第5話

 中学二年生が始まった。張り出してあるクラス分けのプリントから自分の名前を探し出す。一年間を共にする仲間の采配に一喜一憂する生徒達を横目に、俺は真っ直ぐに教室へ向かった。まだまばらにしか人が居ない新しい教室に入る。


「えっと、俺の席は……」


「ここだよ、彗君。」


 また、隣の席は日高だった。


 こうして俺は、中学二年生になっても日高愛ただ一人のせいで『学年二位/クラス二位』を取り続けることになる。クラス決めをする教師は絶対に俺に一位を取らせたく無いようだった。

 また一年生の時と同じように、勉強漬けの毎日が始まる。俺はテストで日高に負ける度に劣等感と悔しさで顔を歪ませていたが、「日高に勝つ……日高に勝つ……」と言っている時の表情は、少し柔らかくなっているように思えた。


 テストを受ける度、日高は安定して満点に近い数字を出し続けた。文化祭の実行委員になったときも、テスト前日に熱で休んだときも、彼氏が出来たときも別れたときも、日高は常に一位だった。

 第三者目線で見ると、俺と日高の差がよくわかる。しかし、当時の身の程を知らない俺は、本気で彼女に勝とうと努力していた。

 そうして時は経ち二年生最後の期末テストを迎え、また俺は二位だった。当然一位は日高。


「結局二年生でも負けなかったね。こんなんじゃ彗君、一回も勝てずに中学校生活終わっちゃうよ?」


「うるさいな。来年見とけよ? 絶対勝ち逃げしてやるからな」


「ふふっ、楽しみにしとく」


 春休みを終えて中学三年生が始まり、新しい教室に入ると、また日高が居た。


「彗君、ここだよ」


 俺は、口ではクラス分けに若干の不満を示していたが、どこか嬉しそうだった。


「そういえばさ、彗君は高校どこ受けるの?」


「まだ決めてない」


今まで日高に勝つことしか考えて来なかった俺に、進路のことなんて全くわからなかった。


「そう。私はもう決めたんだよね」


「どこの高校?」


「中学受験で落ちた中高一貫校の、編入枠を狙おうと思ってる。今まで悔しい思いした分、取り返すために」


 日高が受けた中高一貫校は、俺が小学生の時受けた学校より遥かにレベルが高い。そこの編入試験となると、難易度は計り知れない。全国でもトップクラスの学力が無ければ、勝負にすらならないだろう。


「そうか、じゃあ俺が日高に勝てば、俺は全国トップクラスの学力があるってことが証明されるな」


「何それ。もし私に勝ったとしても、こんな中学校の試験で勝っても全国トップクラスなんて言えるわけないよ」


「その通りだと思う。だから、俺決めたよ」


 俺の目には情熱と、覚悟が宿った。優越感や劣等感で濁っていた瞳は、透き通っていた。


「俺も、日高と同じ編入試験受ける。そこで日高に勝って、『一番』取ってやるからな」


 日高は口を開けて唖然としている。自分と勝負するために受験先を決める異常者に、驚きが隠せないのだろう。


「彗君って、ほんとに負けず嫌いだね。編入試験、年に一人しか受からないって言われてるんだよ?」


「一番がわかりやすくて良いね」


「もし負けて泣いても知らないよ?」


「負けて泣くのは、もう慣れてる。そんなのを怖がるようなメンタルじゃない」


「わかった。じゃあ、今年一年が勝負だ。絶対私が受かるから覚悟しといてね、彗君」


「日高こそ」


 こうして、受験勉強漬けの中学三年生が始まった。俺は日高に勝つためには日高と同じレベルの勉強をする必要があると言って親を説得し、日高の通っている進学塾に入った。日高はその塾の中でも飛び抜けて一番で、それに比べて俺は塾の勉強に着いていくのでやっとのように見える。

 それでも俺は持ち前の執念で少しずつ差を縮め、模試の結果も順調に良くなっていった。しかし日高に勝つ程とはいかず、学校の定期テストでも、模試でも俺は負け続けた。


 日高と戦える最低限の学力が身についたのは、三学期の、受験を2週間後に控えた頃だった。


「彗君、この前の模試の数学、四問完答だったってほんと? 危なかった~」


「五問完答で満点の化け物に言われても嬉しくないよ」


「化け物って。私はあの模試、彗君なら五完もありそうだと思ったんだけど」


「まあ、2週間後の本番じゃ、こうはならないようにするよ。その為にも今は勉強しないと」


「そうだね。じゃあ私も」


 日高と隣の席で、放課後に勉強するのはよくあることだった。別に話したり教えあったりすることは無い。ただ、日高が隣で勉強していると、絶対に負けられないという思いが込み上げてきて、俺の集中力を底上げした。

 いつも通り黙って過去問を解いて、一時間程経った頃、突然日高が鞄から何かを取り出し始めた。ガラガラと音のする長方形の缶。


「ねえ彗君、ドロップいる? 糖分補給って大事らしいよ」


 今まで一度も勉強中に話しかけてきたことが無かったので、俺は驚いていた。


「じゃあ、貰うよ」


「彗君は、何味が好き? ドロップ」


「ああ、俺はハッカ味かな」


「絶対嘘。他人と違う俺がかっこいいって思うの、辞めた方がいいよ」


「じゃあ日高は何味が好きなんだよ」


「それはイチゴ味一択だね」


「それはそれで子供っぽ過ぎない?」


「ふふっ、そうだね」


 日高は新品のドロップ缶の蓋を開け、俺の手の平に向けて傾けた。


「彗君、もしハッカ味が一番最初に出てきたら、嬉しい?」


「そりゃあまあ、好きな味だからな」


「じゃあもし一番目がイチゴ味で、二番目がハッカ味だったら?」


「? じゃあイチゴ味は日高にあげて、ハッカ味は俺が貰うよ」


「うん、そうするよね」


 日高は、とても優しそうな目をしていた。


「私、思うんだ。競争とか、一番とかって、意外とそんなもんなんじゃない?」


 全く理解出来ないといった顔をしている俺の手の上で、日高は缶を振る。出てきたのは、真っ白なドロップだった。


「あっ、良かったね。ハッカ味だよ。おめでとう、一番目」


 日高はそう言って、嬉しそうに笑った。

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