておいたような、そういう感じだ。わずかに空いたドアの向こうからは他人の気配がし、何かをフライパンで焼いている音がしている。不思議なことが多すぎるが、扉の向こうのリビングにいるのがご機嫌な空き巣や強盗では困るので、とりあえずリビングに顔を出すことにした。

 扉を開けるとリビングにはコーヒーの匂いが充満しており、初めて見るショートの女の子が手際よくスクランブルエッグを作っている。

「おはよう、よく眠れた?」

ショートの子は僕に気が付くとにっこり微笑んでそう言い、こっちに来てよ、と付け足した。僕は彼女に近づいたものの、どう言えばいいのか分からなかったので、おかげさまで、と適当に返した。すると女の子は驚いたような顔をした。

「こういうのに慣れてるの、意外かも」

 コーヒー飲む?と言われてポットとマグカップを手渡される。彼女の顔がグンと近づいてくる。改めて言っておくが、僕は彼女の名前が分からないし、顔にも覚えがない。白々しく昨日のことを聞いてみようか、知りもしない女の子に嫌われて絶望するほど僕はやわじゃない。なぜならこれまでに、比喩や物の例えでなく死にかけているのだから。マグカップに半分だけ入れたコーヒーを一口だけ飲む。

「実は昨日の事、全然覚えてないんだ。なにか迷惑かけちゃったかな」

彼女は少し驚いたように目を少し見開き、スクランブルエッグの入ったフライパンの火を消し、器に移し始めた。

「ホントに?私のことからかってる?」

冷蔵庫からケチャップ出してよ、と言われマグカップを置いて冷蔵庫を探そうとするが、その必要はなかった。僕の真後ろには僕と同い年の女の子が一人で使うにはいささか大きいサイズの冷蔵庫があったからだ。少しでも周りを見ればいやでも視界に入ってくる。

「本当なんだ、君のことも本当にわからない」

冷蔵庫を開けると、中は寂しく、よく整理されているというよりは冷蔵庫のサイズが彼女には大きすぎるように感じた。

「私は小林鏡花、あなたと同じ外国語Ⅰの授業を取ってるの。昨日のガイダンスの後、君にご飯に誘われたのよ。ここは私の家」

ケチャップを冷蔵庫の中から出し、マグカップと一緒にテーブルまで持っていく。部屋の中はよく掃除されていて、家具は必要最低限のものに留められており、洗練されている印象を受ける。彼女は、小林は裕福な家庭で育ったのだろうか。

「ねぇ、本当に覚えてないの?だとしたらヤなやつよ、君」

「初対面の男を家に上げる君も中々だよ」

 小林は窓際の席に座って、既にテーブルの上に並べられていた皿を一通り眺め、それが終わるとトーストにバターを塗り始めた。

「そういう女の子は嫌い?」

彼女の向かいの席に座り、コーヒーを一口飲むと、首を横に振った。

「でも、君のことはタイプじゃない」

「どうして?昨日は私のことを誘ったじゃない」

僕はコーヒーをもう一口飲んだ。そしてスクランブルエッグにケチャップをかける。

「僕にはどうしても君がダメみたいだ」

「どうしてよ、散々昨日は私を弄んだくせに」

僕はトーストを齧って言う。

「君が僕に嘘をつくからだ」

彼女が唾をのんだのが分かる。

「君は僕に嘘をついた。僕の覚えている限りの記憶では、僕はまだ下宿先で荷解きが終わってない。そして僕はそういうことをほっぽいて女の子と遊べるほど能天気な人間じゃない。自分でこれを口にするのはかなり勇気がいるけどね」

「面白い冗談ね、あなたの言う通りだとして私の目的は何?どうして私に自分の家にわざわざ嘘をついてまで初対面の男を上げなきゃいけない理由があるの?」

彼女は軽くヒステリーを起こしているように見えるが、僕にはあまり関係のないことだ。

「たとえば、こういうのはどうだろう。君が僕を殺すつもりで気を失った僕をここまで運んできた、というのは」

 僕はこの時に言葉をもう少し慎重に選ぶべきだった、のだがこれを後悔することになるのはまた少し後の話だ。

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仮題 駅構内の狂っぽー @ayata0224

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