第6話 勿忘草

 何日かして、弘徽殿の大后さまからずっしりと重い文がきた。



 しかも持って来たのは父上だ。

 なにごと──?


 憮然とした父上から受け取り慌てて文を開いて読む。




 ……なにこれ、要は

『息子である朱雀帝に入内しておきながら源氏の君につけいる隙を与えるなんてゆるさないわよ―──!』



 ということが言いたかったらしい。



 呆気にとられている私に父上が言う。




「よいか。そなたも二度と光る君を部屋に入れることのないように……まあ、来たくてももう来れまいな。流罪の身では。」




 ―――今、なんて……?


「る……流罪……?

 まって……、部屋で歌を詠んでいただけなのよ?なんでそうなるのよ!」





「これから家臣の多くは流罪を求めていると進言しに行く。帝も寵愛しているそなたのことだ、さすがに今回は───」




「……会わせて。」




 父上の言葉を途中で遮った。




「帝に会わせて!!」




 持っていた大后さまからの文を父上に投げつけながら部屋から追い出した。






 光る君が流罪だなんて、そんな……



 朧月夜の君はもういないのに


 証はすべて燃やしてあるのに


 光る君を守れないなんて



 帝に直におねがいするしかない。




 私に叩き出された父上が段取りしたのか、たまたまなのか、夜に帝がお見えになることになった。




 夕餉の味もよくわからぬままに済ませ、支度を整えて寝所で帝を待つ。




 衣擦れの音が近づいてきた。


 三つ指をついて迎える。



 帝の顔を見たら開口一番に切り出そうと思っていた。



「帝、お話が……。」



 ―――!?



 帝の顔をみると涙ぐんでひどく憔悴した様子だった。




「どうなされたのですか…?」




 帝のこんな表情を見たのは初めてだった。




「尚侍の君……私は自分が情けない……。政のことに弟を巻き込んでしまった……。」



 光る君のこと――?




「今日……君の父上と家臣たちが、源氏の君の流罪を求める嘆願書を持って………来たんだ。」



 力なく座った帝は私の手をとる。



「そのようなものを受け取る気は私にはないと……破って捨てた。

 もし弟が下心があって通おうとしているとしても君の美しさに惹かれるのは男ならしかたないのないことだと。

 それに君が例え弟に惹かれることがあったとしても私には弟ほどの魅力はないのだからしかたないことだ……と。


 笑って追い返したんだ。それなのに」




 帝の手が震え、また瞳が潤む。



「弟が……源氏の君が……姿を消してしまった……。」




 涙が私の膝に落ちた。




 涙ながらに語る帝の肩に添えた左手が震える。




「光る君が…姿を…?」



「家臣たちを追い返したすぐあとに……文が届いて……。

『都を離れることにいたします。ご心配無用にて』と───。」




 私には何も届かなかった。





「おそらく右大臣らの動きを悟ってのことだろう……。」




 ―――このままでは父上に陥れられるのは明白だった。



 流罪よりは都を離れてほとぼりがさめるまで身を隠すほうが得策だわ。



 納得すると震えも収まってきた。




「私が……っ頼りないばかりに弟に都を去らせてしまった。これでは……ぅっ……亡き院に顔向けできない……。」




 なおも自分を責めて言葉をつまらせる帝の涙をそっと拭う。



「しっかりなされませ!

 このように過ぎたことを嘆いてばかりいてはそれこそ亡き院がお嘆きになられますわ!」



 自然と溢れた言葉に自分でも驚いた。




 震えるほど光る君のことを案じていたのに……



 とっさに叱咤激励の言葉が出たのは、気づいてしまったから




 このひとはきっといつも耐えていたんだわ……




 帝でいることの重圧も、自分に対しての自信のなさも笑顔で隠して、脆さを見せないように


 そして……私にはこの上なく愛情を注いでくれていた。





 帝の瞳から溜まっていた涙がまた落ちる。



 それを指先で掬い取り、握りしめた。





 酷なことかもしれない―――でも






 このひとに嘘はつけない。





「……私……本当は……光る君に心奪われておりました……。


 帝にお会いするずっと前から。」




 心から、狂おしいほどに




 話し終えても帝は私の手を離すことなく握っていてくれていた。



「帝……私は不実な女にございます。


 けれど帝を大切に想う気持ちに嘘はありませぬ。


 帝がお側にいてくださると、心がやすらいで……本当に幸せでございました。


 今宵を最後にどうぞもうお見限りくだされませ。」




 握っていた手に力がこもる。



「何を言うんだ尚侍の君……!

 君のことを責めるつもりはない!


 側にいておくれ……っ、……おねがいだ……!」






「こんな私を側においていただけるのですか……?

 貴方という人を散々裏切っていたのに……。」





「君のいない日など……っ


 ……私にとって君の微笑みだけが朝の訪れなのだから……!」






 ―――私を、私という存在だけをこれほどまでに求めてくれるひとが他にいて……?



 私の手を握りしめたまま瞳を潤ませているこのひとを、たまらなく抱きしめたくなった。




 そっと、頬に口づけする。




「もう、涙は拭いてくださりませ……。

 私がずっと、お側におりますから……。」




「……ぁあ!尚侍の君……!」




 帝は強く私を抱きしめた。



 また涙がこぼれ落ちていて、私の肩が濡れる。



 顔をみると目も鼻も赤くなって、とてもあどけなくみえた。



「そんなに目を赤くされていては、皆驚いてしまいましょう……?

 私が止めて差し上げます……。」



 抱きしめて、今度は唇を優しく重ねる。



 さらに深く唇を重ねようとした私の肩を帝が自分の体から離す。




「尚侍の君……。もし君がつらいなら、無理に弟のことを忘れなくてもいいんだよ……?」




「……ふふっ

 そんなお顔で仰せになってもやせ我慢にしか聞こえませんわ。」



 言われた帝は顔を拭いながら笑った。



「ね。涙、止まりましたでしょう?」




「ははっ……。本当だ。」




「帝……。私、本当にもう大丈夫なのです。


 昔の言いたいことを素直に口にできる自分に戻れましたもの。


 どこまでもお優しい貴方様を叱り飛ばしながらこれからずっとお支えして行こうと決めました。


 もう手加減いたしませんので覚悟してくださりませ。」



 わざと意地悪く言ってみせた私の髪を愛おしそうに撫でて、帝は今まで見たどの笑顔よりもまぶしく微笑んだ。











 翌朝、部屋にもどると庭の隅で勿忘草わすれなぐさが咲いているのを見つけた。




 遅咲きにしては綺麗に咲いている。



 花言葉を思い出し、呟いた。




「……さようなら……忘れないわ……。」




 締め付けるような胸の痛みも、燃えるような激しさも教えてくれたあなたを







 勿忘草にたまる朝露が光を受けて落ちた。




   《 完 》




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